前哨戦

 インターハイ予選の本戦出場の選手が決まり、ドロー(対戦表)が発表された日、マネージャーである結衣経由に俺はそれを手に入れていた。

 俺は都大会の第三シードで右下に名前があった。


 それに対して、塩田君は右上。第一シード。

 ……平塚は、反対ブロックか。


 気になる相手の表を確認した後は、俺の初戦の相手となりそうな相手を俺は確認した。シード故、本戦初戦、二回戦を勝ち抜いてきた相手と戦うわけだが……大体、都大会ともなれば知っている面子が揃う者。

 名前を見れば、顔とプレイスタイルくらいは一致するくらい、俺は都内の手練れを知っていた。


 そんなわけで誰と準々決勝で当たりそうか、というのを確認する作業を始めて……見つけた一つの名前。


「げ、根津君と同じグループだ」


 思わず、根津君に対して失礼な言葉を俺は吐いていた。

 根津君は、俺と同じクラブでテニスを始めた同級生だった。実力は関東大会ベスト8くらい。全国区から見れば一つ実力は見劣りするものの、彼との試合を好む選手はあまりいない。


「粘りの根津、ね」


 隣で俺のテニスウェアの匂いを嗅ぎながらドローを見ていた結衣が言った。


 粘りの根津。

 根津君のテニスは、とにかく持久力勝負。ボールを拾って拾って。相手のエラーを誘うか、相手が疲れてきたところを一気に襲うか。そんなテニスをしてくる人だった。


 だから、ドローで彼と同じブロックになった選手は口々に皆、彼を嫌がる。


 勝っても負けても消耗させられ、それ以降の試合を勝ち抜く体力をごっそり奪われるから。


「そう言えば、根津と同じブロックの選手は長らく優勝出来てないってジンクス聞いたことがある」


 それだけ根津君が相手の体力を奪っている証拠だろう。事実、俺も彼のテニスにやられ、その後の選手にボロ負けしている経験もある。


「うへえ」


 そんな彼とのテニスを今から考えて、また俺は嫌な声を出していた。


 根津君が勝ち上がってきませんように。

 そんな下衆な祈りを神に送って……やって来た準々決勝の日。


 少しばかり緊張で荒れた胃を擦りながら、俺は会場にやって来た。

 最近の試合の日は、いつも体のどこかの調子が悪くなる。小さい頃はそんなことなかったのに、どっかの誰かに鼻っ柱を折られ、追い込まれたあの日から……少し、試合が怖かった。


「げ」


 そして、ドローを見て俺は嫌な顔をした。

 これも事前に下衆なことを思った報いだろうか。今日の準々決勝、俺の相手は根津君だった。


 ……正直、根津君に負ける予感は更々なかった。いつも通りにプレイ出来れば、決して勝てない相手ではない。

 でも、そこから後の試合に対して一抹の不安を抱くには十分だった。


 ブルーシートが敷かれた我が校の陣地にやって来て、遅刻を結衣に咎められ……俺は、ブルーシートに腰を下ろした。


「何? なんで早速凹んでるの」


「だって……俺の相手、根津君だから」


 呆れたように、結衣がため息を吐いた。


「何よ、ウォーミングアップには丁度良い相手じゃない」


「……いや、お前それは相手に失礼だろう」


「客観的に見て、あんたの方が上手なのは明白よ」


 それは、励まし? なのだろうか。

 ……いや思えば、俺も自分で根津君には負けないだろう、と思っていたな。俺も大概、失礼だったわ。


「そもそも、客観的に力量を判断するのは大事なことでしょ。それは別に嫌味でもなんでもない。力量差があるとわかるから、次の試合のために手を抜くとか、そういう判断が出来るわけでしょ。トーナメントを勝ち抜くのに、それを怠ってどうするのよ」


「……確かに」


 長いドローを勝ち抜くため、それも立派な戦術であり、作戦だった。


 ……ただ。


「でも、根津君相手に手抜きは出来ないだろうな」


 それはモラルの問題ではなく、彼の実力故に。

 

「……それはそうかもね」


 そして、それは結衣も同意らしかった。


「……でも、苦戦するかはどうかしら?」


「え?」


 思わず、顔を見上げた。


 結衣は、不敵に微笑んでいた。

 試合をする俺ではなくお前が微笑むのか。


 と言うか、こいつの本性知っているから、不敵に微笑まれると思わずテニスウェアを大事そうに抱えてしまうわ。


 なんてやり取りをしていると、運営からお呼び出しがかかった。まもなく試合開始らしい。


「じゃあ、行ってくる」


「うん。応援行くから」


 運営に着くと、先に来ていた根津君と顔を合わせた。


「やあ、天才少年」


 こんな感じの絡みも、今や珍しくない。


「いや、もう元天才少年か」


 根津君の挑発に……俺は、苦笑していた。


「君……や、塩田を倒すため、血と汗が滲む努力をしてきた」


「俺じゃなくて、塩田君を倒すためだろ?」


「まあね、君はおまけさ」


「そうかいそうかい」


 そんな風に言われるのも、もう慣れた。


「そろそろ勝たせてもらうよ。餞別の言葉はあるかい?」


「その言葉、そっくりそのまま返してやるよ」


 ……あれ、それだと俺がいつも負けてるみたいに聞こえるか。まあいいや。


 コートに着くと、数打のサーブリターンの後、サーブの先攻後攻を決め……試合は開始された。


「ザベストオブ3セットマッチ。奥村サービストュープレイ」


 審判のコールが響き、俺はサーブを放った。


 ……試合をこなしながら、ふと思い出していた。


『……でも、苦戦するかはどうかしら?』


 そう不敵に微笑む結衣のことを、思い出していた。




「ゲームアンドファーストセット奥村、6-2」




 不思議だった。

 結衣の指示する練習に付き合って数週間。思わずめげてしまいそうな長時間、高負荷の練習に明け暮れて……自分の体が鍛えられていることはわかっていた。


 でも、まさか。


 ……ここまで。


 ここまで、別人になっているのか。



 自分のプレイはずっと目にしているから、わからなかったのかもしれない。

 自分がどれだけ成長したか比較出来る相手がいる。その比較対象として練達された腕前を持つ根津君という相手がいるから……今、俺はそのあまりの自分の成長具合に目を丸くしてしまっているのかもしれない。


 荒れた息で走り回る根津君。

 その根津君を……もっと、消耗戦に持ち込まれると思っていた根津君を圧倒している自分。


 ……あいつは。


 結衣は、それがわかっていたから不安げな俺にあんな強気なことが言えたのか。




「ゲームセットアンドマッチ奥村。2セットトゥ0。6-2。6-1」




 ……これなら。



 これならもしかしたら、塩田君にも……!




 微かに、俺の心に希望が見えた。

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