女子禁制

 試合は俺の勝利で幕引きとなった。

 試合後、平塚はイライラしながらコートを出て行った。俺の展開した攻撃パターンのせいか、それともこの学校で一番強いと思っていた鼻っ柱が折られたせいか、そのイライラしていた理由はわからないが、あまり不憫に思わなかったのは事実だった。


 部活後、珍しく俺は居残り練習を敢行していた。いつもなら一目散に帰る癖に、今日はどうしても居残りで練習をしたい気分になっていた。

 平塚、と言う男の強さ。

 それは長らくテニスを続けてきた身であっても、認めざるを得ない強さだった。やはり高身長は羨ましいと思ったし、奴のサーブの速さは中々体感出来ない代物だった。

 一時は、いつものように勝てない、とそう諦めた始末だった。

 

 でも、その状態から逆転出来た。


 負けると思った相手に順当に負けなかった。

 思えばそれは、最近ではもう滅多に味わえなくなっていた、俺の好きなテニスの一つだった。


 その歓喜が忘れられなくて。

 その感動が体に身震いを起こして。


 帰りたくない。

 まだ、練習をしたい。


 いつもなら思わないそんな感情を俺に感じさせていたのだ。


 部室に戻ったのは、皆が帰宅していった一時間後くらいだった。施錠用の鍵は預かっていた。

 完全下校時間を過ぎることになるから、鍵は明日朝一で朝練に来て返してくれ、と部長の大和先輩に言われていた。

 昼休み、あんな話をしていた人であったが、この人は基本は面倒見が良くて、優しい先輩だった。


 部室の扉を開けて、室内にあるベンチに腰を下ろした。

 この部屋は、数十人の野郎が集るむさ苦しい部屋。おかげで今も汗臭いくらいの悪臭を放っていたが、ベンチから俺は中々立てなかった。

 体の疲れがピークに達していた。


 でも、ストレスはまるでなかった。


 まだまだ、自分はやれる。

 その事実が、未だ内心で闘志を燃やしていた。


 ……ただ、今になって少し癪なことがある。

 それは何より、こうして自分がまだ戦えることを教えてくれたのが結衣だった、ということだった。


「あの変態に見抜かれるんだなんて」


 思わず、静まり返った部室内で呟いた。

 しかし、そう呟いた後、俺は変な笑いがこみあげた。あいつが俺のことを見抜いてない時なんて、一度もなかったからだ。


「……アハハ」


 本当に、あいつは変態だけど……凄い奴なのかもしれない。


 ……そう、感慨深い気持ちになって。




「何笑ってるの」




「ぎゃああああああっ!」




 突如として聞こえてきた聞き馴染みのある声に、俺は飛び上がって叫んだ。

 だって、もう誰もいないと思ってたから。だから……虚を突かれて飛び上がった。


 部室の扉の前。

 そこに立っていて、今俺に声をかけてきた奴。


 それは今思っていた、変態。




 結衣だった。


「おま、お前っ、もう完全下校時間過ぎてるぞっ」


 目を白黒させながら、俺は言った。


「あんたがそれ言う?」


 確かに。


「と言うか、ここ男子テニス部の部室! 女子の入室厳禁!」


「あんた、さっきあたしにここで昼ご飯食べさせる気だったじゃない」


 ……そうでした。


「って、そうじゃない!」


「喧しい男ねえ」


 それはどっちの台詞……あいつの台詞か。さっきから俺、夜分にも関わらず凄い叫んでいるし。ただ、なんだかやっぱり憎たらしい。


「……今から、俺着替えるんだよ。出てってくれよ」


 何が憎たらしいって、そこにいたら着替えられないことが憎たらしい。


「そう。これから着替えるんだ」


「おう。だから、早く」


 俺は結衣を急かした。疲れもピークだし、これから後は早く帰って明日に備えたかった。明日の、朝練に備えたかった。


「ふうん」


 結衣は、俺の意を汲み取って……汲み取った上で、俺が座るベンチの隣に腰を下ろした。


「なんでだよ」


「別に今更あんたの裸を見ても、なんとも思わないし」


「それ、理由になってない……」


 と、言い終えてから……俺は、少し心変わりをしていた。

 まあ確かに、小さい頃はこいつと一緒に、お風呂に入ったこともある仲。我慢すれば、その羞恥も多少は耐えられる。何より今、この部屋は灯りが灯っておらず暗い。

 これなら、まあ……。


 これ以上言っても無駄だろうし、刃傷沙汰になりたくないし……そして、さっきの試合のアドバイスのこともあって、俺はこれ以上強く結衣に文句を言う気が失せていた。


「じゃあ、絶対にこっち見るなよ」


「乙女か」


 乙女のあなたがそこに佇むから俺がそう言うこと言わなきゃいけなくなってるんだよ。わかれよ。


 ……まあ、いいか。


 さっきから、自分でも少し驚く。

 ここまで、こいつに文句を言おうと思わないのは。


 ただ、理由は考えるまでもなく明白だ。




 それは、さっきの試合のことだった。




 あの時。

 あの前から。


 もしあいつが、俺に逃げるな、と言ってくれていなかったら。



 俺は果たして、あの試合に勝てていただろうか。

 試合の前から、腐らずに、再び部活に出ようと思えただろうか。


 ……ああ、そうか。


「ありがとな」


 お礼を言ったのは、俺だった。

 今、こうしてこいつに強い口調で俺が文句を言えない意味。それはやはり……こいつのおかげで、俺がまだテニスを続けられるから。


 こいつのおかげで、自分の可能性に気付くことが出来たから。


 それを気付かせてくれた結衣に……こんなことで、文句を言えるはずがなかった。


 むしろ……。


「ありがとう。お前のおかげで、俺はまだテニスを続けられる」


 俺は、もう一度結衣にお礼をした。

 こいつのおかげで、まだ俺はテニスで戦える。




 ……結衣は。

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