第38話 これからの会議
「ひーちゃんは家では先輩とどんな感じなんっスか?」
美帆と凜玖が同じ屋根の元で暮らしているというのは、とてつもないアドバンテージになる。
家族の壁という大きすぎる障害があるとはいえ、その逆もまた然り。美帆がここから巻き返すには、この唯一の切り札を利用することが必須であった。
「うーん……普通に接しているけど。でもどっちかというと、意識しないようにはしてるかな」
「どさくさに紛れて抱きついたりしないんスか?」
「しっ、しないよそんなのっ! それで嫌われでもしたらどうするのさ!」
美帆は、華奈と二人でいるときはいつも凜玖のここがかっこいいだのなんとか話して身体をくねくねさせていたけど、家ではちゃんと妹を演じているようだ。
凜玖のことになると目がハートになる様子を華奈は何度も見ていた。それ故に本当にちゃんと激情を抑え込めているのか心配な部分もあったのだけど、本人がそう言っているなら信じるしかない。
美帆は昔からちょくちょく危なかっしいところがある。
たとえば小学生の時は、冗談半分で美帆にちょっかいを出していたクラスの男子に本気でブチ切れ、チョークがたっぷり付いた黒板消しを顔に押し付け、筆箱の中身を全部抜き取ってそのまま窓から放り投げたりと、普段大人しい美帆からは想像もできないような行動を起こしたことがあった。
つい先日も、凜玖が九条に会わない宣言をされ、落ち込んでいると華奈に連絡があった。
なぜ美帆がそんなことを知っているのか不思議だったけど、義兄妹となると今は納得がつく。
美帆から連絡を受けたとき、てっきり喜びの舞でも踊っているのかと思っていた華奈は、電話越しに響いてきたそのドス黒い声音を今でもそっくりそのまま脳内に再生ができてしまうほどに、印象深く残っていた。
『美帆たちが原因とはいえ、別の男を選ぶなんてぶん殴ってやりたい』
――これは笑いを誘っているのではなくマジのやつ。
と直感的に判断した華奈は、ただ乾いた笑い声を返すことしかできなかった。
そんな美帆が、まさか湧き上がる欲を封印して毎日一緒に過ごしているとは驚きだ。
少年マンガにありがちなハプニングや、少女マンガのワンシーンに出てきそうな胸きゅん展開もないと言う。
凜玖のことになるとIQが著しく低下する美帆も、きちんと立場を弁えているんだなと感心する。
だが華奈からしてみれば、美帆のこの禁欲は正解かもしれなかった。
「でもこれはある意味チャンスっスよひーちゃん!」
「チャンス……?」
「多分先輩はひーちゃんのことを本当の妹としか見ていないっス。だからここでひーちゃんが、先輩に対してボディタッチ多めのアピールをすれば、意外とコロッと見る目が変わるかもしれないっスよ」
「いやー……」
「家族といえど、血は繋がってないんスよね。だったら少しのきっかけで、一人の女として意識づけるのはそう難しくないと思うんスよ」
不安材料があるとするならば、凜玖の意思はけっこう固いということ。これは華奈自身が身をもって体験している。
残念ながら、ただのハニトラや甘い誘惑でなびかせるのは至難の業。
自身と美帆の胸を見比べた華奈は、その認識であっていると再確認する。
「んー、そうだね」
――あれ?
思いのほか美帆の反応がよくない。凜玖を振り向かせるためなら何でもする勢いなのに、なぜだろう。
もしかしてあれだろうか。いざ好きな人が目の前にいると緊張して何もできなくなる――美帆はそっちのタイプだったか。
「ひーちゃん、しつこくなるっスけど、ひーちゃんは本気で先輩と添い遂げたいって思ってるんスよね」
「――うん、美帆は兄さんのお嫁さんになる」
「現状ひーちゃんは周回遅れスタート、何ならあたしの方が先輩に女として意識されてるっスよ」
「は?」
「すみません調子に乗りました」
闇のオーラが充満し始めたのをかき消すように、一度咳払いをした華奈は、とりあえずこれからの筋道を立てることにした。
「先輩の彼女については、あたしに任せてもらっていいっスか? ちょっと個人的に調べたいことがあって」
「……いいけど、遥陽さんに乱暴したりするようなことは……」
「そんなことしないっスよ。もう少しハッキリすればひーちゃんにも説明するっスから」
美帆は要領を得ない感じで首を捻っていたが、これでいい。裏でコソコソするのは華奈だけで十分。
美帆には正面から凜玖にぶつかってほしかった。
「美帆は兄さんにさり気なくアピールしていったらいいってこと?」
「っス。そんなに焦らなくて少しずつでいいっス。最初は、呼ぶときに腕を引っ張ったり、長めに肩を叩くとか、そういうのでも効果はあると思うっスから」
あくまでも華奈の見立てだが、美帆は華奈のように大胆に迫るというより、ちいさなドキドキをいかにして数多く積み重ねられるかが大事だと思う。
「うんわかった! 華奈ちゃんの言う通りやってみるね!」
「じゃあまた何かあったら連絡して下さいっス」
「ありがとうね華奈ちゃん、美帆頑張るから!」
強く降っていた雨も、今は止んできて少し晴れ間が差し込み始めていた。
来た時はどんよりとしていた美帆も、今の後ろ姿は自身に満ち溢れている。
今の今までずっと一人で抱え込んでいた重しが外れてスッキリしているみたいだ。
美帆の未来もこんな風に開けていってくれればいいな――と、どことなく心の中で祈りながら、華奈はスマホを操作する。
「――あっ、もしもし今大丈夫っスか? ちょーっと例の件で聞きたいことがあるんスけど、今すぐうちに帰ってきてほしいっス。えっ勉強? 知らないっスよそんなの。浪人するのとあたしに一生口聞いてもらえなくなるのどっちを選ぶっスか、おにーちゃん?」
***
そろそろ寝ようと思い、充電器を繋いだスマホをコンセントに刺したところだった。
床にじか置きしていたため、不意打ちの振動に華奈も同じように一瞬身体を震わせた。
「……もしもしひーちゃん、なんスかこんな時間に――」
「華奈ちゃあああん!」
「えっ、なっ、どうしたんスかひーちゃん?」
突如スマホ全体から漏れ出したような鳴き声に、思わず手から滑り落ちそうになったのをキャッチする。
わんわんと泣き続けていた美帆が落ち着いたのを見計らい、もう一度何があったか聞いてみる。
「先輩となんかあったんスか?」
凜玖が、幼なじみの彼女を家に呼んでいたことはすでに美帆から聞いていた。さっきまであんなにやる気に満ち溢れていたのに、心が折れるような何かがあったには違いない。見たくない光景を目撃してしまったとか。
――が、華奈の予想はとんちんかんなものであったと、すぐに思い知らされる。
「寝ている兄さんにこっそりキスしたらバレちゃったよぉぉおおおおおお!」
「………………は?」
――このあと五回同じ質問を繰り返したが、返っきた答えは五回とも全て同じだった。
おかげで、数時間前に兄から得たおもしろい情報のことなんて、頭の中から綺麗さっばり消え去ってしまった。
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