第61話 夜の散歩①

***


「お疲れっス先輩」



「達海さんもお疲れ様」



夜の九時を回ったところで、僕と達海さんはバイト先を後にした。



お店自体は十時まで営業しているんだけど、高校生は九時なったら強制的に帰らされる。残っている何人かの大学生の先輩に後のことは任せて退社。



このショッピングモール自体ほとんどのお店が九時に閉まり、十時までなのはレストラン街や一部の専門店だけだ。



そのせいかもう残っているお客さんは少なく、何ならどこかしらかの従業員の方が多いかもしれない。



休日はあんなに人が密集しているというのに、今は歩く足音が響くほど閑散としている。



「――ところで先輩」



「どうしたの?」



隣を歩く達海さんが、ふとこちらを伺うかのような眼差しを向けた。今日は福村くんはいないから、久しぶりに達海さんと二人きりになるな……。



「昨日ひーちゃんと何か話したりしたっスか?」



「話……? 特には何も、何かあった?」



「いや、ないならいいんス」



何だろう。達海さんの横顔に陰りが差したような……。



確か美帆は昨日、友達と用事があるとかで帰るのが遅くなると母さんに連絡を入れていたらしい。



帰ってきたのは僕が晩御飯を食べ終えた後だったかな。部屋にこもっていたから、玄関のドアが開く音だけは聞こえていた。



達海さんが僕に聞いてきたってことは、何かあったのだろうか。でも今日の朝は特にいつもと変わりなかったと思うし、もしかして喧嘩でもしたのかな。



だとすれば、僕に探りを入れる浮かない表情の達海さんも説明がつく。



「何があったかは知らないけど、あんまり美帆のこと虐めないでね」



美帆は僕と違って意外と気が強いとこがある。けどそれでいて、繊細な部分も兼ね備えているから、口喧嘩になると最初は応戦できてもすぐに傷ついて泣いてしまうのだ。



昔は僕も美帆と何度か言い合いをすることがあったけど、いつも最後には目に涙をうかべる美帆を宥めていた。



だからもし美帆と達海さんが本気で口撃をし合ったら、もう勝負は見えている。地面に倒れ伏す美帆の頭を踏みつける、達海さんのシルエットが。



そう思って僕は達海さんに牽制というか、兄としてやり過ぎるのは見過ごせないぞという意味を込めた言葉を送ったのだが。



「……先輩」



「ん?」



「訳の分からないこと言わないでもらっていいっスか?」



マジレスされた。



ドス黒いオーラを纏う達海さん。もしかして何か地雷でも踏んだのだろうか。いつものふざけた感じは一切なく、マジの睨みを利かされた気がする。



「先輩ってあれっスね。なんかラブコメ漫画の振り回される系主人公の適性がありそうっス」



「僕を振り回しているのは達海さんだけだと思うけど」



「あたしがっスか? いつ? どこで?」



「自分の胸に手を当ててよく思い出して」



「……セクハラっスか?」



「何でそうなる」



自身の豊満な胸を見下ろす達海さん……って僕は何を見て――



一度意識し出すと、達海さんの方を見るときそこばかりに視線が吸い寄せられるのを本当に何とかしたい。



特に今のような薄着の季節だと、より身体のラインが浮き上がって分かりやすい。遥陽である程度の耐性はできていると思っていたのに、どうやらそんなことはなかったみたい……。



「……じゃあ僕は今日こっちだから」



従業員用の出入口に差し掛かったところ、左へ曲がる達海さんがキョトンとした顔で振り返る。



「えっ? 何か用事でもあるんスか? こんな時間から」



「まあ、ちょっと……」



下へ降りるエスカレーターに向かう僕が少し言い淀んだのが失敗だった。達海さんは全てを察した――といった風に、ニヤけ面を浮かべながら僕の肩を何度も叩いてきた。



「あーそういうことっスか。あたしと違ってリア充の先輩はこれからが本番スもんね。」



「…………」



「もうすぐうちの高校体育祭があるんスけど、先輩は一足先に夜の体育祭っスか?」



「…………」



……黙ってたらむちゃくちゃ言ってくるなこの子。しかも声大きいし、周りに聞こえてたら恥ずかしいんだけど。というか僕がすでに恥ずかしい。



「お疲れ、気をつけて帰ってね達海さん」



「あっ、逃げたなこの――」



懲りずにわーわーと喚き散らす達海さんから逃げるように、僕は急いでエスカレーターに乗った。



幸い追ってくることはなく、一息つくことができた。



「変な汗かいてしまった……」



今から遥陽と会う達海さんの推測は正しかった。別に隠すようなことでもないんだけど、かといってアピールというか、言いふらすようなこともしたくない。



夜のテンションか知らないけど、僕の周りで堂々と下ネタ発言をする女子なんて存在しないから、どう反応したらいいのか困ってしまう。



陽キャ界隈では、そんなこと日常茶飯事なのかもしれないけど。



――そんなことを考えているうちに一階へと降り立った僕は、予め待ち合わせ場所にしたいた東の入口を目指す。



ここからはゆっくり歩いても一分とかからない。



「――遥陽!」



目的の人はすぐに――というか、入り口付近の待ち合いスペースには一人しかいなかった。



「凛くんっ!」



スマホに目を落としていた遥陽は顔を上げると、すぐに立ち上がってこちらに駆け寄ってきてくれた。



「バイトお疲れ様。疲れてない?」



「全然 大丈夫だよ。遥陽の方こそ遅くまで練習あったんじゃないの?」



「私もノープロブレムだよ。凛くんと二人でゆっくり会えるって思ったら疲れなんて吹き飛んじゃった」



そう言って、もう我慢できないと僕の腕に絡みついてくる遥陽。



今日は早くも猫遥陽モードだ。これでもかと言うほど頬を擦り寄せてくる。本当に可愛い。



「とりあえず出よっか」



「うん!」



日中だとこれ以上にない遊び場になるこのショッピングモールも、夜はその実力の半分も発揮できない。



まるでキャンプ、オープン戦で絶賛されていた助っ人外国人が、シーズンが始まると急に不良債権と化すように……ってそれはさすがに言い過ぎか。



まあでも本当に、人のいないショッピングモールは廃墟と言っても過言ではないから。



「私こんな時間にここに来たの初めてだよ。当たり前だけど全然人いないね」



出入り口をくぐり抜けて、改めて振り返った遥陽が建物を見上げながら声を上げた。



「でも今日は妖怪逆セクハラJKがいるから

気をつけてね」



「……何それ?」



「……ごめん、今のは忘れて」



しまった。僕も夜のテンションに飲み込まれたかもしれない。我に返るのと同時に、全身に悪寒のようなものが走ったけど、まさか今の聞かれてはいないよね……。



首を左右に動かして辺りを確認したけど、それらしき人はいない。よかった……。



「夜にこうして凛くんと外を歩くのって初めてじゃない?」



「そう言われれば……そうかな」



いつもはテレビ電話をしていたから、ある意味夜に会っていたようなものだけど、やっぱりこうして実際に目の前にいるのとでは全然違う。



一度家に帰ってたらしい遥陽は、化粧をしてきたのかいつも以上に大人っぽく見える。



僕の手を指で優しく撫でる遥陽は、何も言わずただ至近距離で笑顔を向けている。



どちらかが傾けば互いの頬が擦り合うような近さに、僕は一度唾を飲み込んだ。



何ていったらいいんだろう。朝や昼間に会うのとはまた別の、夜独特の雰囲気というか……今の遥陽は年上なんじゃないかと錯覚してしまう。



「もう、そんなに見られたら恥ずかしいよ」



「ご、ごめん……でもいつもよりすごい可愛かったから……」



「……いつもはすごい可愛いわけじゃないんだ」



「そ、そういう意味じゃなくてっ」



ぷくっと頬を膨らました遥陽。突如歩く速度を早めて僕を置いてってしまう。猫遥陽のかまってちゃんモードだ。



ここで敢えて無視して、更にほっぺたを大きくする遥陽も見てみたいけどやっぱり今日は……。



「僕にとって遥陽が可愛いのは当たり前のことで、えっとほら、毎日可愛さが更新されていくっていうか……」



あーダメだ……上手く言おうとしてもいい言葉が出てこない。



本当はここで遥陽がついドキっとするようなかっこいいセリフを投げかけれれば最高なんだけど、僕にはそんなスキルがないっぽい……。



僕と遥陽はしばらく立ち止まったまま、両者の間には中途半端な距離が空いていたが――



「はいはいそんなに慌てなくても分かってるって! ごめんねちょっと意地悪して、ちょっとオロオロする凛くんを見てみたかったの」



「べ、別にオロオロはしてないから!」



「ふーん?」



「……ちょっとだけ」



「本当にすぐ顔に出るよね凛くん。でも今日は、何かいっぱい凛くんに甘えたい気分なんだ」



僕の正面へとやって来た遥陽は、少し背伸びしてゆっくりと腰に手を回す。



「遥陽……こんなとこで誰かに見られたら……」



ショッピングモールからも離れ、人通りの少ない道とはいえやっぱり外は開放感がすごい。



「大丈夫、暗くて見えてないから」



ゾクッとするような低い声で、耳元でそう囁いた遥陽はそのまま僕の頬に口づけをした。



僕たちの夜は、まだ始まったばかりだった。


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