第56話 電話と約束①
***
『それでね! たまたま近くに置いてあったラケットを使ったんだけど、それが先生の物だったらしくて、それもガットを切っちゃってむちゃくちゃ怒られてたんだよ!』
「へえー、本当に災難だったねその人……吉野先生の怒号を間近で聞いたら、僕だったらぶっ倒れるよ……」
画面の奥で遥陽がお腹を抱えなが大爆笑している。
時刻は夜の九時を少し回ったところ。晩御飯とお風呂を終え、僕は自室で遥陽とテレビ電話を繋いでいた。
何でも、今日の部活中隣のコートで練習していた男子のテニス部員の一人が勝手に顧問の先生のラケットで打って、そのガットを切ってしまったらしいのだ。
最近張り替えたばっかりでそれなりに値段もするやつだったため、炎天下のテニスコートに雷が落ちたとかなんとか。
『置きっぱなしにしていた先生も悪いんだけど、でもやっぱりラケットって、テニスしている人にとっては自分の分身のような物だからね。勝手に使われたらそりゃ怒りたくもなるよ』
テニスか……。
美帆も高校から始めて道具を一式揃えたけど、ラケットの値段が群を抜いていたって母さんが嘆いていたっけ。
バスケはシューズと練習着があればなんとかなるから、僕はまだ家計に良心的だったというわけだ。それでも一足一万円以上はしたけど……。
「大会も近いからいつも以上にピリピリしてたのかな。もうすぐなんだよね?」
『うん、再来週の土日だけどよかったら凛くん見に来る?』
「場所は近いの?」
『ここからだと電車で一時間弱ぐらいかな……バイトとかもあるだろうし無理にとは言わないけど……』
バイトのシフトの希望はまだ出していないけど、土日のどっちかは出てくれって言われているからな……。
「試合は二日ともあるの?」
『勝ったら日曜日もって感じかな。トーナメントだから、負けたらもうそこで終わり』
「……分かった。土曜日休めるよう調整してみるよ。遥陽が頑張ってるところ見たいし」
『ほんとに!? 楽しみにしてるね! 地図と時間は後で送るから!』
やったー、と両手を高々と突き上げる遥陽。ベッドの上にでも座っているのだろうか、すごい上下に揺れているのが見て取れる。
恥ずかしい話、僕は遥陽がテニスをしている姿なんてほぼほぼ見たことがなかった。それこそ前に達海さんと一緒にチョロっと覗いたぐらい。
テニスそのものにあまり興味が湧かないって言ったら失礼だけど、同じ球を打つスポーツなら野球でいいじゃんって考えていたのだ。
でもやっぱり、遥陽がずっと打ち込んでいる物は僕も詳しくなりたいって思うし、何より好きな人の一生懸命な姿を間近で見たいっていう気持ちが強かった。
『そういえばさ! 凛くん野球好きじゃん? この前うちの押し入れを整理してたら野球選手のサインボール見つけたんだけど、あげようか?』
「えっ、サインボール? 誰の?」
遥陽の口から飛び出した思わぬ情報に、僕はスマホに頭突きする勢いで顔を近づけた。
『ちょっと、近い近い。鼻の穴見えちゃうよ凛くん』
「あっ、ご、ごめん……」
ダメだ、つい我を忘れて興奮してしまった。野球選手の直筆サインボールなんて、キャンプで直接貰うか高額転売で手に入れるかぐらいしかないと考えていただけに、一気に目が冴えた気分だ。
『私は選手のこととかあまり知らないんだけど、おばあちゃんに聞いたら十年ぐらい前のけっこう有名な選手らしいよ。何か日本代表にも選ばれてて、名前は……なんて言ったかな……ごめん忘れちゃったかも』
十年前で日本代表……パッと思いつくだけでも二桁を超える数の選手が頭の中に浮かんでくる。さすがにそれだけの情報だと絞るのは難しいな。
でもなんでそのレベルの選手の物が遥陽のうちにあるんだろう……。
『また今度凛くんの家に持っていくよ』
「ありがとう、むちゃくちゃ嬉しいよ」
正直なところ今すぐにでもほしいぐらいだった。遥陽のマンションだって目と鼻の先なんだから、五分あれば玄関のチャイムを鳴らせる。
けど残念なことに、遥陽はあまり夜に会いたがらないのだ。今だってこうやってスマホの画面越しに顔を合わせているけど、僕たちの家の距離を考えたら別にそんなことをする必要はあまりないと言えなくもない。
前にそう言ってみたんだけど、遥陽言わく『夜は顔がブサイクだから直接見られたくない』とのこと。
しかしテレビ電話はオッケーらしい。遥陽の中で何かしらの線引きみたいなのがあるのだろう。
今のようなテレビ電話も毎日しているわけでもないし、むしろ忙しい遥陽が無理して僕に合わせていないかの方が心配だった。
それに関しても、『夜に凛くんの声を聞いたら疲れなんて一気に吹き飛ぶから、私にとってはそれが一番のリラックスタイムなんだよ』なんて言われれば、もう僕にはどうしようもない。
むしろ目の前に遥陽がいなくてよかったとさえ思ってしまう自分がいた。
もしそうだったら、多分遥陽のことを抱きしめたまま離せなくなっていたに違いない。湯上りでほんのりと身体の火照った遥陽はきっといつも以上に――って僕は何を!
この前のプリクラ以降、僕自身遥陽とのスキンシップにあまり抵抗というか、気恥しい気持ちが薄れつつあった。
ふとした時に頭を撫でたりしてみると、それこそ子猫みたく擦り寄ってくれたりしてそれが本当に可愛くて仕方がない。
この前だって朝――
『――もしもーし。凛くん聞いてる?』
あっ。
「えっと、ごめん、なんだっけ……」
『もう! だから文化祭だよ! 今日は元々その話をする予定だったでしょ! 凛くんったら急にニヤけちゃって……私が喋ってるのに全然反応してくれないし……』
ぷいっとそっぽを向く遥陽。心無しか映っていた遥陽の顔が小さくなった気がする。スマホから離れたのだろうか……。
「ごめんって……無視していたとかじゃなくて、遥陽のことを考えていて……」
『私のこと……?』
あっ、ちょっとだけ近づいてくれた。
「うん、なんか最近の遥陽可愛いなあって」
『ふっ、ふーん……そうなんだ? まあ私に見惚れてたっていうんだったら許してあげてもいいけど……』
よかった、機嫌が治ったっぽい。基本ちょっと見栄を張っているときの遥陽は、実は照れていることが多いのだ。昔からそうだったから。
これに加えて、今みたいに不自然に前髪をいじっていたらもう確定だ。喜怒哀楽が顔に出る人は、こうやって仕草にも表れやすいのだろうか。
「それじゃあ気を取り直して――」
そんなこんなで、僕たちは本題の文化祭の話を始めた。
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