第42話 書道部と記憶
「ちょっ、達海さん……!」
僕は慌てて呼び止めるも、時すでに遅し。ガラガラと横開きのドアを開けた達海さんは、臆することなく中へと進んで行った。
達海さんの背中に隠れるようにして、僕はその後ろから様子を窺う。
言うまでもなく達海さんは、教室中の注目の的になっていた。
この書道室は、広さ自体は僕が普段過ごしているようなクラスの教室よりかは大きい。けど長机や椅子水道に、授業や部活で描いた作品が至る所に散らばっているため、二十人程度で満パンに感じてしまう。
今この中にいるのは十二、三人かな……? 机に弁当やパンを広げているところを見ると、みんなでランチタイムの途中だったんだろう。
男女ちょうど半々ぐらい。全員書道部なんだろうけど、ここにいる人たちで僕が知っているのは九条さんだけだった。
達海さんは敷居に入って一歩進んだところで止まっていた。何かを見定めるようにして顔を左右に動かし――
「あっ、いたいた。どうもっスお兄ちゃん」
「「……お兄ちゃん?」」
僕の呟きに、部員の誰かの声が重なる。お兄ちゃんって、達海さんの兄妹?
達海さんに向けられていた視線が、その一言で一斉に移り変わる。僕もその人物はすぐに見つけることができた。
達海さんが扉を開けて中に入ったとき、誰もが異物を見るかのような目でザワついていた中、その人は突然の来訪者に、唯一立ち上がるというリアクションを取っていた。
「か……華奈……?」
口をパクパクさせた達海さんのお兄さんは、フラフラとした足取りでこちらへやってきた。
「えへへ、来ちゃったっス」
「いや、な、おま……」
目の前の現実に理解が追いついていないのか、達海さんのお兄さんは、壊れたラジオのような言葉を発していた。
三年生か……。
この学校は、上履きであるスリッパの色が学年ごとに異なるのだ。今年だと、一年は緑、二年は青、三年は赤といったふうに。
足元を確認した僕は、改めてその人を観察する。ギャルに近い風貌に陽キャの達海さんからは想像しがたい、至って普通の人のように感じる。
髪は短髪黒髪で、ワックスやヘアアイロンでセットもしていない。身長も体重も恐らく標準的な体型だろう。
一目見て達海さんと兄妹だってことは、絶対に分からない自信がある。
「ちゃんと昨日遊びに行くって行ったじゃないっスか」
「ほ、本当に来るやつがどこにいるんだよ!?」
「ここにいるっスよ」
ガクンと項垂れるお兄さん。大変そうだな……。
達海さんに振り回されているお兄さんに、なぜか妙な親近感が湧いてしまう。達海さんのお兄さんがこの学校の書道部っていうことには驚きだけど、本当に顔を見るためだけに来たのだろうか。
だとしたら、超がつくほどのお兄さん大好きっ子だけど。
――などと考えていると、ふとお兄さんと僕の目が合ってしまう。
そうだった。在校生とはいえ、僕も一応不審者の片割れなんだ。ここは素直に達海さんの案内役とでも言っておくか……。
「あー、この人はあたしのバイトの先輩っスよ。門の前でたまたま会って、ここまで連れてきてもらったっス」
……たまたまじゃなくて、明らかに待ち構えていたんだけどね。
達海さんに紹介された僕は、前へ出て軽く会釈だけしたら、また一歩下がる。こんな所で目立って得することなんて何一つない。
「それで華奈、何しに来たんだこんなところに? 」
落ち着きを取り戻したお兄さんが改めて問う。
「それはっスね――」
ちょいちょいとお兄さんを手招きした達海さんは、その耳元に口を近づけた。一言二言話しているみたいだけど、僕にも聞こえない。
そんな内緒話なら普通にスマホでやり取りすればいいものの……達海さんの行動原理が全く読めない。
九条さん含めた他の書道部員たちも、僕と同じようにその様子を黙って見ていた。静寂な空間の中に、達海兄妹のこそこそ話だけが流れている。
「じゃあそういうことっス」
終わったのか、達海さんは敬礼をするかのように額の前に腕をビシッと決めると最後に――
「すみません、ここの部長さんってどなたっスか?」
「……ボクだけど」
達海さんからの指名に、眼鏡をかけた一人の男性が手を上げる。 達海さん、今度は何をするつもりだ。
「部活中に急に押しかけちゃって申し訳ないっス。もう出ていくんで、お詫びに今日一日うちの兄をパシリにでも使ってくださいっス」
「まだ始めてたわけではないから、構わなかったが……」
「お、おい華奈――」
お兄さんが抗議の声をあげる中、それを無視して達海さんは僕の手を引いて教室から出ていく。
僕は最初から最後まで、達海さんの金魚のフン状態だった。
***
「一体何がしたかったの?」
書道室を出た僕たちは、一年校舎の裏で涼んでいた。
達海さんに、静かなところに連れていけと言われほっつき歩いていると、ちょうど校舎の陰に隠れて日が差していない場所を見つけた。
一年校舎の裏は運動場があり、今は野球部とサッカー部が活動をしていた。さらにその奥にはテニスコートがある。多分遥陽と美帆もそこにいるんだろう。
校舎の壁を背に、コンクリートの上に僕と達海さんは腰を下ろした。
「いやー、何て説明したらいいんスかね」
「……これ以上用がないなら僕もう帰るけど」
「ちょっと、そんなことをしたら今すぐ先輩に襲われるって叫ぶっスよ」
「不審者を捕まえただけだ」
「こんな可愛い不審者がいるわけないじゃないっスか」
達海さんは暑い暑い言いながら、シャツのボタンを一つ外して胸元をパタパタする。
一瞬肌の色ではない水色の何かが見えた気がしたけど、ぶんぶんと首を振って前に意識を集中させた。
柵の向こうでは、野球部がよく分からない掛け声とともにランニングをしていた。何て言っているんだろう。
「時に先輩」
「なに急に改まって」
「さっきの部長さんの顔よく見たっスか?」
「書道部のあの眼鏡かけてた? そんな意識はしてないけど…… 」
正直もう顔も思い出せない。あんなほんの一瞬だけで、思い出そうとしても眼鏡の印象が強すぎる。
「ダメっすねえ先輩。さっき見たあたしの下着の色はちゃんと覚えてるっスよね?」
「…………」
「無言は肯定と受け取るっスよ。そんなに年下の下着が見たいならひーちゃんに頼んだらどうっスか」
「妹の下着で興奮するのはダメでしょ」
「……興奮してたんスか」
「例えばの話だ」
それに見ようとして見たんじゃなくて、たまたま目に入ったんだ。とか言い訳してもまたからかわれそうだし、もう黙っておくことにする。
それが陽キャの特性なのか分からないけど、達海さんは自分の身体を使って僕をからかってくるから、本当に反応に困る。
「じゃあ別の質問するっスね。先輩の好きだった人もいたッすよね」
「九条さん……? いたけど……」
「その九条さんの隣にいた人がどんな人だったか覚えてるっスか?」
「それが眼鏡の部長じゃないの?」
「じゃなくてその反対側っスよ。部長さんは右隣。左隣は?」
左隣……。僕は目を瞑り、つい十分前の景色を頭に甦らせる。
「うーん、男か女か……」
「バカにしてるんスか」
「すみません、全く覚えてません」
「お兄ちゃんと同じ学校の先輩にする質問じゃなかったっスね。あたしの方こそごめんなさいっス」
こんなところで学力マウントとらないで。記憶力なんて人によってピンキリじゃないか。
「……それ僕だけじゃなくて、今すぐ校内放送で全生徒に謝るんだね」
「せっかく先輩にいいこと教えてあげようって思ったのに、そんな意地悪言うんスね。もう教えてあげないっスよ」
「何いい事って……?」
達海さんのことだからどうせ下らないことだろうと思うけど、そう勿体ぶったように言われると、気になってしまうのは人の性というもの。
結局、どうしようかなぁ~って口笛を吹く達海さんに、僕が誠心誠意頭を下げることによって取引が成立した。何だこの茶番。
「――先輩の彼女さん、前に盗撮されたとか言ってませんでした?」
「えっ――?」
達海さんがふと呟いたその言葉に、僕は思わず息を飲んでしまう。なんでそれを……。
「――あたし前にたまたま見たんスよ。部長さんじゃない、さっき九条さんの隣に座っていた人がやってるとこ」
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仕事が激務で体調崩してました。
更新が全然できなくてすみません……。
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