第30話
「この砂時計には二つの終わり方があるのさ。一つはさっき言った『上部の砂が下部に落ちきる』終わり方。
そして、二つ目が……
『誰かに割られる』終わり方だ」
(割られる……?)
その言い方に、ティッキーが怪物になってメルヴィルの剣で殺された日の夜を思い出した。アレストはあの日、メルヴィルに「俺を割れるのか?」と言った。殺す、ではなく。
「割られたら世界が滅亡する。シャフマだけでなくこの大陸が洪水で沈む」
大陸が沈むんだ。アレストが繰り返す。その話を聞いていたベノワットは半年前ルイスが倒れた時のアレストを思い出していた。
「あんたは知らないところでだったが、一度割れかけたことがある。あのときは大変だったぜ。割れた砂時計から砂が零れて空を覆った。一瞬で真っ黒な雲ができて大雨さ」
『本当に大変だった。俺はあの日の前から話を聞いていたがまさかあそこまでとは』
「あぁ、そうだな。俺も初めて実感したさ。ガキの頃はヒビが入って少し漏れることはあったんだが、王宮の敷地に大雨を降らす程度だったからな。まぁ、それでも迷惑はかけていたが」
ベノワットがゆっくりと頷いた。子どもの頃はそこまでの被害にはなっていなかったようだ。
「しかし、あのときは違った。どうも、下部の砂がたまっている影響で割れた時の危険度が高まっているらしいのさ。困ったもんだねェ」
おどけて言うが、実際は一大事だ。
「王宮から出られなかったのもそれ?」
「そうなのさ、軍師サン。あぁ、俺も外に遊びに行ってみたいぜ……。くくくっ……なぁ、行ったことないだろ?俺は」
……行っているくせに。とは言わなかった。
「でも、どうしてアレストに砂時計が?」
「この砂時計は代々王子が持つのさ。つまり、父上が子を為したとき……俺が母上の腹の中に生を受けたときに継承されたってことだ」
なるほど。
「だから父上は俺に子がいないことを心配していたのさ。砂時計の継承がされないとシャフマ王族が途切れるからねェ……」
『だが、アレストはヴァンス様に砂時計の寿命を言わなかったんだ』
「そりゃあ言ったらまずいだろう?秘密はなるべく少ない人数で共有しなきゃならない。なにより……父上が自害しかねない。子の砂時計が兵器になるなんて、俺だったら耐えられないね」
ま、どっちにしてももう死んじまったが。とアレストが付け加えた。
(そうか。アレストが子どもを作らないのは、子どものためなんだ)
自分も含め、王宮で暮らしていた女性たちの多くはアレストと子を作るための存在として送り込まれた。しかし、アレストは二十九歳になる今まで子どもができていない。寝てはいるらしいが。
「もちろん避妊はしっかりしてたさ!白魔法ってのは便利だぜ!ギャハハ!!」
(……ちょっと同情心が消えそうだ)
砂時計の寿命があっても女好きなのは変わらないらしい。
「シャフマ王国で王子が守られるのはこういう理由なのさ。割れたらまずいからねェ……。つまり腫れ物扱いさ。
……しかし、腫れ物というのは時に人を狂わせる」
「狂わせる?」
アレストが前屈みになってルイスの顔を覗き込む。
「ふふふ……俺には国の存亡がかかっている。つまり『神』として崇める国民が出てくるのさ」
「!!」
ベノワットがさっき書いた『神』の字。アレストが『神』というのはそういう理由だったのか。
「この国では王子は神聖なものだ。それは砂時計が創られたときから変わらない。俺もその一人なんだが……」
アレストの身体がさらに近づく。黒い布に包まれた大きな胸にドキリとする。
「くくっ……この身体にこの顔だぜ?どこが神なんだかねェ……。儚くも、綺麗でもない。俺にはしっかり人間の欲がある。食欲、睡眠欲、そして性欲も……人一倍あるのさ。歴代の王子たちだってそうだぜ?性欲が有るから子を為したんじゃないか……」
ー『砂時計』を、一緒に創ってよ!
ー私のお母さんもお父さんも創るって言ったんだよ!
ー魔女さんも創ってよー!
ー『砂時計』は、シャフマになくてはならないものだ。この平穏が『砂時計』そのものだ。
昨晩、オリヴィエと街の子どもたちが微笑んでいた。たしかに、平穏はそこにあった。だが、『砂時計』の所有者のアレストは。
(アレストは、こんなに苦しんでいたんだ)
ルイスは分かってしまった。彼が笑いながら話すのは、シャフマ人の『砂時計』への信仰心の高さを理解しているからだと。幼馴染のベノワット、もしかしたらメルヴィルやリヒターにも言っているのかもしれないが……限られた人にしか苦労を零さず、絶対的な神として崇められていた王子……目の前の真っ黒な男。生まれたときから勝手に信仰され、王宮に閉じ込められ、自由がなかった王子。父親を亡くし、国が半壊した今、自分を縛り付け、寿命を迎えようとしている『砂時計』……すなわちシャフマ王国に刃を向ける決心をした彼の心はきっと痛みに苦しんでいる。
「砂時計を最初に入れたヤツが王子を神にしたくても、出来なかったのさ。人間を神にするなんて不可能だ。入れられた王子が砂時計をどう思ったのかは知らないが、結局人の欲と幸せには逆らえなかった。その千年の積み重ね……それが俺だ。見ろ。この身体を!この顔を!聞けよ!この声を!!なぁ!どこが神だ!!?!?俺はカツカレーもラーメンも……女だって出されりゃ食うさ!それのどこがおかしい!?王子だから?この国の王子は神聖だからおかしいと言うのか?」
「ギャハハ!!!俺が、父上が……もっと前の王子たちも含め、この世に生まれた王子たちがコウノトリが運んできた美しい神だって言うのかよ!!結局人間の欲で生まれているじゃないか!!俺の……王子の存在はこの国にとって矛盾さ!いや……この国自体が矛盾だぜ!馬鹿げた神を信じて千年を迎えようとしているこの国自体がおかしいのさ!」
(アレスト……)
アレストの顔は笑っていたが、心は泣いているように感じた。ルイスがアレストの頬に手を添える。
「……そんな神を信じ、永遠なんてないのにすがりついて来たから……砂時計が終わりを告げるのさ……神に、な。この俺……矛盾した王子サマに……」
ルイスの手に自分の手を重ね、頬を擦り付ける。あたたかい。アレストには人間の血が通っている。こんな風に滅亡する運命の国の将来を憂いて激高するのも、アレストが紛れもない人間だからなのだ。それはルイスが、この騎士団が一番知っている。感情を爆発させて爆笑するアレスト、ラーメンをすすりカレーをかきこんで恍惚な表情をするアレスト、魔法弾で反動を受けながらも砂の賊に立ち向かっていくアレスト。彼は人間だ。砂時計が入っているからといって、世界を滅亡させるかもしれないからといって……アレストが人間以外のものにはなれない。
(アレストが人間以外だったら良かったのかもしれない……)
もしそうだったら、彼の言う人間の幸せを知らずに生きていけたかもしれない。大洪水を起こしても、自我が消えても、どちらの結末を迎えてもなんとも思わなかったかもしれない。だが、彼はもう知っている。美味しいものを、かけがえのない仲間を、人間の作った美しいものたちを。アレストは幼い頃からメルヴィルやベノワットたちと絆を育み、父に大切に育てられ、リヒターなど騎士団に守られてきた。ルイスはそれを間近で見てきたが、みんなアレストの砂時計が割れたら困るからではなくアレスト自身を見て接していた。アレストにとってそれがどれだけ心地良く、どれだけ足枷になっているのか……。
(なんとなくしか分からないけど……それでもアレストは、人間を選ぶんだろう)
神か人間か。神に縋くために我が息子まで殺そうとした哀れな父親を見ても尚、たかが人間の中でだけの『国王』という地位に座るために身内を殺そうとした哀れな隣国の弟を見ても尚、アレストは人間をやめようとはしない。それともできないのか。捨てようとしたことはあるのだろうか。
(もしかして私が目を覚ます前のアレストは人間を捨てようとしたのかもしれない)
だからずっとルイスに謝っているのか?『相棒』と何かがあったのか?
ルイスにはまだ聞く勇気がなかった。
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