満を持して

 昨日の一件があり、かつ昨日の疲労も引きずらずに済んだ。他部員が集まりだし、部としての朝練が開始した。

 朝練は、朝の授業前の僅かの時間のみしか行えない。だから必然的に体力づくりのランニングなどは放課後の部活の時間に練習することになる。

 今は、ラリーだとか素振りだとか、そういう練習を主に練習していった。


「奥村、昨日あれだけ白熱した試合をしたのに、良く今日も体が動くな」


 そう俺を褒めてくれたのは大和先輩だった。


「俺なら、筋肉痛で練習休もうとか思っちゃうよ。凄いなあ、本当」


 そう褒め称えられる状況に、俺は背中にむず痒さを感じていた。だって、どっかの好敵手君に負け始めてから、俺をそんな風に言って褒める人、全然いないから。


 褒められ慣れしなさ過ぎて、俺は大和先輩をほっぽってラリーを始めた。

 こうしてラリーをしていると、これまで部にこんな人がいたんだな、と新発見が度々ある。その度、俺って全然この部に馴染めてないな、と苦笑を覚えそうになるが、まあ練習している分には言葉を交える必要もないしどうでも良かった。


 ただ、ふと気付いた。


「そう言えば、今日平塚来てないですね」


 背後にいた大和先輩に、俺は言った。


「ああ、そうだなあ。あいつが練習休むだなんて珍しい」


「確かに」


 あいつ、朝練に一番に出てくることで俺にマウント取ってくるような奴だったし……そんなあいつがサボりとは、頂けない。


「……まあ、試合終盤一番グロッキーなタイミングで、お前に前後に相当揺さぶられたしな」


 大和先輩の呟きは、少し同情の念が交じっているように見えた。


 結局、平塚はこの日の朝練に姿を見せることはなかった。

 そのことに何かを忘れているような気がしてくるが……忙しない学生の朝に、無駄に何かを考えている暇は寸分もなかった。


 数学、日本史と授業を受けた。

 昨日のあれほどの大熱戦。今日は授業もまともに受けられるか少し不安だったが、取りこし苦労だったらしい。


 これも、入念にしたストレッチと……あいつが俺に半身浴するように勧めたおかげか、糞。


 いつかも思ったが、俺なんだかどんどんあいつに……結衣に、依存しつつないだろうか。


 朝、昼と弁当を振舞ってもらっていて。

 朝練、夜練、自主トレとメニューを考えてもらって。

 半身浴の時には話し相手になってもらって。


 それもこれも、元はと言えば全部あいつのクンカーだなんて性癖のせいだが……それにしても、このままだと俺、あいつがいないと駄目になるのではないだろうか。

 少し不安。


 あいつ、いつも俺に正論で迫るし、だから俺もついつい断りづらい状況を作られてなし崩し的にこうなっているんだよな。

 このまま……このまま、あいつに依存していって、俺、大丈夫だろうか?



 昨晩の加奈の台詞が蘇る。



『お兄ちゃん、責任を取って結衣ちゃんと結婚して』



 ……嫌だー。

 結婚するなら、変態以外と結婚したい。


 そりゃあ、もしあいつが変態ではなかったら……数少ない俺の内心を理解してくれて、俺に手厳しいことを言ってくれる人、になるんだがなあ。

 変態の一点がなあ。




 ……逆に。



 あいつ、俺のテニスウェア抜きで生きていけるのだろうか?



 そう思って、思い出す。



「あっ」



 思わず、授業中にも関わらず、俺は机を叩いて立ち上がった。


「なんだ、どうした奥村」


 そんな俺に驚く、先生と、転寝を掻いていたクラスメイト。



 沈黙の後、


「失敬しました」


 俺は、苦笑しながら席に着いた。


 微妙な空気で再会される授業に、俺は意識を注げなかった。


 そうだ。

 そうだった。

 昨日から、一体俺は何度この話を忘れるのだろう。


 平塚の奴が、結衣に告白するって話……俺、本当何回忘れるのだろう。

 思い出す度にこうして狼狽える癖に、俺ってやつは抜け目多すぎる。


 昨日の時点では、まだ平塚は結衣に告白している様子はなかった。


 であれば、今日?

 今日、あいつは告白するのではないだろうか、結衣に。


 丁度良く、授業終了を告げるチャイム。


 そして、始まる昼休み。


 一瞬、俺は再び告白騒動が頭から抜け落ちた。途中から授業をキチンと聞いておらず、ノートを取っていなかったのだ。

 消される黒板。


「あ」


 再び、狼狽える俺。


 誰かにノート、見せてもらえないだろうか。

 そう思って周囲を見るも、既に皆は教室を後にしていた。


 まあ、それなら後で見せてもらうかー。


 呑気に、思った。

 そして、こうも思った。


 そろそろ結衣が弁当持って来る頃だ、と。


 ……しかし、待てど待てど奴は姿を現さなかった。


 仕方なく廊下に出て、隣のクラスにいるはずの結衣を探そうと思って、見つけた。




「橘先輩、話があります」




 廊下。

 大衆の視線を一挙に集めながら、中心に立つ二人を。


 結衣と……平塚。


 ……あ、そうだった。また、俺は今更思い出す。


 平塚の告白の件。


 今、この場で……?




 たくさんの人の前で、あいつ度胸あるなあ(呑気)。




 ……結衣は、


「駄目じゃん、平塚」


 プリプリと可愛らしく怒っていた。


「え」


 え?

 怒る? この空気で?


 俺も大概空気読めないけど、お前もだったんだな。


「朝練サボって、何かあった?」


「……いやその、筋肉痛で。今も、歩くのがやっと」


「もうっ。それなら部長に一本連絡しなさい。心配してたよ?」


「……すいません」


 ……そう言えばあの変態ぶりに忘れかけていたが、あいつテニス部のマネージャーだったわ。本当、基本的に有能だよな、あいつ。


「って、そうじゃない」


「何?」


 素っ頓狂な様子の結衣に、平塚は一歩後ずさった。


 ……えぇ?

 なんとなく、周りの空気で察せられない? 結衣さん。


 平塚は、どう見ても臆していた。


 ……しかし、まもなく平塚は決意を固めたようだった。

 理由は、二つ。

 野次馬が平塚をけしかけたこと。

 そして、一番はあいつの勇気だった。




「橘先輩、ずっと前から好きでした。僕と……僕と、付き合ってください」




 その勇気に賞賛。

 告白しきったあいつに、野次馬が指笛を吹いたり沸き上がった。




 なんだかカップルの誕生を予感させる思わず浮足立ってしまうような雰囲気だった。


 美男美女。

 その二人が醸し出すムードは、明らかに……。


 結衣が、口を開いた。




「ごめん」




 そして、そんなムードお構いなしに言い放った。


 ごめん。

 告白に対する、答えだった。


 丁寧に頭を下げて、結衣はそう謝罪した。

 昨晩の結衣の台詞が蘇る。誰かに好意を告げられたなら、良い悪い関係なく自分の気持ちも伝えないといけない、と。


 ……確かに。これだけの人の前でそれを告げるのは……。

 それは少し、辛いかも、と今この状況を見て思った。


「……どうして」


 平塚は、食い下がった。




「好きな人がいるから」




 見てくれは良い結衣の言葉に、野次馬が沸いた。


 そして、平塚はその言葉に黙っていなかった。




「奥村先輩ですかっ!?」




 ……?

 んんん?


 んんんんんんんん?


 え……。


 な、なんか巻き込まれたんだけどっ!


 ちょ待てよ。

 えぇ……。


 お、俺好意を告げたわけでもないのに、あいつの心情知っちゃうの?


 フェアじゃないよね?

 フェアじゃないよねっ!???




「バーカ」




 しかも……。




「あたしが好きな人は、楽しそうにたくさんの汗を振りまいて、無邪気な笑顔を向けるそんな人」


「ふぇぇぇ……」




「今のあいつみたいな……意気地なしなわけないじゃん」




 ……なんか、振られたんだけど。

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