厄介な幼馴染
あの日、平塚に練習試合とはいえ勝利を収めた日の翌日。逃げるな、と言う幼馴染の言葉が深く心に染み渡り(誇張表現)、俺に献身的な幼馴染のために勝利(さらば青春の光)し中々寝付けず、それでも目覚めた時は清々しい気持ちだったあの日。
あれから、二週間程の時間が経過した。
あの日以降、俺はずっとヤキモキしていた気持ちを抱えて練習していたのに、まるで憑き物が取れたように練習に没頭した。あの幼馴染のサポートもあり、本当に、ただ、練習に没頭した。
その結果。
……朝、筋肉痛で痛む二の腕のせいで目を覚ました。昨晩は奴に言い含められた柔軟が上手くいかず、いつもより少し遅い時間に寝ることになった。
奴は俺に言った。
明日もキチンといつも通りの時間に朝練に来るように、と。
日々の鍛錬こそ強固な体作りに必要不可欠な要素。そもそも程よくサボっているから今程度の練習に付いてこれない。
え、何?
……あんた、逃げるの?
そう煽られたら……煽り耐性がない俺があいつの指示に従って練習するのは、至極当然だった。辛い練習の日々、ただその中でも一番腹が立つのが、確かに最近効率的に体が鍛えられている気がすることだった。
正しい汗を掻くこと、それはイコール正しい運動が出来ているということ。正しい体の鍛え方が出来ているということ、と奴は言った。
その時の奴のドヤ顔が凄い腹が立ったが……その効果は実感せざるを得なかった。
あいつは匂いに対する確固たるフェチを持っている。だからあいつは、極上の匂いを得るための確固たる方法を確立している。それがまさかこんな形で役立ち、こんな形で恩恵をもらって。こんな形で逃げ道を塞ぐ原因になるだなんて、思ってもいなかった。
ただ、思う。
あいつの練習の効果を実感して尚、思う。
「あーあ、今日は雨降らないかなあ」
カーテンを開け、雲一つない空を見て俺は呟いた。
小さい頃からテニスをしてきた。テニスではずっと、苦楽を体感してきた。どちらかと言えば、苦しいことの方が多かったかもしれない。
でも、今程テニスに打ち込みたくないと思ったのは初めてだ。
……だって、あいつ俺の練習の成果を匂いで判断するんだもん(泣)。
あたしは目で得られる情報より鼻で得られる情報の方が確からしいと思っているの、だとか。
あんたのテニスウェアの匂いを嗅げば、あんたがどれだけ今日邪心を持っていたかわかる、だとか。
お前の鼻なんなん?
嘘発見器なの? それとも血圧計? センサーとか内蔵されてるの?
小さい頃、あれだけあどけなかった少女がこんな道に進んでいくだなんて、一体誰が予見しただろうか。一時はテニスウェアを信仰する宗教家かと思ったけど、そんな表現すら生温い。お金儲けに走るカルトも顔真っ青にするレベルの欲望の強さだ。
ああ、小さい頃のあいつは良かった。笑顔はまるで太陽のようだったし、困っている時は心の底から助けたいと思ったし、助けてあげた時の涙交じりの笑顔は……本当、可愛かったもの。
……今のは別に違う。
別に俺は、あいつのことが好きってわけじゃない。
過去の話だ。そう、今のは所詮、過去の話だ。
過去は過去。
今は今。
そう、今は今、なのだ。
まもなく、朝練に出なければいけない時間。雨が降る気配は一切ない。
はあ、とため息を吐いて、俺は学校に行く準備をした。
……前のようにあいつが正しい人、と思えたなら、ここまであいつの煽りに反抗心を剥きだすことはなかったのに。
変態のあいつに煽り合いで負ける。それほど屈辱的なことはない。
だから、どれだけ行きたくなくても、俺は我慢して身支度を整える。
それが地獄への片道切符とわかっていても、選ばざるを得ないのだ。
「行ってきます」
まだ家族が皆寝ている時間。静かな声で家を出た。
そして、俺はぎょっとした。
家から数歩先にある門扉の向こう、そこに待ち人が一人いたのだ。
「おはよう。時間通り。偉いじゃん」
「……何でいる」
そこにいたのは、結衣だった。
こいつと俺の学校の到着時間はほぼ変わらない。電車を一本別に乗り込むくらいの差である。
ただ、こうして家の前で待たれることは今までなかった。変態が家の前に張り込んでいるとは、まさしくストーカーチックで身の毛がよだった。
「はい」
そんな俺に構うことなく、結衣は小さめのジップロックを差し出してきた。中にはおにぎりが二つ。
「……どういう風の吹き回しだ?」
「おばさんも加奈も、まだ寝てるでしょ?」
そりゃあ、こんな朝早くだもの。当然だ。
「最近さ、匂いの質が悪いの」
「えっ……」
あんなに練習させて?
確かにここ数日、こいつの機嫌があまり良くない。だからこそ俺も朝練だるいと思ったわけだし。
「最初はさ、代謝が上がるようなお弁当をお昼に見繕っているわけだけど、それが悪いのかなあとか思ってたの」
「はあ」
「でも昨日、加奈を問い詰めて理由がわかった」
加奈、お前この変態の毒牙に……うぅぅ。哀れな妹よ。
「あんた、最近朝ごはん食べてないでしょ」
「……うん。まあ」
寝ている家族を起こして朝ごはんを準備させるような酷いことをする男じゃないよ? 俺は。
でも、自分でも料理は作れない。だから、朝は抜いて学校に行くことが増えた。
「なんでもっと早く相談してくれないのよ」
「あ、はい」
まあ、朝ご飯抜くくらいなら何とかなるかなと思ったのが本音である。お昼になると、こいつが用意した弁当を食べないといけないわけだし。ただそれが明るみになってそこまでご立腹なされるとも思ってなかった。
「いいえごめん。これはあたしの監督責任ね」
「いつ誰が誰の監督になった」
「ごめんなさい。これからはあたしがあんたの朝食も用意するわ」
話を聞けぃ。
……ま、朝食を振舞ってくれるなら、それに越したことはないんだけどさあ。
ないんだけどさあ……。
なんだか少しずつ、俺がこいつに依存しつつあるのは気のせいだろうか?
こいつへの依存度が増していく。
それすなわち、こいつの性的欲求に俺が付き合わされる機会が増える、ということ。
それすなわちすなわち、俺がこいつの要求を袖に出来なくなる、と言うこと。
順調に逃げ道、塞がれてますねえ。その内テニスウェア以上の物要求されるんじゃないか、これ。
「ありがとう。有難くもらう」
「ん。電車の中で食べて。で、味の感想を教えて。好みの味付けに変えるから」
ま、小腹も空いているしもらえるものはもらっておこうと思った。そしたら贈られる献身的な言葉。
一瞬勘違いしそうになったが……こいつがこう言っているのが全て自分の利益のためと思うと、本当にブレない人だ、とそろそろ俺は感心するのだった。
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