第44話 屋上で


***


凜玖に連れられて華奈がやって来たのは、テニスコート全体を上から見渡せる一年校舎の屋上だった。



「ちょっと離れすぎじゃないっスか?」



「仕方ないでしょ。近づきすぎて気づかれたらどうするの。ただでさえ達海さんは他校生なんだから」



どうやら面倒ごとに巻き込まれるのは勘弁してほしいらしい。華奈の視力的に、ここからでも人物の判別はできるが、知り合いじゃなければそれも難しいぐらい。



「あんまり人いないっスね」



「三年生が引退したからじゃないの?」



「なるほど」



土のテニスコートが三面あり、うち二面が男子が使っていて、ここから見て右端の一面を女子が使用していた。



女子テニス部は見た感じ十数人といったところか。皆ウェアは色とりどりだが、揃いも揃って同じ白い帽子を被っているため美帆を発見するのに少し時間がかかってしまった。



「あっ、いたいた。先輩ひーちゃん見つけたっスか?」



「あの奥で今打ってる人でしょ?」



間髪入れずに答えた凜玖に、華奈は思わずむむむと唸ってしまう。どうやら自分よりも早く見つけていたらしい。



「よくもまあこんな暑い中やってられるっスね。紫外線とか気にならないんスかね」



「どうだろう……美帆はそこまで日焼けしない体質なのかな、他の人よりかはあんまり変わっていないような気がするけど」



華奈自身、運動はあまり得意な方ではない。健康のために夜たまにウォーキングをするぐらいで、中高と運動部には所属していなかった。



バイトと勉強で忙しい華奈からすれば、同級生が部活動に勤しむ姿は、今でも慣れない。どこか遠い存在のように感じていた。



「ひーちゃんがどうしてテニス部に入ったのか知ってます?」



「……いや詳しくは……遥陽がいたからかな?」



その答えに果たして満点を上げてもいいのだろうか。華奈が前に美帆から聞いた話だと、凜玖を狙っているであろう幼なじみの遥陽を監視するためだと言っていた。



それが冗談なのか本気なのか、分からない笑顔で語っていたものだから、華奈としても反応に大いに困ってしまった。



――普通そこまでやるだろうか?



しかも、結局それも失敗に終わって大切な人を取られているし。



「先輩の彼女さんもあの中にいるんスよね?」



「うん。ほら、今美帆と入れ替わりでコートに入った人だよ」



「あー、はいはいあの人っスね」



目に映るその姿と、以前の記憶を合致させる。以前あのフードコートで写真を取られていた女の子。



ふと隣の凜玖の横顔を窺うと、その視線はラケットを振る彼女へと注がれていた。当たり前と言えば当たり前のことかもしれない。



二人はまだ付き合って間もないらしいが、凜玖からは初々しさ満点のオーラが溢れ出ていた。多分今がとても幸せなんだろうな――と、感じ取れる。



――けど自分は一人の親友のために、その幸せを壊そうとしている。



美帆にも再三忠告してきたが、華奈たちはもう後戻りが出来ないところに片足どころか両足首まで突っ込んでいた。



ブレーキもハンドルも存在しない、アクセルだけの車に乗り込んでいるようなもの。



美帆の覚悟に、華奈は最後まで応えるつもりだ。もちろん罪悪感だってある。最悪の結末だって常に想定している。



それでも、美帆の幸せのためならできる限りのことは全てするつもりだった。



「――ねえ先輩、さっきの話の続きなんスけど」



「ん?」



凜玖のためではない。全ては美帆のため。



――だから、さっき一つ試してみた。



「先輩は多分知らないと思うんスけど、あたしひーちゃんに昔助けられたことがあるんスよ」



「助けられた……?」



「まあ自分で言うのもちょっと恥ずかしいんで、内容は省きますが」



「余計気になるんだけど 」



凜玖はそもそも、根本的なところを勘違いしている。



「じゃあ、ヒントをあげるっスね」



華奈は人差し指をピンと突き立てると、凜玖の顔の前で揺らした。



「あたし、嘘をつく人嫌いなんスよ」



「……それがヒント?」



「そうっス」



「嘘をつく人が好きな人なんて、よほどねじ曲がっている人以外はいないと思うんだけど」



まず第一に、今現在、九条雛美は誰とも付き合っていない。



せっかく付き合ったというのに、彼氏の方が別の女に手を出したのがバレたらしい。byお兄ちゃん。



華奈と美帆とからすれば迷惑この上ない。勘弁してほしい。



「じゃあひーちゃんや彼女さんが、先輩に対して嘘をついても好きなままでいれるっスか?」



「嘘の度合いによるけど……あの二人が完全な悪意を持ってそんなことするとは思えないし……」



「信頼厚いっスね……それとも先輩の自意識過剰……」



「うるさい。美帆も遥陽もそんな子じゃないってことだ」



――さっき華奈は凜玖に対して、一つ嘘を交えた情報を教えた。



凜玖が九条雛美の彼氏の容姿について、どれだけ覚えているか試してみたのだ。



答えは記憶力ゼロ。幸せボケでもしているのか、あの日ゲームセンターで見た記憶は綺麗さっぱり飛んでいると思われる。



――さっき書道室に、件の男はいなかった。九条の隣に座っていたのは、ただの部員Aだ。



だがその見落としが、凜玖の中のとある信実を確立していたのは揺るぎようがなかった。



「そういえば写真の話だったっスね」



そう言うと、凜玖は口を引きしめて華奈の方に向き直った。本当に態度に表れて分かりやすい。



「あたしが見た写真撮った人が、書道部の人ってさっき言ったっスよね?」



「うん、九条さんの隣にいた……僕は覚えてないけど」



本当は隣にいた人じゃないんだけど、それは後回しでいいだろう。本人も言っている通り、全く顔を覚えていないらしいから。



後で間違えてたって謝ればいい。



華奈が凜玖に伝えたかったのは、そのことではなかった。



「その人実は、前に先輩と一緒に見た九条さんの彼氏なんスけど、なんか別の女に乗り換えたらしいんスよ」



「えっ? 別れてるの?」



「そうっスよ。あんまり驚かないんスね。別にいいっスけど」



驚いていないというか、情報の処理が遅れているだけか。脳が整理してくれるのにもう少し時間が要するだろうが、華奈だっていちいちそんなこと待ってられない。



テニスコートがよく見える所がいいとは言ったが、一体何のために、こんな日光が直撃する屋根のない屋上にやってきたのか。



「――で、一体誰に乗り換えたんだって話っスけど、こりゃまたびっくり」



「びっくり……?」



華奈は眩しそうに目を細めながら、テニスコートを指さした。



「今あそこにひーちゃんや先輩の彼女さんと一緒にいるんスよね」



「……え、どういうこと……?」



お人好しの凜玖は何を言っても信じそうだから、できれば自分で考えて受け止めて、そして最終的には美帆の元へ――



その道は示した。情報は与えた。あとは自力で真実に凜玖がたどり着けるか。






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