通常運転

 喧騒とする外。小さく開いた窓。窓から舞い込む風で揺れるカーテン。

 そんなカーテンを、仰向けに寝ながら見ている俺。


 目を覚ました時、知らない天井で寝ている状況に思考が停止した。しかしまもなく、俺は思い出す。




 そうだ。あの変態の安い挑発に乗ってダウンしてしまったんだった。




 思い出すだけで悶えてしまうような黒歴史。悶えずに済んだのは、未だ体がまるで鉛にでもなったかのように重かったからだった。

 うぅぅ。


 あいつ、どんだけキツいことさせやがるんだよ。

 まあ正直、途中からあれ、これやばそう? とは思ったが、そこで引ける程俺は割り切りが良い人間ではなかった。その結果がこの様かよ、っけ。


 ……今、何時頃だろうか?


 担架に乗せられ、保健室に運び込まれ、そうしてずっとここで寝ていたようだ。朝食べてきたご飯が消化され、少しずつ空腹感が襲って来た。

 白いカーテンに囲まれたベッドの周りには、時計がない。だから時間がわからない。


「ぐぎぎぎ……」


 鉛のような体を必死に起こして、窓のカーテンの隙間から外を見た。体育着を着て楽しそうにサッカーをする若人。ああ、今は体育の時間。つまりは、授業中ってことか。


 一瞬、授業に今から参加しようかと思ったが……まだまだ体も重いし、もう少し寝ていようか、と心変わりをして、ベッドに体を倒した。


 この光景を件のあいつに見られたら、もしかしたらまた逃げている、だの言われるかもしれないな。

 だけど今回ばかりは、あいつのせいでもあるし? これは無罪。


 そもそも俺は、学力の成績で一度だってあいつに負けたことがないし、授業のことでとやかく言われるのはお門違いってやつだ。


 だから、俺は目を瞑って再び惰眠に耽った。

 こうして昼下がりに寝ている、と言うのは、小さい頃熱を出して学校を休んだあの日のことを思い出す。

 あの頃は今もまあ体は小さいが、それ以上に周囲に比べて体が小さくて……背の順ではいつも一番前。そんな虚弱体質故に熱を出し、一日家で寝ていたんだっけか。

 いつもなら授業を受けている時間に、教育テレビを横目に惰眠。昼のワイドショーを見ながら昼ご飯。

 再び、惰眠。


 あれは、楽しかったなあ。いつもなら授業を受けているような時間だったから、それをサボって悪いことをしているような、そんな感覚だった。



 でも、一番楽しかったのは、隣の家に住む幼馴染が見舞いに来てくれて、たまには一緒にと夕飯を食べたことだった気がする。



 ……なんか今の回想、俺があいつのこと好きみたいに見えるじゃんか。

 違うぞ。違うからな? 振りじゃないからな?


 俺達は犬猿の仲。

 俺はあの変態に手を焼く苦労人。


 それが真理であり現状だ。


 オッケー?




 ……でも。



 担架で運ばれる途中の、あいつの謝罪。そして、申し訳なさそうな顔。


 あれは……少し堪えた。

 どうせならいつも見たいに、もっと変態染みたことをしろよ、と言うのは、俺のエゴだろうか。



 シャーッと軽快な音で、カーテンが開いた。


「くあっ」


 けたたましいその音に、思わず目を覚ましてしまった。

 寝ぼけた目で視界を右往左往させて、ようやく俺はカーテンが開けられたことに気が付いた。


 カーテンの隙間に立っていたのは、結衣だった。


「……あ」


 丁度、あいつのさっきの顔を夢見ていたせいで……気軽な言葉は何もかけられなかった。


 そんな俺の様子を気にも留めず、結衣はそそくさとベッドの隣の椅子まで歩いた。


 そして椅子に座ると、結衣は黙った。


 沈黙。

 沈黙。

 また沈黙。


 さっきのこいつの顔のせいで、なんと声をかけて良いかわからなかった。


 こいつの言葉を、俺は待つしか出来なかった。




「ごめん」




 一番に、結衣は謝罪した。

 その謝罪に、再び俺は耳を疑う。良識ありまくりなこいつに、何かの企みを予見するが、生憎そんな裏はなさそうだった。


 ……え、じゃあ。


 もしかして……本当に。

 本当に……申し訳ないと、そう思っているのか?


 こいつが……あの、変態が?


 六年間も俺のテニスウェアを俺に黙って使用していた、こいつが?






「大失敗だったっ!!!」




 ……しかし。


 申し訳なさそうに、何かを悔やむこいつを見て……俺は悟る。






 あ、いつものやつだ。


「……もっと、上手くやれたはずなの」


 そして、こいつの独白が始まる。




「高負荷トレーニング。もっと、効率的に負荷を与えられたはずなのよっ!」




 頭が痛い。

 こいつ……俺をダウンさせたことに対して申し訳ないと思ったのではなく、俺をもっと効率的にダウンさせられたと、自分の不手際を思って、謝罪してきたのか?


 ……ああいや、それはない。


 こいつの本性を知ってまだ四日だけど、こいつがそんなにサディスティックな奴ではないことを俺は知っている。


 こいつは、多分こう思っている。




「もっと効率よく、芳醇な香りに仕上げられたはずなの!」




「それは悔いても良いけど謝罪することじゃねえから」


 思わず突っ込んでしまった。

 そんなことで謝罪されるこっちの身にもなってみろ。


「そもそも……なんだ? もっと芳醇な香り?」


 ああ、頭が痛い。ゆっくりと整理しようと思って、俺は一先ず思ったことをこいつに問いかけることにした。


「あれだけ汗を掻かせて、それだと駄目だったのか」


「当たり前じゃないっ」


「当たり前なのかー」


 おかしい。

 整理をしたくて。解を導きたくて質問をしたのに、余計に頭が痛くなった。


「いい? 汗一つ掻くにも、正しい順序。正しい手引きがあるのよ」


「はあ」


「あたしは、あんたをイジメ抜けると興奮した。気持ちが急いてしまったのっ。あたしならもっと仕上げられたはずなのに、止められなかったのっ!」


「うわぁ……」


 不思議だ。

 答えがわかって余計頭が痛くなることってのもあるんだな。


「もっとうまくやれた。あたしならもっとあんたのポテンシャルを引き出せたっ」


 わなわなと後悔に震える結衣に、俺は最早かける言葉は思い付かなかった。




「だからごめんなさいっ」




 可愛らしく謝るこいつのおぞましいフェチに……呆れるしかなかった。


「今度は絶対に上手くやる。だから……本当にごめん」


 ……何より。




 俺をダウンさせたことより、好みの匂いの生成に失敗した方が悔いるって、どんだけ……。


 目尻に涙まで蓄えているし。


 ……ん?


「え、今度?」


 もしかしてこの苦行、また行われるの?

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