疲れる一日
泣き腫らした目元を隠す術もなく、複雑な胸中で表彰式に望んだ。いつも通りの準優勝を称える盾。それを手にしながら、内心に沸々と湧き上がってくる感情があることに気が付いていた。
しかし、いくら熱情が滾ろうと、今日はもういっぱいいっぱいだった。
打ち上げにしゃれ込むらしい他部員達を見送って、俺は一人帰路に着いた。見送ったと言ったが、それはあくまで言葉の綾だ。実際には誘われなかった、が正しい。まあ、俺の疲弊具合を見て今日は帰してくれる気になったのだろう。そう思う事にしようと思う。
そんなこんなで帰路に着いた。
着ている上着は、さっきとは違うTシャツ。決勝戦で使ったテニスウェアは、お察しの通りである。
さっきまでは優しげに俺を慰めてくれた結衣だったが、一度テニスウェアを渡すと態度が豹変した。その変わり身具合にドン引きだったが、まあ、平常運転であることは悪いことではない。俺もその方が助かるし。
強いて悪いところを挙げるなら、テニスウェア……引いては好みの匂いのためとなるとあまりにも強欲すぎることくらいだろう。
結衣は、いつも以上の戦果を挙げられたことに歓喜したのか、他部員達の打ち上げに交じることもなく帰宅していた。
じゃあ、家も隣同士なのだから一緒に帰ればいいじゃないか。
そう思った輩もいることだろう。
勿論、俺もそうしようと思ったさ。
あいつには、なんだかんだお世話になったし……その、パフェの一杯でも奢って良いかとさえ思っていたんだ。
でもあいつ……折角こっちが勇気を振り絞って誘ったのに。
『お構いなく』
唐突に素面に戻った結衣に、そう言われた記憶が脳裏にこびり付いて離れない。
何? 俺に誘われるの、俺のテニスウェアの匂いより優先事項的には下なの? 下なんだろうな、今までのあいつの反応を見ると。
それは、まあ……少し凹む。
とにかくそんなわけで、重いラケットバッグを担ぎながら、俺は一人バスと電車を乗り継いで家へと帰宅していた。
さっきまで痙攣していた足も痛いし、つり革を掴む腕もプルプルと震えるし、これぞ満身創痍って感じだった。
それでも世間体のために何とか最後の力を振り絞って、家に帰宅した。
家には、両親はまだいないようだった。休日だと言うのに、母はパートに。父は仕事に。大人って大変だよなってシミジミ思う。
「ただいま」
もぬけの殻であろう家から返事なんて帰って来なさそうだったが、一先ずそう言った。
しばらくして、パタパタと足音がリビングから響いた。
「お帰り」
そう返事をしてくれたのは、妹の加奈だった。
いつもなら友達の家に遊びに行っているか二階の自室で勉強をしているか、なのに。中々珍しいこともあるもんだ。
「おう」
「今日大会だったよね、お風呂入ってきたら? 沸かしといたよ」
「そうする。ありがとう」
すっかりベトベトとしだした汗が、実はさっきからかなり不快だった。
俺の今日の予定を把握し風呂の準備までしてくれるこの妹、本当よく出来ている。頭が上がらないとはこのことだぜ。
テニスバッグを二階の自室に置きに、一度階段を上がった。
自室に荷物を置くと、リビングへと繋がる扉が開きっぱなしになっていて、そこから香ばしい香りが漂っていることに気付いた。
リビングの奥にあるキッチンから、加奈が料理をしている姿が見えた。
都内で子供二人を養うため、我が家の懐事情はあまり明るくない。仕事で、両親はいつも世話しなくしている。
そんな中、こうして妹の加奈がキッチンで料理をしている姿、と言うのは珍しいものではなかった。
兄である俺もテニスをして家を空けている時間が多いばかりに、消去法で加奈が料理……引いては家事全般をしてくれるほか、我が家を回すことが出来ない状態だったのだ。
自由奔放な俺と違い、両親は加奈のことはそれはもう好いている。申し訳ないと思っているだろう。
そして、俺もまたそんな加奈に申し訳ないと思っている。俺ばかり好きなことをさせてもらって、加奈に家の仕事を押し付けるだなんて、本当、酷い兄だ。
「ごめんなぁ」
ここにもいた献身者に、今日は涙腺が緩まっていたばかりに涙を流していた。
「うわっ、ガチ泣きキモ……」
「そんな酷いこと言うなよぉ」
もっと泣くぞ?
良いのか? 良いのか?
脅し文句にしては情けないそんな台詞が、俺の口から吐かれることはなかった。
つべこべ言わず風呂に行け、汗臭いんじゃ。
そう目が語っている加奈を見て、これ以上の迷惑をかけるわけにはいかないと思ったのだ。
脱衣所へ行き、衣類を脱ぎ洗濯機へ入れて、加奈が沸かしてくれた風呂へと浸かった。
「……ふう」
たくさんの汗を掻いたおかげか。
風呂は、体に身に染みた。気持ち良いとさえ思った。
そんな風にリラックスしていると、今日一日の総括をしたい気分になっていた。
そして、総括をして……うん。
「疲れた。大変な一日だった」
それ以外の感想は、出てこなかった。
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