あれ(変態クンカー)と一緒にしないで

 風呂上りにお茶をゴクゴク飲んでいたら、一日の疲れが吹き飛んでいくような錯覚を覚えた。シンクにコップを置いて、料理をこなす加奈に目を配った。


「加奈、腹減った」


 そして、今の胃袋の状態を鑑みてそう言った。


「何か食べ物ある?」


 冷蔵庫を開けるより、加奈に聞いた方が正確な情報を得られるはず。そう思っての行動だった。


「おにぎり握っといたよ」


「お、どこどこ?」


「ん」


 加奈が指さしたのは、机の上。

 そこには確かに、綺麗な三角形をしたおにぎりが二つ皿の上に置かれていた。炊飯器が動いているところを見ると、余ったご飯をおにぎりにしておいた、とかそんなところだろう。


「食べていい?」


「いいよ。疲れてるでしょ」


「あざーす」


 微笑む加奈にお礼を言って、俺は机の方へと足を運んだ。

 そして椅子に腰を下ろすと、リビングのテレビに目を配りながらおにぎりをパクパク食べだした。おにぎりの具は鮭だった。


 休日の夕方のテレビは、さっきまではバラエティの再放送をしていたようだが、今はニュース番組が流れていた。


 しばらくその状態でグデーっとしていると、フライパンの中身を炒める音が鳴り止んだ。どうやら料理が終わったらしい。

 それから加奈は、二人分の盛り付けを開始した。


「あれ、お父さんもお母さんも帰ってきてないけど」


「今日、帰り遅いって」


「休日なのに大変だねえ」


「そうだね。お兄ちゃんお腹減ったでしょ。ちょっと早いけど夕飯にしようよ」


「いいの?」


「うん」


「ありがとう」


 であれば、俺も加奈の手伝いをしようと立ち上がった。

 ご飯を茶碗に入れて、みそ汁をお椀に注いで、加奈の手料理を机に運んだ。既に筋肉痛の始まる右腕に一度皿を落としそうになったが、寸でで堪えた。


「頂きます」


 二人で並んで座り、夕飯を食べ始めた。こうして両親のいない食事、というのも、我が家では珍しくない光景だった。


「そういえばさ」


 ご飯を食べ始めてまもなく、加奈が口を開いた。


「今日の大会、結果はどうだったの?」


 加奈の質問に、俺は箸で摘まんだご飯を口に運びかけて制止した。折角加奈が俺のために早めの夕飯にしてくれたのに、少し食欲が失せた。


「あー、ごめん」


 加奈は勘が良かった。

 そして、試合に負けた時の俺がいつも口を重くすることを知っていたのだ。


 だから、謝罪してきた。


 お前は何も悪くない。悪いのは負けた俺なのだ。

 そう言いたかったが、言える気分ではなかった。


「……そっか。負けか」


 聞こえないくらいの小さな声で、加奈が呟いた。

 まあ、聞こえてたんだけど。残念そうに言ってくれたから嬉しかったよ、お兄ちゃん。俺の勝利、願っていてくれたってことだもんな。


「でも、関東大会には出れるんでしょ?」


「うん。なんとかね」


「じゃあ、そこでリベンジだねっ」


 快活に励ましてくれる妹に、涙腺が緩んだ。なんて良い子なんだ。私利私欲のためにお礼をも拒むどっかの誰かに爪の垢を煎じて飲ませたい……。


 そう思いかけて、私利私欲のためとはいえ、今回はそのどっかの誰かにかなり助力してもらったことを俺は思い出した。そのどっかの誰かにもまた、俺は足を向けて寝られないのである。


「それにしても、残念だね。中々厳しい世界だよね」


「……うん。でも、お前の言う通りだよ。次、必ずリベンジする」


 だから、覚えていろよ。平塚ぁ。


 ……難敵への敵意を再確認して、ふと思った。

 何を思ったかって、それは加奈にこうして試合結果を聞かれたこと。それが珍しいなと思ったことだった。


 小さい頃、俺の全盛期の頃はこうして試合結果を聞かれることは珍しくなかった。加奈も、まるで自分のことのように俺の勝利を喜んでくれたから、俺もそれが嬉しかったことを良く覚えている。でも、俺が好敵手に完敗を喫するようになってから、加奈がこうして俺に試合結果を尋ねてくることは滅多になくなったのだ。

 恐らく、俺に気を遣って。


「珍しいな」


 だから、気付けば俺の口からそう言葉が漏れた。


「お前が俺の試合結果を聞きたがるだなんて」


 一瞬、加奈は驚いた顔をした後、まもなく苦笑した。


「そりゃあ気になるよ。お兄ちゃんのことだよ?」


 加奈……。なんて良い子なんだ……。


「それに最近は、随分練習にも力入れてるみたいだし。難しいし厳しいかもとは思ってたけど、遂……ごめんね?」


「謝る必要なんてない。俺が力不足なのが悪いんだから」


 そう言い終えて、更に疑問。


「最近練習に力入れてるって……そんなに目に見えて俺変わったっけ?」


 そう尋ねると、まもなく加奈がアハハと楽しそうに笑った。




「あたし、筋肉フェチなの」




 思わず、一歩後ずさった。


 そんな……。

 そんな、あの幼気だった妹が。


 加奈が……。




 どっかの匂いフェチみたいな変態だっただなんて……。


「え、どうしたの……?」


 加奈は困惑していた。


「いや、だって……その……お前、筋肉フェチなんだろ?」


「うん」


「……フェチ、なんだろ?」


 加奈は可愛らしく小首を傾げて、気付いたようだった。




「ちょっ、あれと一緒にしないでよっ!!!」




 そして、結構本気で怒ってきた。


 ……って言うか、あれ?

 あれって、結衣のこと? 結衣のこと、こいつ今、あれって言ったの?


 え待って。


 こわ……。


「あ、あたしのはもっとフランクなやつ。お兄ちゃんの筋肉が隆々になってもちょっと嬉しくなるくらい。あんながっつかない。あれは異常!!!」


「それは……まあ、同意する」


 確かに、あれは異常だ。


「あと勘違いして欲しくないけど、あたし人としては結衣ちゃんのことかなり尊敬してる。凄い良い人だよ、結衣ちゃん。




 でもまあ、あれは無理なんだけど」




 ……思えば。



 俺の匂いが好みに仕上がらなかった時、朝食抜きだったことを見抜いた時、結衣の奴、加奈を問い詰めた、とか言ってたな。

 俺が知る前から何やらあいつの情事のために色々巻き込まれていたみたいだし、加奈ってもしかしたら結衣の情事の一番の被害者になっているのでは?


 えぇぇぇ……?


 それは……その、マジで可哀そう。



 でも加奈の奴、それを差っ引けば結衣のこと、良い奴って言ったんだよな。


 あれが異常とわかりつつ結衣の情事のために色々手回ししていたこと。

 それを当人である俺にショックを与えないように隠し通していたこと。

 家の家事を買って出てくれて文句の一つも言わないこと。

 試合日だからたくさん汗を掻いているだろうと察して風呂を沸かすなど気が利くこと。




 え待って。




 ウチの妹、人間出来すぎ(自虐風自慢)。

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