良い匂い
コートに辿り着いた俺達は、ネットを挟んで向かい合った。
ラケットを回して、俺は尋ねた。
「フィッチ?」
「ラフ」
「スムース。サーブ」
短いやり取りで、俺達は背を向け合った。
ベースラインのデュースサイド。まもなく、試合が始まる。今回の試合は、練習試合ということもあり1セットマッチ。恐らく、サービスゲームを先に取れたことはこちらに有利に働く。そんな気がした。
……ただ、さっきの平塚の自信満々な態度が、俺の脳裏に引っ掛かった。あいつに策略があるかも、と気になったわけではない。
ただ、最近の俺はあんなに自分の実力を疑わずに試合に望めている機会がないな、とそう思っただけだ。
全国大会にまで出場出来るくらいの実力があるのだから、普通の人よりは実力が伴っているはずなのだ、俺は。
でも、あれだけの自信はやはりない。
あの自信も、高身長であることが要因の一つだったりするのだろうか。
やはり、身長が高い奴が羨ましくて仕方ない。
……とにかく、サービスゲームをキープ。
俺は大きく息を吸って、吐いて……トスを天高く放った。
まずは、スライス回転のワイドサーブ。
平塚をコート外になるべく追い出して、返ってきたボールを逆サイドに振って見せた。平塚は追いつけずにこちらのポイントとなった。
15-0。
アドサイドからのこちらのサーブは、キックサーブ。これもワイドに打って、平塚をコート外へ追い出した。返ってきたボールを逆サイドへ配球。
30-0。
これが俺のセットプレイ。ラリーも長引かず、体格差があることが多い俺にして、これほど楽に得点出来るセットプレイはなかった。だから試合の序盤はこのパターンを多用出来るように図ることが多い。
ただ、それをこなすにはある程度のコントロールが要求されるが……幸いコントロールは、俺がテニスで一番得意な分野だった。
1ポイント目と同様のセットプレイで、俺は40-0まで平塚を追い込んだ。
アドサイドへ移ってのサーブ。
そろそろ奴もワイドのサーブ読んでくる頃。そう思って俺は、センターにフラットサーブをお見舞いした。サービスエース。ラブゲームでこのゲームを奪って見せた。
一先ず、初っ端のゲームはキープ出来た。少し、俺は安堵していた。
チェンジコートの途中、
「先輩」
俺は平塚に話しかけられた。
「思ったより、サーブ遅いですね」
……平常心。平常心。
平塚のサービスゲーム。
平塚はトスを放った。黄色いボールが宙を舞い、奴の白と赤のラケットがボールを捉えた。
速い……!
そう思っている内に、ボールはこちらのサービスラインでバウンドをしていた。
サーブは、スライス気味のワイドサーブ。俺は反応こそすれ、ラケットにサーブをかすらせることは出来なかった。
平塚は全国区の有名なプレイヤー。だから、ビッグサーバーという情報は事前に知っていたが、体感の速度は予想以上だった。
俺は……額の汗を拭っていた。
ビッグサーバーは、正直苦手な相手だった。テニスとは、サービスゲームが交互にやってくるスポーツ。そして、2ゲーム以上離されなければ負けることがないスポーツ。
故に、ビッグサーバーは強い。自分のサービスゲームをキープ出来る可能性が滅法高いからだ。
奴のサーブ。高校生にして170キロには及んでいようか。恐らく、高校トップ級だ。そのサーブに、俺はあっさりサービスゲームをキープされてしまった。
一息吐いて、今度は俺のサービスゲーム。
こいつ相手なら、サービスゲームのキープは勝利の必須条件。
どこまで粘れるか。
そんなことを考えながら試合は続いた。
ゲームカウント3-3。
お互いサービスゲームを落とさない試合展開が続いた。練習試合とは思えない緊迫した試合展開の中、俺は焦りを感じていた。
平塚のサーブ速度に目は慣れつつあった。だけど、まだ平塚のサービスゲームをブレイク出来そうな糸口が掴めていない。
仮にサーブを返球出来たとすれ、速いサーブの返球は相手にとってチャンスボールになっているパターンが非常に多かった。そのまま、チャンスボールを冷静に決められたのが第6ゲームでキープを許した要因だった。
これからもサービスゲームをブレイク出来るかわからない。だから、俺もサービスゲームを落とせない。
そんな緊張が、焦りへと変わりつつあったのだ。
そして、第7ゲーム。
俺は、平塚にサービスゲームのブレイクを許した。
チェンジコート。足取りが重かった。
反撃の糸口も掴めていないこの状況で……サービスブレイクされたのは致命傷だった。
ベンチに座り、タオルを頭から被せた。
負け。
その二文字を振り払おうと努めたが、そうしようとすればするほど、その言葉が脳裏にこびり付いていくのだった。
「……チクショウ」
結局、負けるのか。
体格差のある相手に、成す術なく、負けるのか。
やはり、無理だった。
無理だったんだ……。
小さい頃はただテニスが楽しかった。練習すればするほど、出来ることが増えていくのが快感だった。そして練習で見つけたことを本番で実践するのが楽しかった。
最初は、ただそれだけだった。
なのに、身勝手な連中のせいで肩書が付き、気付けば色んな人にとって俺は敵となっていた。好敵手、と呼ばれ、討たれる相手として存在しなければいけなくなった。
敗北すれば相手が賞賛され、勝利しても当然の一言で片づけられ……。
遂には、そんなことさえ言われなくなった。
まただ。
また……同じ道を辿る。
また俺は、堕ちていく。
「まだ足りない」
気付けば、隣に結衣が座っていた。
「全然、走り足りない」
結衣は、匂いを嗅ぎながら物足りなさそうに文句を付けてきた。
「……悪かったな。でもあいつ、ストロークも強烈だから……走らされる前にウィナー取られる」
守備的なプレイも出来ず、肩身が狭いテニスをさせられているのはそれが要因。
わかっているんだ。そんなこと。
「だったら、攻めるしかないね」
「十分攻めてる」
「そうじゃない」
結衣は首を振っていた。
「もっと、リスクを取るしかない」
「リスク……? あぁ、なるほどね」
少し、結衣の言いたいことを理解した。でも、それは……少し展開を考えて、俺は首を振った。
「相手の力量を考えると、それもキツイ」
「でもさ……」
結衣は、微笑んでいた。
「このままプレイしても、負けは変わらないよ?」
目から鱗だった。
……確かに。
強敵相手に、リスクも取らず安全なプレイで勝利しようなど、虫が良すぎる話だったかもしれない。
「良いこと教えてあげるよ」
「何?」
「あんたが一番良い匂いがする時の話」
「……それは、別に聞きたくないかな」
「まあまあ、聞きなさいよ」
フフっと微笑んで、結衣は続けた。
「あんたが良い匂いを醸す日。まずは……試合の日。でもね、更に条件があるの。極上の匂いを出す日」
「……それは?」
「全力で足掻いた日」
「……そっか」
「負けたくないって。策を弄して。走り回って。そうして勝ちを掴んだ日。頭も、体も、全部目一杯に使うから……あの日は、凄かったよ」
……へえ。
「やっぱ、聞かなきゃよかった」
本当、碌な話じゃないな。
……ただ。
「あたしはどうしても言いたかった」
結衣は、そう言った。
「なんで?」
「だってこう言えばさ、アキラは応えてくれるでしょ?」
「……さあな」
でも、落ち込んでいた気持ちは、少し晴れた。
「ありがとう、結衣」
タオルをベンチにかけて、俺は清々しい顔でコートに戻った。
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