第1章【砂の国】
第1話
ルイスは息を止めて目の前の光景を見る。眺める、ことは出来なかった。あまりの衝撃に呆然と立ち尽くし、直視することしか出来なかったのだ。人が殺し合っている。剣と槍、弓、斧のぶつかる音が聞こえる。
「おっと。裏口の方にも賊がいたようだな。むしろこっちが本命か?考えやがる」
「……」
「どうした?軍師サン。まるで初めてみたいな顔をして。慣れているはずだろう?」
アレストの声が遠い。慣れている?そんなわけが無い。これは、初めて見た景色だ。
「そりゃあここ数ヶ月は戦闘に出なかったが、あんたは元々剣士であり軍師だ。ほら、剣を持てよ」
待機していた兵士が駆け寄ってきて、ルイスに剣を渡す。鉄で出来たそれはズッシリと重く、思わず後ずさった。
「王子!危ないです!下がってください!」
他の兵士たちも鎧をガシャガシャ鳴らして二人に駆け寄ってくる。そういえばリヒターも重そうな鎧を身にまとっていた。アレストの方を見るが、彼は真っ黒でシンプルな服を着ている。特に装備品は身につけていなかった。自分の格好も見る。完全に部屋着だ。黒と黄色の軽い服だった。
「俺もたたかいたくてたまらないんだが……分かったよ。今は我慢するぜ」
「軍師殿!意識が戻ったんですね!本当によかった……さぁ、指示をよろしくお願いします!」
大勢の兵士がルイスの指示を待っている。状況が信じられなくて目を泳がせていると、アレストの大きな掌に肩を軽く叩かれた。
「いいか、軍師サン。あそこにいるのが賊のリーダーだ。あいつさえ大人しくすれば他の奴らも逃げる。……あっ、俺のことも守ってくれよ。これでも一応王子サマなんでね」
楽しそうに声のトーンを上げて言うアレストに、今は救われた。血の臭いにクラクラするが、動くしかない。
「出撃、します」
ぐっと拳を握って言うと、兵士たちが雄叫びを上げて周りの賊に向かって走った。ルイスも慌てて剣を構えて賊のリーダーの元に足を進める。
(アレストは王子なんだ。ここが何の国なのかは分からないけど、王子は守らないといけない)
もちろん、リヒターも。ここにいる騎士団も。誰もしなせたくない。そのためにたたかうのだ。自分は。目を覚ます前もきっとそうだったのだろう。
(だったら、やるしかないよね)
敵のリーダーを倒した。ルイスは肉を斬った生々しい感覚が恐ろしくて、敵が動かなくなったことを確認するとすぐに剣から手を離した。
「さすが軍師サンだ。的確な指示だったぜ」
「……アレスト、私は」
言わなくては。私はこんなことをやっていた記憶は無い。ルイスという名前しか覚えていない、記憶喪失の女なのだと。
「ん?……おっと、あっちも済んだようだねェ」
「ぼっちゃん!!!ルイスも!無事だったんですね!」
リヒターだ。泣きそうな顔でアレストに抱きつく。
「うおっと。よせ、俺はオッサンに抱きつかれる趣味はない」
「はっ……!ぼっちゃん、また太りましたね?腹回りの肉が厚くなっていますよ」
「これは腹筋さ。リヒター、軍師サンが復帰してくれて本当に良かったな」
リヒターがアレストから離れる。さっきは急いでいてよく見えなかったが、リヒターは銀色の髪をしていた。大きな斧を持っている。
「えぇ。さすがルイスです。数ヶ月経っても軍師の腕は落ちていないようで」
「あぁ、それなんだがな」
アレストの紫の瞳が揺れる。
「どうやら、こいつは……初めてらしい。そうだろう、軍師サン」
「!?」
気づかれていた。アレストは見抜いていたのだ。自分に記憶が無いということを。
「え?どういうことです?」
リヒターには分からないようだ。記憶喪失だとしたら、顔と名前は変わっていない。戦闘の様子を見ても『記憶を無くした』と確信するとは思えないが……。
「あんた、忘れているのは俺の名前だけじゃないだろう。眠る前のこと……リヒターのことも、どうして王宮にいるのかも、軍師として戦闘に出ていたことも。忘れているんじゃないか?」
ルイスがゆっくりと頷く。否定する要素は何一つなかった。アレストの言う通りだ。自分が忘れているのはアレストの名前だけではなかった。ルイスという名前以外は記憶が飛んでいるのだ。
「そんな……」
リヒターの声が小さい。ショックなのだろう。騎士団の軍師が記憶喪失など、かなり危ない状況だ。
「では、王子の記憶の喪失もあれによるものだと……」
「これで確証が持てたな。命は助かるらしいが、眠る前の記憶が飛んじまうなんてまずい」
自分は記憶喪失なのだ。それを自覚してしまい、目の前が暗くなる。
「まぁ、死ぬよりはマシか。ふぅ……これしかないのならやるしかないよなァ。リヒター」
「ルイスが証明してくれましたからね。これで進めましょう」
二人が分からない話をしている横で、自分のことを思い出そうと必死に頭を回転させる。しかし、何も分からない。アレストの話によれば、眠る前の自分は王宮騎士団の軍師で戦闘では剣士でもあったらしいが、指示を素早く出すことも、剣を上手く扱うことも出来なかった。深いところで覚えていれば自然と体が動きそうなものだが、それもなかった。
「そろそろ戻りましょう。もう夜も遅いです。王宮の敷地内とはいえ、外に居れば何が起こるか……」
リヒターが裏口の扉を開ける。アレストとルイスは中に入って部屋に向かって歩き出す。
「はいはい。また賊が攻めてくるかもしれないしねェ」
「うぅ……油断しました」
「仕方ないさ。今日は父上がいないんだ。結界が薄くなってやがる」
「結界?」
「あぁ。魔術結界さ。俺がこんなん……人の顔と名前が覚えられないからな。賊が入り込んで暗殺なんてされないように、普段から王宮に強力な結界が張られているのさ」
リヒターが長い襟足を整えながら口を開く。
「私の主……国王ヴァンスの魔法です。国王にしか扱えない魔法がありましてね。王宮の重要な機密事項なので軍師であるあなたには伝えてあったのですが、これも覚えていないということは本当に記憶が無いんですね……」
「ごめんなさい」
ルイスが謝ると、アレストが目を細めて困ったように腕を広げた。
「謝るなよ。あんたの記憶喪失は俺が全面的に悪い」
そんなことはない……いや、原因がわからないのだから何も言えないか。原因は出来れば自分で思い出した方がいい気がして、アレストに聞くのはやめた。自分で思い出した時に記憶が戻る可能性があると思ったのだ。
「リヒター、父上がいないときに結界がこんなに薄くなることなんてあったか?」
「いえ……最近は賊の動きも妙ですから、物騒なのも重なりましたね。王子の魔法はなんともないですか?」
「俺の方はなんともないさ。もっとも、使う機会なんてないがな」
「勝手に使われたら困りますよ」
アレストは余程大切に扱われているらしい。魔法を勝手に使ってはいけないとか、王宮の外に出ては行けないとか。身長が180センチあるかないかの大の男だと言うのに、まるでか弱いお姫様のように心配されている。それはリヒターからだけではなく、先程の兵士たちからも感じた。
(何か理由があるんだろうか)
おそらく眠る前の自分は知っている。アレストのことも、この国のことも、そして自分が記憶を失った原因も。
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