第60話 待ち伏せ③
「……すみません、さっきから一体何の話をしようとしているんですか……」
声が若干震えそうになるのを押し留めるように、喉に圧をかけて美帆は口を動かす。
本当に九条が読めない。二人きりになる席を設けた目的が未だに不明。だが美帆は直感的に、話が嫌な方向へ流れていることを感じ取っていた。
荒れる大海原の上を進む船に乗っているのは美帆と九条の二人。しかし舵を手に取っているのは九条。
――このまま適当に理由をつけて帰ってしまえばいい。
美帆自身の本能は、そうしろと働きかけるも、ここで引けば後々後悔するようなことがあるとも、女の勘が告げていた。
「そんな怖い顔しなくても、ただの雑談だと思ってくれれば。せっかく綺麗な顔してるんだからさ」
「顔なら九条さんの方が……」
明らかにお世辞にしか聞こえない九条のその言葉に、美帆は眉をピクピクと動かしながら呟く。
綺麗な――なんて普通ならお世辞でも悪い気はしないものだが、顔のパーツ、形、位置が全てにおいて上回っている人に言われても、怒りが湧いてくるだけだった。
目線の位置はほとんど同じ高さのはずなのに、ずっと見下ろされている気分だ。
これは互いの気持ちの余裕の度合いを表しているものなのか、それともそのまま一年分の人生経験の差から来ているものなのか。
「まあでも、時間もあまりないし単刀直入に言うね」
改まったように椅子に座り直した九条は、背筋を正して言った。
「――長浜くんを彼女から奪い取るのに協力してほしいの」
「…………は?」
目の前で絶句する美帆を気にもとめず、九条は聖女のような笑みを浮かべて続ける。
「最初に話した通り、わたし長浜くんに惹かれているのは本当で、それは今も……ううん、てか逆に前より強くなっているの」
「いや、美帆は……」
「でも付き合いたての熱々カップルに真正面から挑んでも厳しいし、そこで二人に近い長浜さんに協力してほしいってわけ」
「そんな人の彼氏を奪い取るような――」
…………っ。
声に出して、美帆は息を飲み込んだ。
一度目を瞑って、眉間を指で摘んでから目を開ける。まるで鏡に映った自分の姿を見ているようだった。
――九条が美帆に頼もうとしてることは、現在進行形で美帆と華奈がやろうとしていることと同じなのではないか。
だとするならば、自分に九条を非難する資格なんてあるはずがない。
突然押し黙った美帆に、一瞬九条も訝しむように目を細めたが、まるでそれを待っていたと言わんばかりに追撃を行った。
「確かにわたしがやろうとしていることは、世間一般的にはダメなことかもしれない。常識とかマナーとかそういう面で。でも恋人がいるからという理由で、アプローチをかけたらいけない決まりなんてないよね? 最終的に決めるのはその人なんだから」
ね? と同意を促すかのごとく、グイッと顔を近づけてきた九条。
「そうです……ね」
と、半ば無理やり頷かされる美帆。
「最初に変な質問をしたのはね、長浜さんがお兄さんに特別な感情を抱いていないか確かめたかったのよ」
「でも美帆たちはただの兄妹……」
「うん、けどなんて言えばいいかな……匂ったんだよね」
「匂った……?」
「高校生の兄妹にしては近すぎるって。わたしが二人の姿を見ていたのは教室の窓から見下ろす駐輪場だけだったけど、夏休み前と後で長浜さんの歩く姿勢や足取りがまるで別人みたいに変わっていたから」
――そんな細かいところまで見ていたの?
驚く、というよりも最早ドン引きに近かった。
もしかしてこの九条雛美という女は、美帆が思っている以上にぶっ飛んでいるのかもしれない。
そしてそんな人に、自分は手を出してしまったのだ。パンパンに膨らんだ風船を棒でつつき続けた結果が今だというのか――
この世で最も愛しい兄を悲しませた罪で、怒りに任せて人の恋路を邪魔したツケをここで払えというのか。これが因果応報? いや、ちょっと違うか。
だがしかし、ここで美帆が九条に協力する必要なんて何一つない。それどころか逆に、これ以上九条が兄に近づかないためにここで何か手を打っておかなければ――
美帆が頭をフル回転させるべく、脳に指令を送り出したとこだった。
「――もちろん長浜さんは、わたしについてくれるよね? その経験とノウハウがあるんだから教えてほしいな、わたしにも」
九条の顔から笑みが消えることはなかった。
首を横に傾けて口元を緩める九条に、美帆は全身の鳥肌が立つのを感じた。
――終わった。
まだカマをかけている可能性もほんの僅かだが残っていなくもない。
けれども、九条は全てを知った上で今日美帆を誘ったのだ。
――自分が付き合ってすぐの彼氏と別れることになった原因を作ったのが、美帆であると最初から――
「安心して、犯罪に手を染めろって言ってるわけではないから。ただあの二人を別れさせるのに長浜さんの手を借りたいの」
優しい目、優しい言葉遣い。
だがその裏には、拒否権はないからなと、付け加えられているのが自然と伝わってきた。
「もし嫌なら断ってくれてもいいけど……そしたら明日、長浜くんに妹さんと会ってお茶したことを話しちゃうかもしれないわね」
「……九条さんが兄さんとどんな会話をしようと、美帆には関係ないって言ったら……?」
「そうだね……そうなるとある意味わたしは賭けに負けたことになるかな」
賭け――
賭けとは一体何のことだ。すぐ思い当たる節が出てこなかった美帆の答えを九条は口にした。
「もしあなた達が普通の兄妹なら、まあ長浜くんがあなたに悪い印象を持つだけに終わるかもしれない」
けど――と、九条は付け足し――
「もし、長浜さんがお兄さんに向ける感情がわたしの想像した通りなら、絶対に断ることはない。そう確信していたから今日こうして待ち伏せていたんだよ」
「……………………」
「あとこれもただの勘なんだけど、長浜くんの彼女もちょっと匂うんだよね……」
その後も九条はいろいろと何か喋っていたが、美帆の頭には何も入ってこなかった。
店を出る前に席を立つ時、九条が手を伸ばして握手を求めて来たような気がした。
その手を取ったのかさえ、美帆は覚えていない。
なぜなら店を出た直後に交わした九条とのやり取りに、全てを持っていかれたからだ。
「…………さっきの話ですけど」
「うん?」
「九条さんはどう思っているんですか? 兄妹間の恋愛について」
「あー……わたしは普通になしかな。もし弟にそんな好意を向けられたら普通に距離を置くと思う」
「じゃあもしそれが、血の繋がっていない義理の兄妹だったら……?」
「……それでもないかな。やっぱり家族っていうのが大きいし、一時的に盛り上がったとしても将来のことを考えたらお先真っ暗。そして何よりも、普通にちょっと気持ち悪いって思わない?」
「そ……」
「長浜さん……?」
「そんなことあなたに……言われなくても……」
「えっ、ちょっと何で泣いて……」
「何も知らない癖に、知った風な……」
下唇を噛む勢いで肩で浅い息をする美帆に、九条の純黒の瞳が今日初めて揺らいだ。
怒りと悲しみが入り混じったような美帆の振る舞いに呆然とする九条だったが――
「もしかしてあなたたち二人って……」
九条の手が美帆の肩に触れかけるも、美帆はそれを避けるようにして背中を向ける。
「すみません、今日はもう帰ります」
九条は何も言わず、追ってくることもなかった。
カバンをカゴに乗せ、自転車に跨る。
「兄さん……華奈ちゃん……」
その祈るような想いがリアルタイムで届くことは決してないと、誰よりも美帆自身が一番理解していた。
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