練習試合

 部活前に玄関で起こしたひと悶着。別に誰かの注目を集めるようなことはなかったが、しばらく泣き続けた結衣に付き添って、少し遅れて俺は部室へと向かった。


「復帰初日から遅刻しやがって」


 何故か、結衣からはそんなお叱りの言葉を頂いた。復帰と言っても、部活サボったのは一日だけだし……何より、誰が泣いていたせいだって言うんだ。

 でも、それは喉元まで出てきたが声に出すことはなかった。


 ……ほ、ほら。

 変態に恨みを買って、刃傷沙汰にはしたくないから。


 部室には、既に誰もいなかった。鍵は開いていたから、さっさと着替えてコートへ向かった。


 コートに近づくにつれて、視線を感じた。

 快活な掛け声響くコートから……好奇。驚嘆。様々な種類の視線が、俺に注がれいた。


 震えそうな足をなんとか進めて、コートへと繋がる金網の扉をゆっくりと開けた。錆びた扉は軋む音を立てて……まもなく、部員達の掛け声が止んだ。


「お疲れ様です!」


 意を決して、俺は声を張った。

 またここに来た。また、俺がここにやって来た。


 そのことを高らかに宣言するように……そう言い放った。


 しばらくは、二年の練習に交じっていた。ショートラリー。クロスラリー。その他基礎練。緊張して気付いていなかったが、よく見れば結衣もいつも通りマネージャー業に励んでいた。

 いつもは気にならなかったが、見れば度々結衣から熱視線が俺に注がれていることに気が付いた。


「走り足りないよ」


 基礎練習が終わった頃、背後に忍び寄ってきていた結衣からそう冷たく言われた。


 え、さっきの涙何だったん?

 幼馴染の心変わりの早さに、少しだけ気持ちがめげた。


「集合」


 そんな感じで一日振りの部活動に汗水たらしていると、顧問から集合の号令がかかった。


 いつもは、顧問がこうして皆を集合させることは珍しかった。放牧主義の人だから、各々自由気ままにラリーをしていた。それでも締めるところは締めるから、意外と気が抜けないんだと部室で誰かが呟いていたのを俺は覚えていた。

 そんな顧問の呼び出しに、部員達の顔に緊張が走っていることに俺は気付いた。皆が、顧問の一挙手一投足に注目をしていた。


「突然だが、今日は新入生の実力テストも兼ねて試合を行う」


 顧問はそう宣言した。


 試合。


 皆が好むその言葉。他人の試合を見ているのも練習の一環と誰かが言うが、試合がない人は端で休めるところが連中は気に入っているらしい。

 ただ、俺にとっては嫌いなイベントだった。


 この部活で、俺の実力は上から数えた方が早い。

 そんな俺は常に勝つことを宿命づけられている。勝っても褒めてはもらえず、むしろ負ければ相手に喜ばれる上、色んな人から叱咤される。

 だから俺は、試合が嫌いだった。


「奥村、お前の相手は平塚だ」 


 ただ……そんな俺の試合相手は、よりによって平塚と相成ってしまった。

 顧問から平塚の名前が呼ばれた瞬間、頬が強張ったのがわかった。


 一学年下の強敵との試合。


 さっきの部室での先輩達の話題の答えが、早速今出ようとしているわけだ。


「奥村先輩、よろしくお願いします」


 顧問に呼ばれた後、部員達から見ても頭一つ抜けた身長をしている平塚が俺に近寄った。端正な顔立ちで頭を下げて、俺は少しバツが悪かった。


「よろしく」


 コートまで、俺達は並行して歩いた。


「……先輩、覚えてますか?」


「え?」


 まもなく部員達の話声が聞こえなくなるところで、平塚から声をかけられた。間抜けな声で、俺は応答した。


「僕、前先輩と試合したことあるんですよ?」


「え、そうなの?」


 覚えはなかった。

 最近であれば間違いなく覚えている。高身長の選手の成績を、俺が忘れるはずがない。


「……そうですか。覚えてないですか」


「う……ごめん」


 落ち込んだような声を出す平塚に、俺は頭を掻いて謝罪した。


 しばらくの無言の後、


「アハハっ!」


 平塚は、笑い出した。


「別に良いですよ。小学校の低学年の頃の話ですもの」


「あ、そう……?」


「えぇ……」


 頷く平塚に、俺は安堵を覚えた。




「それに今なら、先輩になんて負けるはずがない」




 しかし、まもなく平塚は聞き捨てならないことを言い出した。


「……何だって?」


「先輩になんて、僕は負けませんよ。負けるはずがない」


「……何を根拠に言う」


「わかるでしょ?」


 平塚の見下ろす目が嘲笑するように笑っていたから、俺は悟った。

 体格差が試合の勝敗を左右する重要な要素であることは、俺も認めざるを得ない事実だった。


「一年にしてこの部で最強。強いってのも時には退屈ですね」


「……退屈なら、もっと強豪校に入れば良かったじゃんか」


「ここじゃないと駄目なんです」


「なんで」


「それは、橘先輩がいるから」


 ……結衣が?

 一体、どうして……まさか。


「ははあ」


 俺は気付けば、ニヤニヤして話を聞いていた。そういう下世話な話、俺だいしゅき……。


「この部で一番となった暁には、橘先輩に告白しますよ、僕」


 息巻く平塚。


「だから、そのためにも僕は……ここで先輩をボコるんです」


 そんな平塚の言葉を聞いて、ふと思った。


 何を思ったって、あの女の本性である。

 あいつ救いようのない変態なんだけど……その本性を知って、こいつは幻滅したりしないのだろうか。


 本性を知った時、平塚がどういう反応をするかはわからない。

 でもとにかく、これだけは言える。


「……お前、女見る目ないな」


「なっ」


 思ったことを口にしたら、平塚は怒り心頭のようだった。

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