第37話 華奈は見た
***
あれは確か半月ほど前のバイトの日だった。
華奈は美帆と立てた作戦が見事にハマり、美帆の好きな人であるバイト先の先輩――凜玖とその想い人であった九条雛美を完全に遠ざけることに成功していた。
たまたま行きで凜玖とばったり出会い、さらに偶然が重なり九条とその彼氏が仲睦まじくしているところを見つけてしまった。
何も知らない凜玖は動揺を隠せずパニックになっていたけど、ここで華奈が口を滑らせるわけにはいかない。
適当にからかいながらやり過ごし、隣でわなわなしている凜玖を観察するのがおもしろくて仕方がなかった。
美帆からは、同じ高校に通っていて一目惚れしたと聞いていたが、こういう平凡な男の子がタイプだったのか。
お世辞でもイケメンとは言えず、人混みに紛れるとすぐに見失いそうな、どこにでもいる普通の男子高校生。
確かに話していると、ちょっと構ってやりたい欲が妙に湧いてはきても、それ以上の感情が抱くようなことはない。
美帆にお願いされていたのもあって、女の子に対する免疫などがあるかどうか確かめたり、さり気なく誘惑したりといったことも何度かやった。
けど不思議なことに、凜玖はそれに流されて乗ったりしてくることはなかった。でも顔を真っ赤にして照れているから、単に興味がないというわけではなく、この人の中には簡単には覆せない強固な何かがあるんだなと、その時にはそう思っていた。
華奈と凜玖は同じお店で働いているといっても、ホールとキッチンなのでバイト中はあまり接点がない。恐らく美帆がいなければ、未だに挨拶をする程度の関係だっただろう。
その日は夕方から少し忙しくなり、華奈が一時間の延長を天地にお願いされ、凜玖は先にあがっていた。
そして慌ただしかったのも落ち着き、華奈も着替えを済ませ店を後にする。
いつも裏口に出る途中、フードコートの前を通るのだがその時にたまたま華奈の見知った人物を発見した。
「……あれは、九条さんの彼氏になった書道部の……」
そうなるように仕向けたのは華奈たちで、向こうはもちろん華奈の顔も名前も知らない。
だから隠れたりする必要もないのだけど、少し後ろめたい気持ちもあったのも事実。
しかし、つい数時間前までは九条とデートをしていたのを目撃していただけに、今一人でいることが不思議だった。
「何を見ているんスかね……」
九条とはもう解散していて、夕食をここですませるのだろうか。その店選び?
あまり気にしても仕方ない。華奈もバイトで疲弊していて早く帰りたい気分だった。何食わぬ顔でその後ろを通り過ぎようとした時だった――
おもむろにスマホを取り出した九条の彼氏は、それを横に向けて写真を撮るようなポーズをとった。
「……?」
さりげなくその画面を見たところ、やはりカメラを起動している。
何かおもしろいものでもあったのか、華奈はつられてそれを写しているであろうピントの先を注視し、その線上に華奈のよく知る人物を発見した。
「先輩とひーちゃん、あとあれは誰だろう……」
通路のすぐ側のテーブルで談笑している三人。何となく嫌な予感がして再び男のスマホを除くと、ちょうど画面を叩いたところだった。一回、間を空けることなく二回目――
「………………えっ……?」
反射的に気の抜けたような声を漏らしてしまい、華奈はすぐに手で口を塞ぐ。人がまばらに行き交い、さらに男は目の前のことに集中していたのか、華奈の存在には気づいていないようだった。
「……危なかったっス」
早歩きで従業員専用の通路に出た華奈は、胸を撫で下ろした。
周りに人も多くあまり不審な動きはできなかったけど、あの画面に映っていたのは間違いなく、美帆達が座っていたテーブルだった。
だけど華奈がいくら考えても、それをする理由が浮かんでこなかった。
九条の彼氏は凜玖と九条が二人でよくいる所を知っていたから、こいつはすぐに他の女とイチャコラするようなやつ、だということを九条に見せるため――ぐらいしか思いつかない。
――華奈自身、その日の出来事は一晩もすれば頭から完全に消え去っていた。
実際に華奈も男のスマホを視界に捉えたのは一秒ほどだったせいか、絶対にそうだったという自信も、時間が経つにつれて薄れていったからであった。
***
「九条さん……先輩……先輩の彼女……」
美帆を抱きとめる華奈は、何度も同じ単語を反芻して天を仰いだ。もうちょっとで何かが繋がりそうで、けどまだ何かが足りない。
途中までわかっているのに手が止まってしまう、ややこしい数学の問題を解いている気分だ。
華奈は以前、美帆があれだけ一途に思い続ける凜玖がどれほどの男なのか、一度誘惑して確かめてみたことがある。
その時はまだ、まさか凜玖が美帆の義兄ということを知らなかったため、あとでその話をしたら美帆にむちゃくちゃ怒られたが。
するとびっくり、暗がりの密室、その上かなり際どいことをして迫ったというのにはっきりと拒絶されてしまった。
顔もスタイルも平均よりは上――と自負している華奈としてはショックなことこの上なかったが、その時には既に凜玖の心の中には大きな存在がいたのだとしたら、納得もできなくはなかった。
タイプじゃないって言われてたら、それもそれで多分ぶん殴っていたけど。
「九条さんに関してはほとんど諦めていた……それ以外だとすれば今の彼女っスか……?」
凜玖と美帆の話から推察するに、凜玖はけっこう本気で九条に入れ込んでいて、実際に凜玖と二人で九条と彼氏のデートを目撃したときは、割と本気でへこんでいた。
彼氏ができたと知ってもなお、まだ完全に心が離れていなかったのに、日を置くことなくすぐに新しい彼女を作る。
華奈の知っている凜玖の印象とも微妙にズレている気がした。
「……あたしの考えすぎっスかね」
真実は至って単純。今までただの幼なじみだと思っていた女の子が、実はとても美人に成長していた。凜玖はようやくそれに気付かされる。
っていうパターンかもしれない。人の心なんてそういうものだ。
「でもやっぱり、これ以上ひーちゃんの悲しむ姿は見たくないっスね……」
「――華奈ちゃん、さっきから何ぶつぶつ言ってるの……?」
ふと見ると、泣き腫らした顔の美帆がこちらを見上げていた。今どき好きな人に恋人ができて、こんなに泣く子が果たしてどれぐらいいるのか。
「ひーちゃんはまだ先輩のこと諦められないんスか?」
「あ、当たり前だよ……兄さん以外なんか考えられない」
どうしてこんなに強い眼差しを――
美帆だって理解しているはずだ。この先どういう未来が待ち構えていようと、美帆が辿るルートは地獄しかないということを。
義理の兄に恋をするということが、この先の人生全てを賭けるに等しいということを。
それらを全て踏まえても、美帆の瞳は光を放っていた。華奈が見たことのないような、闇を全て照らすような輝きを感じた。
「……仕方ないっスね。あたしも協力するっスよ」
「いや、でもそれは……」
「何か問題あるっスか……?」
「だって美帆、正直に言うけど華奈ちゃんのこともちょっと疑ってたんだよ。兄さんと二人きりでカラオケに行ったりして、兄さんのこと好きになったんじゃないかって」
「いやいやないっスから、……このないというのは先輩が魅力的でないという意味ではなく――」
いくら友達とはいえ、どうして華奈がここまで美帆に尽くすのか。
それは華奈しか覚えていない、ほんの些細な事件がきっかけ。恐らく美帆自身も覚えていないだろう。
でもそれがあったからこそ、今こうして二人は一緒にいられる。
それだけで、華奈が美帆のために動くには十分な理由だった。
「本当にまた美帆に協力してくれるの?」
「何度も言わせないでくださいっス。今度おいしいスイーツ奢ってくれたらそれで満足っスから。――それじゃあひーちゃん、これからについての話し合いといくっスよ」
「これから……?」
華奈は美帆を抱き起こすとその両肩を強く握りしめ、満面の笑みで歯を見せた。
「ひーちゃんの大好きな先輩の、好きな野球に例えるなら、今は五回裏に満塁ホームランを打たれて逆転されたところ」
「う、うん、ヤバいじゃん……」
「でもこれからグラウンド整備をして、後半戦が始まるっス。すぐに相手投手をマウンドから引きずり出してやるっスよ」
「できるの……?」
「あたしを誰だと思ってるんスか、東大に現役合格する女っスよ」
「……初めて聞いたんだけど」
「すると言ったらするんス! だから心配せずとも、今から残りの打者全員を三割三十本バッターに仕上げるっスから」
美帆には啖呵切ったが、まずは情報を集めだ。正攻法での勝負は勝ち目が薄い。
複雑に絡み合った細い糸を一本ずつ解いていくように、華奈は自身が抱いている違和感を一つずつ潰していくことにした。
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