責任取って結婚すべき

 今日は特別涙腺が緩いから、俺はまた泣きそうになっていた。

 ウチの妹が俺に似ず人間が出来すぎていて、それでいて色々と不利益を被っているだなんて、なんて悲しい話なのだろう。そう思ったら涙の一つもこぼれそうになって当然だった。


「いつか報われると良いな、加奈」


 そしてそんな加奈が報われる日が来ることを心から願うのも、兄として当然のことだった。目尻に溜まった涙を拭いながら俺は言った。


「えぇ、突然泣き出した……」


「突然なんかじゃない。お前のこれまでの苦労を思ったら、全然おかしくなんてないだろう」


「妹に対する慈悲深さをもうちょっと周囲に出せたら、お兄ちゃんにも友達出来ると思うのになあ……」


 ……うん?

 あれ今、俺もしかして罵倒された?


 ……いやいやいやいや。

 友達いるよ、俺。


 この前だって、前の席の木本君から、『奥村ー、俺達友達だよな。宿題写させてくれ』って言われたし間違いない。


「まあいいや。そう言えばお兄ちゃん、あたしも一つ気になってたことがあるんだけど」


 俺に友達はいるとわかったところで、加奈は何やらそんな話を始めた。


「最近さ、結衣ちゃんからお兄ちゃんのテニスウェアを寄越せって言われなくなったんだけど」


 突然そんなことを言い出す加奈に、俺は思わず口に含んだご飯を噴き出しそうになっていた。

 ゴホゴホと咳込むと、加奈は背中を擦ってくれた。


「え、大丈夫?」


 数度頷いて咳込んだのが止まった後、一瞬呆れたようにしながら加奈は話を続けた。


「その。結衣ちゃんからの指示はなくなったんだけどさあ。洗濯機を見るとやっぱりお兄ちゃんのテニスウェアはないじゃない?

 もしかして、結衣ちゃんに直接テニスウェア渡すようになった?」


 それは……素直に頷いても頷かなくても、結構嫌なやつ。

 ただ、誤魔化すのも変な話だとは思った。


「まあ、な」


 だから、俺は一先ず頷いてみせた。


「それは……ご愁傷様」


 深刻そうな顔で、加奈は言った。


「その……心は強く持ってね」


「ああ、お前にあんまり迷惑をかけるわけにもいかんし、刃傷沙汰になるのも嫌だし……頑張るよ」


 そう深刻そうに返事しつつ、俺も素直じゃないなと思わされた。

 確かに、あいつの変態ぶりには目を見張るものはあったし結構な頻度でドン引きしているが……最近ではあいつのおかげでテニスへのやる気も復活したり、全てが全て悪い事ばかりではないのだ。


 でも、その……素直に頷くのは、なんだか気恥ずかしい。


 そんな素直になれない俺に対して、



「まったく、結衣ちゃんのあれにも困ったもんだよね」



 加奈は、結衣の変態ぶりに呆れているようだった。

 ただ、少し見ていると加奈もただひたすらに呆れているわけではないと言う感じだった。呆れているが七割くらい、見慣れたが二割くらい、お馴染み過ぎて少しだけ楽しいが一割くらい、と言った感じだろうか。


「まあ、ああなったらしょうがないよ」


 加奈は、話をしながら少し意地悪い顔をしていた。




「お兄ちゃん、責任を取って結衣ちゃんと結婚して」




 唐突な加奈の言葉に……。


「……え」


 俺は、形容しがたい顔と声で、拒否反応を示していた。


「だってしょうがないよ。結衣ちゃんのあれ、もうどうしようもないよ。将来もし二人が結婚しなかったとして、果たして結衣ちゃんはお兄ちゃんのテニスウェアなしで生きていけるの? 多分、無理。そうなったら、晴れてストーカーの出来上がり。

 反面、もし二人が結婚すれば、ちょっとアブノーマルな性癖を持った夫婦ってだけだもの」


「つまり、あいつと結婚したら俺もアブノーマルな性癖を持っていると周囲に思われるわけか」


 じゃあ、絶対結婚出来ないじゃん。

 俺の自尊心は、一家言持ちだよ?


「お兄ちゃん、結衣ちゃん外面はとても可愛いんだよ? 何が不満なの?」


「性癖」


「それは我慢して」


「お前があれ呼ばわりしたものを我慢しろ、と? 酷いこと言うなよ」


 また泣きそう……。


「お兄ちゃん、まだ自分が逃げられると思っているの?」


「やくざに絡まれてるの? 俺」


 というか、加奈の奴どんだけあれを畏怖しているんだよ。


 深刻そうに、加奈は続けた。


「お兄ちゃん、気付かない?」


「何が?」


「テニスウェアの匂いとお兄ちゃんの普段着の匂い、違うと思わない?」


「……えぇ?」


 どうだろう?

 そう言われればそうかも、くらいだ。


「結衣ちゃんが使った後のテニスウェア、誰が洗濯していると思う?」


「……その言い振りだとあいつなんだろう?」


「じゃあ、テニスウェアと結衣ちゃんの衣類の洗剤の香り、一緒?」


「いやいや、そんなの嗅がないからわからないよ」


 嗅いだら俺、変態って呼ばれてしまうよ。どっかの誰かみたいに。


 加奈は……苦虫を嚙み潰したように俯いた。


「結衣ちゃん、嬉々として言ってたの」


 何を……?

 深刻そうな加奈に、俺は生唾を飲みこんだ。


「お兄ちゃんのテニスウェアは、結衣ちゃんが直々に洗濯しているって。でもね、結衣ちゃん家の衣類とは一緒に洗濯していないの」


「……どういうこと?」


「洗剤、柔軟剤、漂白剤。お兄ちゃんのテニスウェアに適した洗剤を、結衣ちゃんはかれこれ三年くらい研究したんだって」


「……え」


 何ですか、それ。




「……お兄ちゃんのテニスウェアは、結衣ちゃん配合のオリジナルレシピによって洗濯されているの」




 ……絶句。


「門外不出。あたしにさえそのレシピは見せてもらえない。わかる? それほど執着されているんだよ、お兄ちゃんのテニスウェアは」


 ……うぇぇぇ。

 本当、あいつどこまでテニスウェアに情熱注いでるの? それもう情熱大陸出れるよ? プロフェッショナルにも出れるかも。

 僕らは位置に付いて横一列にスタートを切ったのに、気付けば俺周回遅れだよ、周回遅れ。


 ……そんな話聞いたら、絶対、尚更、結婚なんて出来ねえ。


「……と、とにかくっ、俺は知らない。知らないからっ」


「まだ言うかっ!」


 加奈は怒っているようだった。


「そもそも、結衣ちゃん好みの匂いを生成する自分にも問題あるとは思わないの?」


「それ、浮気した妻が寂しい思いをさせたあんたが悪いって言い訳するのと似てるぞ。と言うか、それより酷い。そんなの俺の範疇じゃねえ」


 ……そもそもだ。


「そもそも、あいつの外面の良さなら俺なんて相手にせずともその内彼氏の一人でも出来るだろ。好いた人が出来たら、その人の匂いに鞍替えしていくんじゃないの?」


「それは……あるかも」


「そうだよ。そうに違いない」


 だから頼む。

 どっかの誰かさん。


 是非、結衣に告白し結ばれてください。


 ……と思って、ふと思い出した。


 そう言えば身近な人で、結衣のことを好いている人がいたようないなかったような。




 ……あ、いたわ。




『……僕が勝ったら。今の部で僕が一番テニスが上手いとわかったら……橘先輩に告白しますから』




 そう言えば、平塚が俺に試合に勝ったら結衣に告白するって……そんなことを言っていた。


 ……ん?


 俺、そう言えば今日あいつに負けた。




 ……ってことは、あいつ結衣に告白するってことじゃん!!!




 気付けば、ショックで俺は口をパクパクとさせていた。


 お兄ちゃん、と呼ぶ加奈に、もう返事は出来なかった。


 ……もう、平塚は結衣に告白をしたのだろうか。

 結衣は、なんて返事をしたのだろうか。


 考えれば考えるほど、深みに、ドツボにハマっている気がした。さっきは結衣のこと興味ない的なことを言っておいて、とてもそうは見えない狼狽え方を俺はしていた。


 放心状態の俺に、加奈は不思議そうに首を傾げていた。

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