第33話 遥陽と過ごす一日②
「そ、そう言えば私今日お弁当持ってきたんだ。凛くんお腹すいてない?」
何とも言えない空気が漂っていた短い沈黙の後、遥陽が思い出したかのように手を叩いた。遥陽の頬は高熱が出ている人みたいに紅潮している。多分僕も鏡を見たら同じようになっているだろう。
気がつけばもうすぐ正午だった。感覚的には遥陽が来たのはついさっきだったのに、時間が経つのが早すぎる。
雨脚はまだ弱まことなく振り続けている。窓に水が跳ね返る音だけは、朝からずっと変わっていなかった。美帆は何しているのかな……。
「はいどうぞ、お口に合うか分からないけど……」
遥陽は持ってきていたリュックの中から、自分と僕の二人分のお弁当箱を取り出して、机の上に並べた。
「遥陽って普段から自分で作っているの?」
僕の高校は昼食は各自で持参だから、クラスのほとんどは家からお弁当を持ってきている。食堂なんてものはなく、購買も申し訳程度に数種類のパンを売っているだけで僕自身一度も利用したことはなかった。
「……いつもはお母さんに作ってもらってて、今日が初めてかな……。自分にも、誰かにも作るのは」
うちでは、僕も美帆も母さんに作ってもらっている。仕事もあって大変だろうに、中学の時からずっと毎朝欠かさずに用意してくれて、本当に感謝している。
「じゃあ開けるね」
隣でもじもじしている遥陽を焦らすのも何だか可哀想なので、手っ取り早く蓋を開けることにする。
二段弁当のうち一弾は白米と梅干しで、もう片方におかずが詰められているといった感じだ。
「すごい……! これ本当に初めて作ったの?」
「ん……本当はお母さんに手伝ってもらったけど、大事なとこは全部自分でやったよ」
おかずの中身は、卵焼きに唐揚げ、ひじきの入ったつくねとマカロニサラダ。あとはリンゴも剥いてある。
僕がいつも食べているのは、晩ご飯の残り物と冷凍食品が大半を占めるから、全部一からというのは久々に見る。
「眺めてるだけでもうお腹が鳴りそうだよ、早速食べてもいい?」
「うん!」
僕は「いただきます」と手を合わせ、遥陽も横で蓋を開けて食べる準備をし始めた。お箸を持っている間も遥陽が横目でチラチラ様子を窺ってくるから、ちょっと緊張してしまう……。
まずは卵焼きから。一口サイズだからちょうどいい。見た目は母さんが作った物と変わらないけど……。
「うわあ……おいしいなあ!」
「ほんとに!? よしっ!」
今まで見たことのないようなガッツポーズで拳を掲げる遥陽。ありきたりな感想しか出てこなくて申し訳ない……。でもおいしいのはおいしいんだから。
昔に何度か、友達何人かと互いの卵焼きを交換し合う、みたいなのをやってた時期があったんだけど、それも同じ卵焼きでも味や色合いが微妙に違った記憶がある。
使っている調味料の種類や量、焼き方で変わるんだなあってボヤーっとした想像を浮かべていたのは、あながち間違ってはいないのかもしれない。家庭の数だけ味の種類もあるということが。
「凛くん! おかずもいいけどこっちにも注目してほしいの!」
遥陽が僕に見せてきたのは、箸の上に乗った白米と梅干し。
「このお米は去年特Aを取った銘柄で、梅干しだってスーパーとかじゃなくて直接農家から取り寄せてるんだから。むちゃくちゃおいしいよ!」
「そ……そこまで拘ってるんだね」
たぶん僕、お米を食べても違いまでは分からないと思うんだけど……。
梅干しを箸で手頃なサイズに分けて、ご飯と一緒に口を運んだ。
!!!
「……甘い」
「でしょ! ふつう梅干しって酸っぱいイメージがあると思うんだけど、これは違うの! 甘くて酸っぱくておいしいの! 私なんか家ではそのまま丸ごと食べたりしてるからね」
僕も梅干しを食べる機会といえば、コンビニ等に売っている梅干し入りのおにぎりぐらいだ。
確かに遥陽の言う通り、この梅干しは甘かった。ただ甘いだけでなく、ちょうどいい割合で酸味も合わさっていてこの味を出しているんだろう。合っているか知らないけど。
僕が人生で食べてきた梅干しで、一番おいしいと思ったのは認めよう。遥陽が興奮するだけのことはある。
その後も僕は遥陽の解説――ここはこういう風にして作ったとか――を聞きながら次々におかずを食べていった。
ずっと見張られているみたいで、ちょっと早食いしたみたいになってしまったけど、そうしていても美味の一言だった。
「ごちそうさま遥陽、本当においしかったよ」
「こちらこそ、おいしく食べてくれてよかった。頑張って作った甲斐があったよ」
一品食べるごとに遥陽が鼻息荒く顔を近づけてくるから、僕はその全部に同じ「おいしい」という感想を言ったのだけど、ちゃんと満足してくれてよかった。
できればもっと細かい表現で言いたかったのだけど、ボキャブラリーが乏しく、僕の舌では味付けに何を使っているのかさえ分からなかったから、ヘタに大人ぶるよりかはこれでよかったのかもしれない。
「凛くん……また作ったら食べてくれる……?」
「もちろんだよ。むしろ毎日食べたいぐらい」
「~~~っ! じゃ、じゃあ二学期から作ってもってこようか……?」
「えっ……そんなの悪いよ大変なのに」
本音を言うと食べたい。彼女の手作り弁当を昼休みに一緒に食べる――なんて誰しもが憧れることだと思う。
けど遥陽は部活が忙しいのはよく知っている。大会前には朝練だってしているみたいだし、僕の存在が遥陽を邪魔するようなことだけは嫌だった。
「むー……」
頼めば、遥陽はきっと毎日作ってくれる。そういう子だ。
「むー……」
遥空になったお弁当箱と僕の顔を交互に見やっている遥陽。僕が数学の問題を解く時の顔になっている。
動物のような呻き声をあげているけど、これは考えごとをしているのか、それとも僕に何かを訴えかけているのか――
「…………分かった」
「むっ!」
「毎日は遥陽に負担がかかりすぎるから、一週間に一回……お願いしてもいい……?」
「もちろん!! 楽しみにしててね!」
と言うやいなや、僕の腕に抱きついてくる。不意のそれは心臓に悪い。
「遥陽……」
「なあに? ここは家の中だから誰にも見られることないよ?」
確かに……僕のいつものは通用しない。 いい加減僕も慣れないといけないな……。こんなスキンシップ、恋人同士なら当たり前のことだって。
というかついさっきは、もっと――
「凛く……」
「はる……」
密着しているせいかちょっと横を向くだけで、至近距離で目が合ってしまう。上目遣いで僕を見上げる遥陽の瞼が、ゆっくりと閉じられた。
「んっ……」
これは多分……あれだよね。
僕の腕からスルッと抜け落ちた遥陽の両腕が、腰の辺りに回された。
遥陽の身体がぐいっと寄せられ、僕も震える腕に力を込めて、遥陽の華奢な背中に手をやった。互いに触れ合う面積がより広がる。
いい匂い……そしてやっぱり、可愛いなあ。こうして髪の匂いを嗅いでいるだけでも、おなしくなりそう。
「んっ……!」
……早くしろと催促された気がした。
一度唾を飲み込んだ僕は、突き出されたそのピンク色の唇にめがけて、一直線に――
今度もまた、ただ重ね合わせて少しついばむような軽いキス。
「……大好きだよ、凛くん」
「……僕もだよ遥陽」
二回目のキスは、一回目よりも何だか甘酸っぱい感触がした。
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