第24話

アレストから「大事な話がある」と言われたルイスは、彼の部屋の真っ黒なベッドに腰掛けていた。

朝、リヒターから状況を聞いた。昨日この部屋で目覚めるまでの半年間、シャフマで何が起きたのか。国王が亡くなり、砂の怪物と賊が押し寄せ……とても王国として機能していない。ルイスはそれを聞いて何も言えなくなってしまった。半年前、王宮でアンジェたちと楽しく食事をしていた生活にはもう戻れないのか。

「半年間も眠っていたんだ……」

ポツリと呟く。今日の日付は四月二十一日。記憶喪失になってから一年と一日が経過した。

「軍師サン、体調はもう大丈夫か?」

扉の開く音がして、アレストが部屋に入ってきた。

「うん」

「良かった。……本当に丈夫なんだな、その体は」

言い方に引っかかる。自分は体が丈夫と言ったことがあっただろうか。

「軍師サン。あんた、シャフマから逃げないか?」

「え?」

考え事をしていたところに突然そんなことを言われ、拍子抜けする。

「逃げる?」

この国から?

「あんたの剣の腕も、軍師としての采配も、俺たちには必要だ。だが……」

アレストがルイスの向かいのベッドに腰掛ける。この部屋には二つベッドがあったんだった、なんて、どうでもいいことを思う。

「……だが、あんたはもうここにいなくてもいいよ。今まで巻き込みすぎて、すまない」

アレストが頭を下げる。その姿が有り得なくてたじろいでしまう。普段大口を開けてゲラゲラ笑っている、この王子が、頭を下げている。

逃げる?この国を捨てて?その選択肢はアレストの今の姿と同じくらい有り得ない。だって、ルイスはシャフマが好きだ。戦闘は手が震える恐ろしい物だが、ティッキーが砂の怪物になったように……罪のない人間が、得体の知れない呪いで今も苦しんでいるのに、見捨てるなんてできない。騎士団の一員としても、シャフマ国民としても。

「私は、シャフマを救いたい」

それとも、記憶をなくす前の自分は逃げるような人物だったのだろうか。だから、アレストは逃げることを提案してきたのだろうか。

(だとしたら……)

(だとしたら、アレストは、こんなことを言わない気がする)

(きっと『相棒』も逃げないから、私も逃げたくない)

「……救いたい?この国を?」

アレストの声は震えていた。

「じゃあ尚更逃げた方がいいぜ。あんた、シャフマが好きなんだろう?」

「好きだよ。だから、私はアレストとシャフマ王国を元の国にするために軍師をする」

「ふっ……」

アレストがベッドから立ち上がる。半年経って伸びた黒髪がふわりと浮いた。

「いいか、よく聞いておけよ。二度は言わないからな」

「……?」



「俺は、シャフマ王国を滅ぼす」


「この国の全てを潰して」


「シャフマという国を永遠に終わらせるんだ」



ふざけている声ではなかった。

そもそもわざわざ部屋に二人きりにして、からかうなど……いや、この王子ならば有り得ることは有り得るのだが……今日の彼は違う。分かっている、ルイスは分かっているのだけれど。

「アレストはシャフマの王子だよね?」

まさか、王位を奪われたのか。シャフマの王子という地位を、誰かが奪って、ここではないどこかに王宮を建てているのか。その偽物のシャフマを潰しに行く、そういう話なのか。いつものアレストの回りくどい言い方なのか。ルイスを惑わせて笑うための。

「……どうして、自分の王国を滅ぼすなんて言うの?」

アレストを見上げる。

(っ……)

その瞳は、今まで見たことのない冷たいものに変わっていた。

「あんた、本当に何も覚えていないんだな」

一年前にここで目覚めたときに聞いた同じ言葉。記憶を失う前の自分は、アレストがシャフマを滅ぼしたい理由を知っている。

「覚えてないよ。でも、アレストが悪いことをしようとしているのは分かる」

ベッドから立ち上がって言う。毅然とした態度で挑まねば、自分は何も知らないままでこの国から追い出されてしまう。それは嫌だ。

「たしかに私はアレストたちよりもシャフマを知らない。一年前に目覚めて、ストワード王国の戴冠式後に倒れるまでの半年間しか騎士団でたたかってなかった。でも、それでも、私はこの国を壊すなんて考えられない」


「アレストはシャフマを護るためにたたかっていたんじゃないの?」


「……違うね」


「アレスト!!!」


肩に掴みかかる。その広い肩は、肉厚な体は、王子らしくない。だが、ルイスにはたしかに……シャフマを脅かす砂の賊や怪物と対峙していたアレストは……この国を護る王子だった。

しかし、アレストはそれを今否定したのだ。


「俺はこの国のためにたたかったことなんて一度もない。俺の目的はいつでも腐りきったシャフマを滅ぼすことだけだったぜ」

「いつから!!!」

「一年前、あんたが目覚める前から」

「っ……アレスト!」

あの夜、寒空の下でメルヴィルがアレストを殴ったのが分かった。この男は、肝心なことを言わない。今だって本心を隠している。悲痛な表情から、見えそうで見えない感情が溢れてくる。見てられないのだ。

「幻滅したか?」

「……何か、理由があるんだよね」

理性を保ってそういうのが精一杯だった。

「それをあんたに言うか言わないかは俺が決めることだがな」

おどけた声ではない。今のルイスにはそれで充分だった。

「私は逃げない」


「アレストと一緒にたたかう」


「でも、シャフマも救う」


「……欲張りだな」

アレストがルイスに背を向けて低く言う。表情は見えなかった。

そうだ、今は判断しなくてもいい。シャフマを滅ぼす理由に納得するか、救済の方法を見つけて再建させるか……どちらかは最終的に自分で決めればいいのだ。

「私はシャフマ王宮騎士団の軍師。それは、あの日、目覚める前から変わらないよ」

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