グプタのさんかく

ハユキマコト

グプタのさんかく

「三角関数ってさあ、マジで何に使うの」

「え。測量とか……」

「今まで? 30年ぐらい生きてて? 測量? したことある?」

「ないが……」

「でしょ?」


 久方ぶりに繰り出した町は、随分とわかりやすいクリスマスムードだ。このご時世でも、浮かれるものは浮かれるらしい……むしろこのご時世だからか。


 緑と赤と白であふれかえって、時折ピンクや黄色が無秩序に混ざり合い、今年も一年が終わるという情緒で口惜しさを感じまいとでも言わんばかりに輝いている。

 まあ、多分あと半月もすればこれが鏡餅とかに挿げ替えられるのだなあ、と謎の感慨に浸る。つまびらかなものは何ひとつ無く、なんだかすべてが曖昧で、あそこのショーウィンドウに吊り下げられたオーナメントにはどう見てもハロウィン用のジャック・オー・ランタンが混ざっているし、ばっちりサンタ帽を被せられていた。自らの存在意義とかを問うてないといいが。


「っていうか急に何」

「いま通りがかった本屋に、受験シーズンっぽいポスター貼ってあったからさあ」

「あー。いや、今から勉強しても遅くね?」

「そういうことは言ってやるな」


 隣を歩く彼女は、昔から数学がめっぽう苦手だった。

 何故理数系ど真ん中の俺と仲良くしてくれているのかは未だによくわからない。少なくとも見た目とかではない。我ながら俺は、冴えない男を形にしたら誤差プラスマイナス5パーセント以内に落ち着くような容姿と性格をしていると思う。一応のところ清潔感だけは気を使っているが、はたから見たらそれも危うい可能性があり、『どこにでもいる』より若干レベルが低いぐらいのアレだ。あと、別に金もそんなにないし、楽しい話ができるわけでもない。


「受験生だってクリスマスぐらいハジけるだろうしさあ、無粋だよね、この時期に現実っぽいポスターとか」

「いや俺、受験の時はさすがに勉強してたんだけど」

「マジで? 私、クリスマス前ぐらいに友達と超遊び行ったわ、泊りで」

「なんでそれでうまくいってるんだよ、様々なことが……」

「運と勢い」

「ずるすぎ」

「あと私受験とき10キロぐらい痩せたじゃん、周りも心配してくれてたけど、アレさあ、ダイエットしてただけったんだよね」

「……その心配してた周り、俺も入ってないか?」

「入ってるんだよなあこれが」

「お前……10年越しの事実が……」


 確か……本屋で再会したのだ。高校が違ったから、近所に住んでるっていうのに全然会わなくて、そうしたら、それなりにいい体格だったのが急に痩せ細ってて。俺が話しかけてもなんだか様子がおかしく、こっちが心配してるっていうのにどんどん元気がなくなってくみたいで、そうか、あれはそういうことだったのか。あんまり心配して悪いことをした。


 ただ、あの年のクリスマスはそんなこと知らなかったから、びっくりして、彼女の家までケーキを持って行ったのを覚えている。


 俺の実家はケーキ屋だった。だから店舗のキッチンに忍び込んで、予約が取り消しになった真っ白なホールケーキにいちごを乗せて、プレートは彼女の名前に書き換えた。何色が好きかなんて知らなかったから、大量の紙やリボンの群れから彼女らしい色を探した。最終的にあかるいピンクの包み紙でラッピングし、真っ白なリボンをぐるぐる巻いて、彼女の家まで必死に走った。


 今思えば、どうしてあんなに急いで必死だったのか不思議だが、ただとにかく、美味しいケーキを食べてほしいと思ったのだ。

 ケーキを渡したら、彼女は、わざわざ持ってきてくれたんだ、と嬉しそうに笑ってくれた。


 渡すだけ渡して、すぐに帰宅して、ひどく叱られるのを覚悟していたが、何故だか両親にまで大笑いされた。ケーキとラッピングのお代はバイトの金からしっかり引かれたけど。

 

「あ! すっげえ大事なことを思い出した」

「びっくりした、大きい声出して」

「三角関数のめちゃくちゃ重要な使い方、小さい頃にお父さんから聞いたんだよ」

「へえ。そこまで言うなら本当に大事なんだろうね?」


 一番大事で、かつ書籍などで『三角関数の用法』の例として取り上げられることも多く、今時期にピッタリのやつがあるのにどうして忘れていたのだろう。これなら納得してくれるに違いない。


「ケーキを三等分にできる」


 わざとらしく人差し指を立て、得意げにそう言った俺を、彼女ははあ?という顔で見た。


「三人って。誰と誰と誰で分けるつもり」

「……だ、誰って何?」

「きみと、私と、あと誰?」

「え……だ、誰って何!?」

「2回も同じこと聞く?」


 も~ありえない、と眉根を寄せて、それでも瞳は堪えきれない、といったように笑っている。数秒後にはそのモーションのひとつひとつがすべて、声になってはじけた。

 今の動画撮っときゃよかったな、なんて、揶揄われたようにも思うが、『誰と誰と誰で分けるつもりなのか』という疑問は、まあ言われてみれば確かにその通りだ。今はふたりで喋っているのだから。


「俺が1つもらって、残りの2つは、あげるよ」

「きみのほうが私よりいっぱいたべるじゃん」

「いっぱい食べるけど。でもあげる」

「ふーん、私ってば大事にされちゃってるのね」

「そうだよ」


 そりゃそうなので、素直に答えれば、なんだかおろおろした様子でなに、ほんとになにもう、急にさあ、もう、とごちゃごちゃボソボソ、つぶやきながら顔を逸らす。

 友達のことが大切なのは当たり前のことだし、確かに俺のほうが量を食べるとはいえ、甘いものが好きなのは彼女も同じなんだから、クリスマスぐらい2つあげたってかまわないだろう。あの時のケーキだって、ひとりで全部食べたってあとから話してたじゃないか。なのに、そんな態度を取られたら、なんだかこっちまで照れてくる。


「大事だよ、普通に」

「もうわかったってそれは。でも、それならやっぱり三角関数は要らない」

「なんでだよ。ケーキを三等分できるんだぞ、大事だろ」

「きみとケーキを食べるなら、半分こしたい」


 そろそろ、駅にたどり着く。


 ゆうまぐれの空気へと光が差し込む。彼女の今日の服装は、明るいピンクのコートに、白いバッグ。見えないけど、リップも新色のピンク色なのだと話していた。もうトシだって言われるから女友達と歩く時はこんな服着れないんだ、だから今日ぐらいいいでしょ、とカラカラ笑っていたが、別になにも気にすることはない、良く似合っていた。色の新しいとか服装の古いとかは全然わけがわからないけど、彼女は昔から、いつだって綺麗だ。

 そういえば、昔はおおむね青っぽいものを纏っていたような気がする。いつからだろう、ピンクをよく着てるのを目にするようになったのは。高校を卒業して、またなんとなくよく遊ぶようになった時にはもう、そうなっていた気がするが。


「きみさ、クリスマス当日、暇? あ、仕事じゃなくてね、夜とか」

「予定が入ってるように見えるか?」

「なんだっけ、前言ってたネットのゲーム。クリスマスのイベントあるんでしょ?見に行きたいから遊んでよ」

「ネトゲでクリスマスとかいうタチか?」

「いやあ、そりゃ遊べるならリアルがいいけど、なんかこう、恋人とか家族とか以外は難しいでしょ」

「それはそうだけど」


 たぶん拗ねてる口元も、マスクで覆われてわからない。2021年の冬は世知辛い。

 彼女は、本屋で再会した日みたいな顔で……半分隠れているけれど、なんとなくそう感じる。


「恋人とか家族とか以外は難しいでしょ」

「ん? うん」

「恋人とか家族とか以外はさあ」


 駅の出入り口の明るさ、編み込みみたいなイルミネーション、電飾看板、沈みかけの太陽、散乱したいくつもの光が影を落とす。そういえば、三角関数には、光の視差や影の長さから距離やら角度やらを計測するという役割もあったはずだが、きっとそれが成り立ったのは古代、太陽や月がひとつずつしかなかったからなのだろう。

 今や光が多すぎて、一番かがやくものとの距離も角度も測れない。


「あー、えーと」

「何でしょうか」

「家族ならいいのか」


 たっぷり数秒の後、ドラマみたいにこちらへと駆けよって「いっこ飛ばしじゃない?それ」と言う彼女は、あの日、ケーキを受け取った時と同じ笑い声をしていた。


 半分隠れて見えないけど、多分間違いない。

 でも、できれば次はその下の笑顔をちゃんと拝みたいな、と思った。

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グプタのさんかく ハユキマコト @hayukimakoto

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