説く信仰心。問われるヒロイン力
テニスウェアに着替えてテニスコートに向かうと、結衣は一人せっせと朝練の準備を始めていた。テニス部の朝練。基本的に個人スポーツであるテニスにおいて、マネージャー業務はたかが知れている。野球部のようにスコアブックを取ったりすることもないし、全寮制の全国区の運動部のように洗濯だとかそういう雑用だってするわけではない。
そもそもウチのテニス部のマネージャーは結衣一人だ。野球部だって数人マネージャーがいるのに、たった一人で仕事が賄えてしまうのだから、その仕事の量がそれらに比べるとそこまでではないのは一目瞭然だった。
とは言え、結衣は基本的……本当に、基本の基本的には超が付くくらいの真面目な人。そんな彼女が、自ら仕事を作りに行って他部員に献身的な態度を示しているその姿は想像に難くなかった。
今朝、初めてこの時間に朝練に来て……そうして結衣と会って、あいつが変態である事情を知っていたから、俺は思わず飛び退くくらいに驚いてしまったのだが、思えばあいつは、いつも朝練の日はこの時間に学校にやってきていたのだろう。
本当に、献身的で理想的なマネージャーの鏡のような奴だと……本性を知らなかったのなら思えたのになあ……。
「あんた、今あたしに失礼なこと考えているでしょ?」
「いや、そんなことはない」
「本当に?」
「本当だ」
事実を思うことの、何が失礼なのだ。
そう思っていたら、頭をひっぱたかれた。
「顔に書かれている」
「そんなわけないだろ?」
「……じゃあ、試しに油性ペンで書いて当ててあげようか?」
それは最早嫌がらせ。俺がうん、ともすん、とも頷くことがないことを、こいつは察しているのだろうか。
気を取り直して、軽いウォーミングアップから俺は開始した。
いつもならお粗末にするそれも今日は随分入念に作業した。入念な準備をせず、怪我をする。そういう馬鹿なことだけはごめんだった。折角、こうして盛り上がりつつあるのに。それに水を差しては、駄目だと思った。
結衣は、これからやってくる部員達のための飲料水作り。テニスボールの在庫チェック。倉庫の手入。そんなことを手慣れた様子でさっさと行っていた。
「手伝おうか?」
そんな気もなく、ウォーミングアップしながら俺は言う。
「良い」
「なんで」
一人でやるより、二人でやる方が作業効率は良いだろう。
「作業効率が上がるのは、手慣れた人が増えた時だけ。手慣れてない人が増えても、ただの足手まとい」
「確かに」
納得するくらいには、俺はあの倉庫に近寄ったことがなかった。
「最初から手伝う気ないなら言わなきゃいいのに」
「なんか、言った方が良い流れかなって」
別々の作業をしながら、俺達はくだらない話を続けた。思えばこうして結衣と二人きりでゆっくり話したのは、いつ振りだろうか。
……一昨日の夜のカミングアウトは、あれはゆっくりではなかったから違う。
「手伝う気なかったことは認めるんだ」
「おう」
「……まあ、あたしはあんたのそれが手に入れば何でもいいんだけどね」
こちらを見ようともしない結衣が、俺のテニスウェアを正確に指さしていた。距離にしてコート半面分くらいはあるのに、それでもなおテニスウェアにかける執念だけは一人前か。末恐ろしいクンカーだぜ。
「……思えばさ、お前がテニス部のマネージャーし始めたの、中学からだったか」
「そうね」
「もしかして、あの時からこれ目当てでマネージャー始めたの?」
何の気なしで、俺はそう尋ねた。
しばらく、無言の時間が流れた。
はあっ、と深いため息を吐いたのは、結衣だった。
「あんた、馬鹿?」
……まあ、確かに。
「ごめん。そうだよな。そんなはずないよな」
さすがにそれは、たくさんの部員を手助けしたいと思いマネージャーを始めた結衣に、失礼な質問だった。心の底から、俺は酷いことを言ってしまったと反省をした。
そうだよな。
当然だ。
まったく、どれだけ自意識過剰なんだって話だ。
自業自得だと言うのに、俺は深い羞恥と後悔を感じていた。
「それ以外に何があるのよ」
……しかしまもなく、俺は目を丸くした。白黒ともさせた。
「……今なんて?」
思わず、聞き返していた。
「だから、あんたのテニスウェア目的以外であたしがどうしてマネージャーなんて始めると思ってるのよ」
……。
「うわあぁぁ……」
こいつ、本当ブレなさすぎだろ。
「何が、うわあ、よ」
引いていると、更に叱られた。
「別に、あたしのことはどれだけ引いても構わない。でもね、あたしどうしても今のあんたの発言で許せなかったことがあるんだけど」
「許せなかったこと?」
「あたしの、あんたのテニスウェアにかける信仰心よ」
「うわあぁぁ……」
「あんたはあたしのそれにかける思いを踏みにじった。とても簡単に許せる気がしない」
「うわぁ……」
「倉庫の整理なんて後」
何かに憤慨している結衣が、倉庫を背にして立ち上がった。真っすぐ、こいつは俺を睨んでいた。どうやら本当に地雷を踏み抜いてしまったらしい。
「その腐った心、あたしが叩きなおしてやる。そこに直りなさい。意気地なし」
怒った結衣は、どうも俺の手に付けられる気配がなかった。
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