新たな課題
絶対に負かす。
負けて元々と思っていたのに。
ただ、負けても足掻こうと。逃げないようにしようと思っていただけなのに。
気付けば口から、試合を意識する言葉が漏れていた。
ああ、そうか。
口では。理屈では……どれだけこの試合の勝利が厳しいと、難しいとわかっていても……認めたくない気持ちがあったのか。
もうテニスは辞めてしまおう。
そう思うくらい、一時俺は腐っていた。中学二年までは全国決勝の舞台まで辿り着けていた。でも、いつも最後に立ちはだかるこの塩田君に、何度も何度も負けて……俺は腐ってしまったのだ。
この世界は弱肉強食。
強くなることをサボった者からふるい落とされていく。
そんな当たり前の事実から目を逸らして、過去の栄光をただ懐かしんで……そうして、気付けば中学三年、高校一年は全国ベスト16での敗退。
根津君はさっき、試合前に俺を倒すことはあくまで塩田君のおまけだと言った。
おかしいと思ったんだ。
だって普通、これから相手する人を奮い立たせるような挑発を、根津君はする必要があったのだろうか。
する必要があったから根津君はした。
でも、俺が言いたいことはそういうことじゃない。
試合に勝利する、という条件において、腐った俺を挑発すること。腐った俺に本気を出させること。
果たしてそれを、根津君がする必要があったのだろうか。
もしかしたら内心で、苛立つ思いがあったのかもしれない。
日頃、自分を打ち負かしてきた俺が腐って堕ちていくその姿に、苛立ちを覚えていたのかもしれない。
そしてもしかしたら、それは根津君だけではなかったのかも。
……お前もそうだったのか、結衣?
『あたし、別にあんたのこと好きじゃないけど』
結衣が言った言葉が、蘇る。
『人の好みと匂いの好みが一緒とは限らないでしょ』
今なら思う。
腐った俺に、他人に好かれる要素なんてなかったのだと、今なら……。
逃げないと結衣に誓った。
でも今、少し俺の心に変化が生じていた。
試合の勝利が見えて……少し、欲張りたいと思ったのだ。
逃げない。
抗う。
足掻く。
……そこから、一歩。
負けない。
……勝つ。
勝つ。
勝って、お礼を言うんだ。
あの変態に。
あの……幼馴染に。
ありがとう、と。
第7、8ゲームも、互いにサービスキープする展開となった。第8ゲームはキープのためにリスク承知の攻撃を繰り返したが、ミスが続いた。勝ちたい、と欲を掻いた結果かもと思ったが、不思議と慌てることはなかった。
ゲームカウント4-4。
俺のサービスゲーム。
ここをブレイクされるわけにはいかない。
ここをブレイクされれば……一気に試合を決められるだろう。
ライジング多用のテンポの速いラリーに、塩田君は対応しつつある。それが何より、彼のサービスゲームをブレイク出来ていない要因。
この試合は多分、もつれる。
むしろ、俺が勝つにはもうこの試合をとことんもつれされるしかないのかもしれない。ここまで塩田君のサービスゲームをブレイク出来ていないのがその証拠だ。タイブレークに持ち込んで、1ポイント有利を奪って試合に勝つ。1ゲーム有利を取るのは困難でも、1ポイントくらいならまだチャンスはある。
それで行くしかないだろう。
……ただ、そうと決めたのなら。
俺の前に、一つの障壁が立ちはだかった。
それは、サービスキープすること。
サービスゲームはあと二回。そのどちらも、ブレイクをされてはいけない。
サービスキープしタイブレークへ。
出来るだろうか。
塩田君相手に。
俺の宿敵にしてトラウマである塩田君相手に。
大きく息を吸って、吐いて……ボールをトスした。
塩田君も、わかっていた。
ここが勝負所だと、わかっていた。
リスク承知のコーナーへの深いリターン。
「うぐっ」
下がらないと決めたのに。
逃げないと決めたのに。
……強引に。
力づくで。
ラインを、下げさせられた。
何とか返球するも、ボールは塩田君のチャンスボール。スマッシュは返球出来ず。
「0-15」
思わず、汗が溢れた。
手を抜いていたわけではないだろう。ここまでだって、ずっと全力で、塩田君は試合に臨んでいたことだろう。
でも、勝負所に見せる彼の集中力に……覇気に、俺は気後れしていた。
「0-30」
成す術なかった。
「0-40」
まるで、成す術なく……ブレイクチャンスを握られた。
さっきの俺と立場は真逆。3ポイント分のブレイクチャンス。
これが、塩田順平か。
これが……全国トップクラスか。
「……アハハ」
痛む肺のせいで、笑い声はかすれた。
ただ、不敵な笑みは崩れなかった。
楽しい。
こんな強敵相手にしのぎを削って……試合を出来るだなんて。
ずっと忘れていた感覚だった。
試合をしてきて、王者としてのプライドを持つようになって。
気付けば俺は、勝利だけをひたすらに追い求めるようになっていた。
でも今、久しぶりに強敵との真剣勝負に俺は……震えていた。
不思議だった。
今ならなんでも出来そうだったから。
「15-40」
ワイドへのサービスエース。
「30-40」
センターへのサービスエース。
……そして、
「デュース」
再び、センターへのサービスエース。
今日のサーブの調子はやはり良い。ワイドサーブのキレが良いから、塩田君もワイドへの警戒が捨てきれていなかった。だからセンターへのサーブが連続で決められた。
これもあいつとの特訓の成果だろうか。
俺のサーブは、そこまで脅威ではないと相手にはいつも認識されていたのに。
それが、あいつとの特訓のおかげで、全国トップクラスに通用するレベルまで上がった。
……お前は本当、凄い奴だ。
俺のサーブに対応するため、塩田君がリターンの位置を下げたことを、俺は見逃さなかった。
意表を突くアンダーサーブに、
「アドバンテージ、サーバー」
塩田君は、一切反応出来なかった。
まるでダイヤモンドのように。
……磨けば磨くほど美しく眩く輝く宝石のように。
練習すればするほど出来ることが増えていく快感。選択肢が増えていく、興奮。
……紛れなく、
俺の、一番好きなテニス!!!
「ゲーム奥村、5-4」
……さあ、次に俺に与えられた新たな課題は……。
君を倒すことだ、塩田君。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます