第34話 夢なのか、それとも
***
カーテン越しに陽射しが差し込んできた。
「あっ、雨あがったのかな?」
遥陽が窓の方に移動して外を覗いた。僕も後ろから見てみると、さっきまでの曇り空と大粒の雨が嘘のように綺麗な青空が広がっていた。
「良かったね晴れてくれて」
遥陽がうちにきて、もう数時間経っている。いつの間にか夕方になっていたから、今日はそろそろ解散しようかという話をしていたところだった。
「途中からはずっと喋ってただけなのに、あっという間だったね」
「うん、僕もう喉がカラカラだよ……」
「私も、明日の朝起きたときの声が心配」
ずっと二人でいたのに、不思議と話題は尽きなかった。僕たちが出会った幼稚園の頃から、今に至るまでこんなことがあったねと、終始思い出話に浸っていた。
「私はずっと凛くん一筋だったのに、まさかあんなに好きな人が移り変わっていたなんてね」
「……大事なのは今だから」
そこには当然、過去の恋愛遍歴も含まれる――というか、メインはほぼほぼそれだった。
分かってはいたけれど、遥陽はやっぱりそれなりにモテていたらしい。中学から高校にかけて、数人の男子に告白されたことがあるって話してた。
当時は遥陽の口からそんなことを聞いた記憶がなかったし、いつも顔を合わせていた僕は全く気づきもしなかった。
でも遥陽はその告白に対して全部、『他に好きな人がいるから』という理由で断っていた。相手からしたら、ただの建前にしか聞こえないかもしれないけど、さっき遥陽に正面から説明されたときはらさすがなかなり照れてしまった。
そんな遥陽とは正反対に、僕はこれまで数え切れないほどの好きな人がいた過去がある。
常に誰かしら、好きな人がいないと心が落ち着かないっていうか、言い難い不安感が押し寄せてくるのだ。
もし完全に脈がなかったりしたら、すぐに別の人にスイッチする。
遥陽のこのことを言ったら、割とリアルにドン引きされてしまった。
自分でも分かっている。ちょっと異常なんだなって。他の人が頑張ってアタックしたりするのを僕は躊躇って、勝手に諦める事が多かった。
それも一つの要因なんだろうけど、誰か好きな人がいる、という状態が、僕にとっての精神安定剤のような役割を果たしていたんだ。
「――でもこれで、凛くんも変な体質とおさらばできるね」
「遥陽が僕の前から居なくならない限りはね」
「もう、そんなこと言わない! いなくなるわけないでしょ!」
遥陽は僕の手を握って、頬を膨らませる。
遥陽に、僕のどこがいいの? って尋ねてみたんだけど、恥ずかしいってはぐらかされてしまった。
積極的なスキンシップは隙あらばとってくるのに、言葉で表現するのはまた別らしい。
「私の心は、もう十年も凛くんでいっぱいだったんだよ。何があっても絶対に離れたりしないんだから」
遥陽は僕の人生で初めてできた彼女。それがそのまま、いい意味で人生最後の彼女になってくれるといいんだけど……。
「もしこれが全部夢だったらどうする?」
「うーん……目覚めたあとで、もっかい凛くんに告白するかな。本当にこれが全部夢で、そもそも私と凛くんが知り合いじゃなかったとしても、この胸の気持ちだけは本物だから。世界中這い回ってでも凛くんを探し出してやるんだから」
「世界中は大袈裟な。……でも本当にそんな風に思ってくれる人がいるなんて、幸せだよ僕は」
「うん……だから間違っても他の人を好きになっちゃ駄目だからね。そんなことになったら、私自分でもどうなるか分からないから……」
「なるわけないさ。僕を誰だと思ってるの」
「……なんか一気に説得力なくなったのは気のせい?」
ふふっ、と二人して吹き出してしまう。
そして、視線が交錯しどちらともなく顔を近づけ――唇を重ね合う。
もう今日だけで五回以上はした。
やっぱり何度やっても慣れないし、心臓のバクバクだって収まらない。
けど一番僕を虜にするのは、顔を離して目を開けた時最初に映る、恥じらいを帯びて紅に染まる、遥陽のとろんとした表情だった。
「……じゃあね凛くん。次会うのは学校が始まってからだね」
玄関先で名残惜しそうに手を振る遥陽を見送る。
もう夏休みが終わる。付き合ったタイミング的に難しかったけど、また今度泊まりがけで旅行とか行けたらいいね、っていう話もしていた。
遥陽とはクラスも別だから、学校で一緒に過ごすことは多分ほとんどできないだろうし、それはちょっと寂しいな……。
「――うん、遥陽こそ気をつけて……あっ、ちょっ、遥陽!」
と、背中を向けた遥陽に、僕はふと大切なことを思い出して呼び止める。
一体なんだ、と僕の慌てっぷりに立ち尽くす遥陽。この前の事件のことをすっかり忘れていた。
「遥陽、例のあの盗撮と脅迫文のやつってあれから何もない?」
「あっ、あれ! 今のところはあれ以来なにもないけど……なんだったんだろうね結局」
うーん。なかったらなかったでいいんだけど。あの一度きりというのがモヤモヤするな……。
「そっか、引き止めてごめん。何かあったらすぐに連絡してね!」
真相は闇の中――ということになるのだろうか。イタズラにしては手が込んでいてタチが悪い。もうこのまま何も起こらないことに越したことはないんだけど……。
***
出かけていた美帆は、外で夕食をすませていたらしく帰ってくるのも少し遅かった。
帰宅後もずっと部屋にこもりっきりだから、今日のお礼も言えない。
僕と遥陽が付き合っているということで、もしかしたら今後も今日みたいなことがあるかもしれない。
毎回毎回美帆に出ていってもらうのも、どうなんだろうって思ったりもするんだけど、僕もどうしたらいいのか何も案らしき案が浮かんでこなかった。
……また遥陽の手を借りるしかないか……。
試しに部屋をノックしても無視されてしまった。家庭内で居留守を使われるのは普通に傷つく……。
高校生にもなって勝手に女子の部屋を開けるわけにもいかないし、今日のところは諦めてまた出直そう。
その後眠りについた僕は、夢を見ていた。
――僕の部屋で遥陽と二人で談笑している。
やはり今日という日が脳に与えたインパクトは強かったのか。記憶を再現しているみたいだ。
夢の中の僕は口も身体も、夢の中とは思えないほど意志を持って動かすことができる。これを夢だと認識していなければ、現実だと勘違いしてしまってもおかしくないぐらいに。
僕は遥陽の肩を抱き寄せている。どうやら現実の僕よりも、積極性のバラメータが高いらしい。本当に夢って都合がいいようにできている。
遥陽は全く嫌がる素振りを見せず、むしろ僕の胸に身を預け、よく見たおねだりの上目遣いを見せていた。
「――好きだよ」
――僕も。
唇から伝わった柔らかい感触を引き金に、目の前が真っ暗になった。
夢から覚めたのか……?
一番大事なところでお預けだなんて、これだから夢は都合がよすぎるんだ。
「――好きだよ、兄さん」
そして、中途半端な時間に覚醒したせいか、鉛のように重たくなった瞼を開けた僕の目に――いや口に――違う、耳に――
――まるで金縛りにあった気分だった。
人は毎晩眠っている間に三種類程度の夢を見るって聞いたことがある。遥陽との夢が終わって、これは次の夢を見ている……?
「えっ、にいさ――おきて――」
何かが駆けていく気配。
バタン――という大きな音が耳に響き、僕は今度こそ身体の自由を得た。
まだうまく頭が回っていない。それでも僕は、無意識のうちに自分の口元に手をやっていた。
ほんのりとした湿った手触りが、それが夢ではないと主張していた。
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