第41話 書道部へ
制服姿の達海さんを見るのは、何だか新鮮な感じがした。グレーのスカートを短く折って、シャツのボタンを大胆にも外して手で扇ぐ姿は、美帆と同じ一年生とは思えないほどの色香を放っている。
「……何でここにいるの?」
「そりゃあ先輩に会いに来たに決まってるじゃないっスか」
僕はハンドルを回して避けようとするも、その前に達海さんの手によってカゴをガシッと掴まれる。
「達海さん学校は?」
「もう終わったっスよ。速攻でここまで来たのに、こんな炎天下の中三十分近くも待たせるなんて殺す気っスか?」
「……呼んでないし」
「サプライズっスよ」
誰の何のためのサプライズだ。用があるんだったら連絡したらいいのに、ただ本当に三十分も待っていたのだとすれば、その忍耐力だけは認めたい。
達海さんは多分電車で来たんだと思うんだけど、それでも達海さんの通う高校からは小一時間ほどはかかるんじゃないかな……。
私立高校のことは全然分からないし、終わるのが早いのか、それとも途中で抜け出してきたのか。
どっちでもいいけど、この子と顔を合わせてしまった時点で、面倒ごとに巻き込まれそうな気がしてならなかった。
「校内案内がどうとか言ってたけど、本当に何しに来たの?」
「そのままの意味っスよ。あたしこの学校のこと知らないんで、先輩に教えてもらいたいんス」
「理由は分かったけど、目的の方が分からないんだけど」
美帆に会いに来たにとか? 二人は僕が美帆と出会う前からの仲らしいし……でもそれなら直接美帆に連絡するか……。
よっぽどの理由がない限り、他校に乗り込もうなんて普通は考えない……と思う。もう既に嫌な予感しかしないな……。
「うーん、こういうのは百分一見にしかずっス。あっ、先輩あとでこれ捨てといてくださいっスね」
「はっ? いや、僕のカゴはゴミ箱じゃないんだけど」
達海さんは空になったチューペットの容器をひょいと投げ入れる。何てことしてくれるんだ。
「ちょっと溶けちゃってるけど先輩の分もあるっスよ」
そう言って達海さんは、リュックサックの中に手を突っ込んで、保冷バッグのようなものを取り出した。用意周到すぎる。
そこから水色 ――ソーダ味? のチューペットを僕に手渡した。
「……もらっていいの?」
「賄賂代わりってことで」
達海さんが言い終えるころには、僕は既にフタをちぎっていた。というか、無意識のうちに手が動いていた。
達海さんはちょっと溶けてるって言ってたけど、ちょうどよかった。カチコチに凍っていたら吸ってもなかなか喉元まで届かない。手で押してシャリシャリするぐらいの固さが、僕は好きだ。
ほとんど口を離すことなく、甘い氷を一気に流し込んだ僕は、絞り尽くされたそのプラスチック容器を自転車のカゴの中に一旦入れる。
「……ゴミ箱じゃないっスか」
「一時的な仮置きだよ。で、実際のところ目的は何?」
その間にもぞろぞろと人は出ていく。僕たちと異なる制服を着る達海さんに視線が寄せられるため、伴って僕と目立ってしまう。
アイスをもらってしまった手前、無視して帰るのも気が悪いし、そんなことをすれば後で何をされるか分かったもんじゃない。
「達海さんこっち来て」
さっきの話だと、うちの学校に何か用があるっぽいから、僕は達海さんを連れて駐輪場の奥の方まで戻って自転車を停めた。
ここだと陰もあり、駐輪場の中では校舎の入口からも門からも一番遠いから、人はあまり来ない。
「他校の人って勝手に入ってもいいのかな……?」
「さあ、大丈夫何じゃないっスか? 部活の練習試合とか言えば」
そう言えばこういう始業式や、終業式の日に他校の運動部が揃って歩いているのを何度か見かけたことがある。
僕自身も中学の時はバスケ部の練習試合でよく他所の中学校に行ったりしてたから、案外問題ないのだろうか。
「美帆にお願いするのはダメだったの?」
「ひーちゃんは部活っスよね。帰宅部の先輩ならどうせ暇かと思って」
「……そうっスか」
何も言い返せない。別に帰宅部であることを蔑んだりはしていないけど、周りの目からしてみれば、部活動に所属している人の方がカテゴリー的にはワンランク上に位置するのは、僕だって分かっている。
それを選んだのは僕だし、今更劣等感なんて抱いたりすることはないのだけれど。
「てか本当にうちに用があって来たんだよね? 達海さんが面白がるようなものなんて何もないけど」
達海さんの通う私立の進学校と、この普通の公立高校では見た目も設備も差がある。もちろんここの方が大きく劣る。
僕が毎朝ヒーヒー言いながら階段を上っているのに対して、達海さんのとこはエレベーターがついている。天文台や馬場があるって話も前に聞いた。あまりにの違いにアレルギー反応を起こしても僕は責任取らないからな。
「あたしもこう見えて忙しい身っスからね。本当はせっかくだしゆっくり見たいんスけど、それはまたの機会ってことにして」
達海さんは少し眩しそうに目を細めながら、校舎の方を見上げた。普段から六階建ての建物に見慣れている達海さんからすれば、顎を少し上げるだけでいい。
「――書道部の部室ってどこっスか?」
「…………書道部?」
完全な意識外からのジャブに、僕の思考はポーズボタンを押したかのように固まる。
書道部で一番最初に連想したのは九条さんだけど、達海さんの目的は一体――
「部室かどうかは知らないけど、一応書道室っていうのはあるよ。書道部ならそこで活動しているんじゃないかな……」
一年生の時の選択科目で、書道、音楽、美術のどれかを取らなければいけなかった。僕はなんとなく一番楽そうという理由で書道を選択したから、その場所は分かる。
「じゃあそこまで案内してくださいっス。あたし一人でうろちょろしてたら怪しいっスから」
「何で書道部に用事があるのか訊いたら答えてくれる?」
「そういう質問をするってことは、あたしが答えないって分かってるうえでのことっスよね。答えはもちろんノーっス」
「……アイス一つじゃ割に合わないな」
「まあまあ、先輩も完全に無関係じゃないわけじゃないっスから」
いつもの事ながら、達海さんは頭も身体も僕を置いて先に行ってしまう。思考回路はともかく、今回ばかりは達海さんは僕がいないと何もできない。
このまま放って困らせてやろうかと思ったけど、達海さんの行く末が気になるのも事実。認めるのは癪だが、僕が暇人であることもあながち間違いではない。
ちょっとお腹が空いているのは我慢して、少しだけ達海さんに付き合ってみることにしよう。
達海さんには、玄関口に積まれてあった来客用のスリッパを履いてもらう。大量にあったから一つや二つぐらいなくなってても気づかないと思う。
書道室は、一年校舎の四階にある。書道の選択科目自体が一年生の間だけだから、そうなっているのだろう。
一年校舎へは、玄関や職員室のある二、三年生の校舎から渡り廊下を利用する必要がある。
といっても誰かが見張っているわけでもなく、誰でも気軽に行き来できるため形式上校舎を二つに分けているだけなのだが。
「何でここエレベーターついてないんスか?」
「お金がないからだよ」
四階まで上がるのは、自分の足を使う他ない。それが嫌なら外から壁をよじ登るとか。
「よくこんな所に毎日通ってるっスね」
「お金と学力がないからだよ」
どこからか取り出したうちわで仰ぎながら、達海さんは終始文句を垂れていた。
僕はもう慣れてしまっているからいいものの、普段からエレベーターで何不自由ない快適な高校生活を送っている達海さんからすれば、拷問に近いのかもしれない。
一度暮らしのレベルを上げてしまうと、それを落とすのは大変そうだ。
――僕がそんなことを考えているうちに、目的の四階までたどり着いた。
「ここだよ」
「あっ、ここっスか」
書道室は階段を上がってすぐ右に位置している。建物の一番端っこだから分かりやすいのだ。
「それで達海さん、ここまで来たのはいいけどこれから――」
――どうするつもりなの?
と、僕が言い終える前に――
「――失礼するっス」
達海さんは一切の躊躇なしに、その教室の扉を勢いよく開けた。
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