気があるみたいじゃんか

 さっきまで気持ちよく湯舟に浸かれていたのに、結衣のカミングアウトのせいで肝が冷えた。

 何とか平静は取り戻せたものの、後味の悪さだけが残っていた。


「お前の変態ぶりには、正直頭が痛いよ……」


 項垂れながら、俺は言った。

 

『ごめんって。もうしないから許して』


 可愛らしい声で、結衣が言った。


「本当にしないんだろうな、正直俺、今この世で一番信用してないのお前だぞ?」


『大丈夫。大丈夫だって』


 そのあっさりとした言い振りは、まあ確かに大丈夫だと思わせる何かがあった。


『あたし、気付いたんだから』


「何に?」


『布教活動してさ、確かに最初は向こうも乗ってくれて、同志のような関係になれたの。でもさ、あっ、これはいけないって思ったことがあったの』


「……さては、相手さん、実はそこまで俺のテニスウェアに興味なかったんだろ」


『アハハ、そんなわけないじゃん』


「どう転んでも問題発言じゃねえか」


 本当に大丈夫? 大丈夫なんだよね……?


『あたし、気付いちゃってさあ。それで、無理やり辞めさせたんだけどさ……』


 ……ん?

 無理やり?

 つまり……同意の上で辞めさせたわけではないの?


 また俺の肝が冷えそうなんだけど。俺の肝をカバーする発言を求む。




『あたしの取り分が減るの』




「……は?」


 あっ……(察し)。


『だから、布教活動してあなたのテニスウェアを譲ると、あたしの使用出来るテニスウェアが減る。あたしの取り分が減ってしまうの』


「今日ほどお前をヤバイと思ったことは……」


 ない、と言いかけて、しょっちゅうあったことを俺は思い出す。


「……つまりあれか? お前がその精鋭ちゃんをテニスウェア教から足を洗わせたのは、自分の私欲のためと」


『平たく言うとそうね』


「お前それはさすがに精鋭ちゃんが可哀そうだろ」


 つまり精鋭ちゃん、布教活動されて信者化した後に、無理やり信仰するものを取り上げられたわけだろ? これほど酷い話はないじゃないか。


『それは……その、悪いことをしたと思ってる』


 あれ、意外に素直。


『で、でも……っ、あたしも背に腹は代えられなかったのっ』


 それほどまでにテニスウェアのことを……?


 まあ確かに。

 こいつ、テニスウェアにかける情熱だけは本物だもんな。常に不貞腐れている俺が偉そうに言えた口ではないが。


 そんなこいつにして。当時の純真無垢だったこいつにして、テニスウェアの素晴らしさをたくさんの人に伝えたいと思ったことも、自分の取り分が減ることに恐れをなして精鋭ちゃんに悪いことをするのも、まあ……なんだかわかるようなわからないような。


 ……ただまあ、そこまで言われると、文句を言う気も失せるのは確かだった。


 大きな声で喋りすぎて、少しだけ反響する浴室内が鬱陶しいと思った。

 そして、ふと気付いた。


「……そう言えばさ」


 それは、電話口から漏れる結衣の声のことだった。

 こっちの声が浴室内であるため反響するのはまあわかる。


 でも何故か、電話口の向こうの結衣の声も反響していることに俺は気付いたのだ。


「お前、今どこで電話しているの?」


『お風呂場でだけど?』


「はあっ!??」


 ざっばーんと風呂が波立った。思わず、俺は立ち上がっていた。

 さっきまで肝が冷えていたのに、今はとても熱い。


『ちょっと、半身浴中でしょ?』


 反響した結衣の声が浴室に響く。

 こいつ……なんとも思わないの?


「なんでそんな場所から電話するんだよ」


『あたしだって一日の疲れを癒したかったの、悪い?』


「悪いって、そりゃあ……まあ、悪くないけど」


 果たして俺に、彼女に風呂に入るな、と言う権限があろうか。

 まあ確かに、あいつと電話する時にあいつがどこから電話をかけようが、本来ならば一切合切問題はないのだ。


 ……ただ、俺が変な想像をしてしまうこと以外は。


『……はっはーん』


 結衣は、何かに気付いたようだった。


『変な想像しちゃって。変態だなあ、アキラ君は』


「いやお前にだけは言われたくない」


 マジで。




 マジで(怒)。




『何よう、妄想くらいすればいいじゃない。あたし、別にそれくらいじゃなんとも思わないよ?』


「うわあ、寛大なお心を持っているぅ」


 ……と思ったが、対俺に関してだけは、こいつは妄想なんかより断然ヤバいことしてたわ。


「遠慮しておく。お前と同じ場所まで堕ちたくない」


『アハハ。あたしはもっと谷底にいるから大丈夫!』


「笑えるお前の神経を見てるとそれには賛同出来ないわ」


 ……まったく。

 この女、本当インパクトのある本性してるよなあ。


 それでも、学校では猫被ってるからモテる、と。

 本当、世も末だよなあ……。


 ……そう言えば、ふと思い出した。

 こいつ、平塚に告白されそうになっていたんだった。


 平塚の奴、もう告白したんだろうか……?


 不思議と、気になった。

 どうして気になるのか。そんなことを考えるが……どうも答えは見つかりそうもなかった。


「ねえ」


『何?』


 返事をされて、我に返った。


 俺は今、こいつに何を聞こうとしていたのか。


 平塚に告白されましたか?

 そんな質問、今俺はしようとしていなかっただろうか。


 ……なんだよ、それ。


 そんなのまるで……俺が、この変態に気があるみたいじゃんか。




「……お前さあ、もし彼氏とか出来ても俺のテニスウェアにあれこれするの?」




 悩むことコンマ数秒。上手い言い訳を、俺は思い付く。まずは前振り。


『……フッ』


 何、その小馬鹿にするような笑い声。腹立つんだけど。


『アキラはさ、将来彼女が出来た時にお気に入りのアダルトビデオ全部捨てるの? それと一緒だよ』


「……はあ」


 凄い反応に困るんだけど。

 しかもそれ、人によったら捨てることもありそうな話……。


 あ、そうか。


 結論、人によるって言いたいって事じゃん。


 カッコつけて言っておいて、こいつ結局わからないって言ってるの? えぇ、ダサ……。


 ……まあ、俺はアダルトビデオなんて持ってないんだけどっ!




 持ってないんだけど!!!




「お前、そんなんで彼氏出来るのかよ。将来身を固めないと、おじさんもおばさんも心配するぞ?」


 まあ、一先ず本題へと話を進めるか。

 俺が言いたかったことはこれだ。


 なんとなく、恋愛話に話を持って行けたぞ。


『え……アキラさん、まだ十代なのにもう身の上話をしているの?』


 え、ドン引かれた。

 他でもないこいつにドン引きされると、結構病む……。


 ……えぇい、ままよ!


「そうだよ、してるよ。……あーあ、良いよなお前はっ! モテモテで!」


 ……なんか声色に、意図せず嫉妬の感情が交じったな。不思議だ。

 まあ、こいつに対して羨望の情があることは、紛れもない事実だった。


『……別に、良くないよ。色んな人に好かれたって』


 さっきまでとは打って変わって、結衣の声色が落ちた。


『誰かに好かれるってことは、誰かへの心情を吐露しないといけないってことじゃない。良い感情でも、悪感情でも。それが良い事ばかりなはず、ないよ……』


「うぇぁぅん……」


 突然のナイーブに、言葉に困った。もしかして俺、こいつの地雷踏んじゃった?


「……なんか、ごめん」


『……気にしないで』


 その声色は、気にしないで、と本当に思っていないことを告げていた。


『ま、最近は誰かに告白されることもないんだけどね。交際のお誘い、一時期片っ端から断ってたし。それの影響かな?』


「……へぇ」


 そんなにモテたんだ、こいつ。

 そしてついでに俺は、目的だった平塚の告白の進捗状況を知る。どうやらまだ、平塚は結衣に告白はしていないらしい。




 ……そっか。

 まだ、告白されていないのか。




 ……少しだけ、気になったことがあった。


「なあ」


『ん?』


 それは……結衣の決断だった。

 恐らく、まもなく平塚は結衣に告白をする。

 その告白の回答……結衣は、なんと返事をするのだろうか。


 それが、気になった。




「……なんでもない」




 しかし、それを聞くのはあまりにも無粋だと思った。だから、俺は言葉を引っ込めた。


 平塚が結衣に告白すること。

 結衣が、平塚の告白に返事をすること。


 それは、こいつら二人の話であって、俺が立ち入るような話ではないのだ。




 敗者の俺に、二人の恋路を邪魔する権利は、ないのだ。




 何よ、と俺に話の続きをせびる結衣に、俺はもうすっかり三十分以上半身浴したから眠ることを告げて、電話を切った。




 ……勉強する気、無くなっちまったな。

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