第14話 密室だからできること


夏休みの夜ということで、もしかしたら部屋が満室になってるのではと心配していたけど、どうやらそんな必要はなかった。



受け付けは達海さんが手馴れた様子で済ませ、その間僕は後ろで縮こまっていた。カラオケに来るのも一年ぶりぐらいだ。ましてや女子と二人きりなんて人生初ではなかろうか。



「部屋は三階っスよ。エレベーターは混んでるっぽいんで、階段であがりましょ」



達海さんに先導され、僕たちは三階の一室に入った。中は広くもなく狭くもないといった感じだ。三人がけのふかふかの黒いソファが二つ置いてあるし、もう少し人数が多くても困ることはなさそう。



「ここ無料でドリンクバーついてるんスけど、先輩何か飲みますか? あたし取ってくるっスよ」



荷物を置いて明かりをつけた達海さんが、ソファに腰かけていた僕に訊ねる。後輩に取りに行かせるのも悪い気がしたけど、僕が代わりに行くって言っても押し問答が続きそうだからな……。



「じゃあお言葉に甘えて……コーラをお願いしてもいいかな」



「了解っス! ちょっとだけ待っててくださいね」



確かドリンクバーは二階って言ってたっけ。何回も行ってもらうのは申し訳ないから、次は僕が達海さんの分も取りに行こう。



画面には大音量で流行りの曲のプロモーションビデオが流れている。そして目の前のガラス板の机にはリモコンとマイクが置かれているが、単純に歌いにきたってわけではないんだよね……?



僕は未だに達海さんとの距離感が上手く掴めていない。僕が異性慣れしていないのも要因の一つかもしれないが、勘違いされても文句言えないようなスキンシップが多々あるため、僕としてもどう反応したらいいのか迷ってしまう。



「先輩お待たせっス~」



僕が逡巡しているうちに、二つのグラスを手に持った達海さんが戻ってきた。達海さんはカルピスかな……?



「よーいしょっと」



「ちょっ達海さ――」



ドサッと、後ろに倒れるようにしてソファにもたれかかった達海さんに、僕は芋虫のごとく横に移動してスペースを空ける。



「ん? どうしたんスか先輩?」



「どうしたも何も何でここに座るのさ」



「ソファだからに決まってるじゃないスか。それともあれっスか、あたしにはずっと立ってろとでも言いたいんスか?」



「いやそうじゃなくて……」



僕はテーブルを挟んだ向かいのソファに目をやった。達海さんは何の躊躇もなく僕の隣に座ったため、選ばれなかったソファが心なしかげっそりしている。



「別に膝の上に乗ろうってわけじゃないんスから、ほら先輩、乾杯するっスよ」



絶対に移動はしないからな、と言う見えないプレッシャーに僕は心の中で白旗を上げる。達海さんに言い返してよくなった試しは記憶にないからね……。



「……ありがとう」



渋々グラスを受け取った僕は、達海さんのグラスとコツンと音を鳴らした。何に対する乾杯かは分からないけど。



「じゃあそういうわけで、さっきの話の続きといくっスよ」



はい、とマイクを手渡してくる達海さん。この距離でマイク越しに会話するのはさすがに変すぎる。僕は受け取ったマイクを流れるような動作で机に戻し、腰を少し上げて座り直した。



「ちょっとビデオの音うるさいッスね。消してもいいっスか?」



「構わないけど、だったらこんなとこに来なくてもよかったんじゃ……」



「フードコートやカフェとかだと、いつどこで誰が聞き耳立ててるか分からないっスからね。これは先輩のためなんスよ」



そんな探偵やスパイに追跡されるような人生送っていないんだけど……。僕のプライベートを丸裸にしたところで一体誰が得をするというのだろう。



――と、あれやこれや達海さんに喚き散らしたところで僕のたどる未来は変わらないため、早いうちに済ませてしまった方が得策だ。



「まあさっきの話に戻ると、その一緒に遊んだ幼なじみに付き合ってほしいって言われたんだ――」




――そして僕は、事の顛末を達海さんに話した。




あまり長くなるのもあれなので、細かい部分は端折って重要な部分だけ抜き取り、最終的に僕の出した答えは保留だということも言った。




「遥陽は今まで僕にとって、どっちかというと親友のような存在だったんだ。遥陽も多分そのことを分かっていて、だから『今はまだ答えを出さなくていから、その代わり夏休みが終わるまでに聞かせて』って言ってくれたんだと思う」




一人の女の子として意識していなかった、というわけでもない。ただ一緒にいる時間が長すぎて、それとは別の方向に遥陽を大切な人だと思い込んでいる自分がいた。




「なるほど……あたしにはそういう幼なじみがいなませんが、いい人っスねその幼なじみさん」




「達海さんにわざわざ言われなくても、そんなこと昔から知っているよ」



「先輩、それもう彼氏が言うセリフっスよ」



バシッと漫才のツッコミのようなしばきを頭に受ける。僕年上の先輩なんスけど。



「でもそんな風に思っているのに、すぐに答えを出さなかったっていうことは、先輩の中で迷いがあるってことなんスよね」



「そうなるの……かな」



ちょっと曖昧に濁した僕だったけど、達海さんの指摘は的を射ていた。



僕の恋がこれまで一方的な片想いだったことから、好意を向けられるということに対して、耐性というものがついていないのだ。



九条さんのように好きな人がいるときは、少しでもその人の好感度を上げようと夜な夜な考え、そしてそれが成就したときはこんなことがしたいな――なんて思いを張り巡らせていただけに、いざ自分が逆の立場になった途端、なぜか急に言い知れぬ不安感が押し寄せてきたのである。



僕はこの心の中に生まれたモヤモヤ感を達海さんに伝えてみた。多分これまでモテモテの人生を歩んできたであろう達海さんなら、僕の気持ちを理解してくれるはずだ。



というか、こんな話できるの今の僕には達海さんしかいない。半ば誘導尋問みたいな感じでいろいろ喋らされ、挙句の果てにはこんなとこにまで連れてこられたけど、僕も拒否しようと思えばいくらでもできた。



でもそれをしなかったということは、僕自身も心のどこかで誰かに聞いてほしいという気持ちがあったということだ。その証拠として、今ここにいる。



同じ学校の友達とかだと、すぐに噂が広まって遥陽にも迷惑をかけることになる。そして遥陽と仲良しの美帆に話すのも何か変な気がするし……。



だから高校も別で、バイトでしか関わりがなく僕に対して気さくに接してくれる達海さんは、打ってつけの子だったんだ。



「――うーん、そりゃあたしも興味のない男に向けられる好意ほど鬱陶しいものはないっスけど、先輩はそれとはまた別っスからね……」



そうなんだよ。僕は遥陽のことを嫌いに思っているわけでもない。確かにかなり動揺はしたけど、その分嬉しさもちょっとあった。



天井を見上げてうーんと唸っていた達海さんは、何かを思いついたかのようにポンと手を叩いた。



「分かったっスよ先輩!」



ズズズ。



達海さんとの距離をとるためさりげなく端の方に座り直していた僕に、再びその空間の隙間を埋めてきた達海さん。



もうこれ以上は落っこちてしまうといったところまで来ているというのに、肩が触れ合うところまで達海さんは迫ってきた。この子にはパーソナルスペースという概念が存在していないのだろうか。



「先輩は多分怖がってるんスよ」



「怖がってる? 何に?」



今の状況もなかなかにスリリングだけど……。



「先輩は人生で初めて告白されたんスよね」



「人生で初めては余計だ」



「いやいやそこが重要ポイントっスよ。今まで親しかった幼なじみさんともし付き合うってなった場合、今の関係が変わるのを無意識に恐れてたんスよ」




「僕が遥陽と付き合うことに僕自身が抵抗していたってこと?」



「そうっス。いくら仲のいい幼なじみだったと言っても一度カップルになれば多分もう後戻りはできないんスよ。それを先輩は本能的に感じたんじゃないんスかね」





――達海さんの説明をざっくりまとめるとこんな感じになった。



まず、晴れて恋人同士となった僕と遥陽でもそのまま結婚してずっと一緒――なんてことになる可能性はあるのかということ。



確かに高校生で付き合ってそのまま結婚って、あんまり現実味がない気がする。



それで何らかの理由で別れることになった場合、僕たちはこれまでの元の関係に戻れるのかということ。



それはちょっと……厳しいかもしれない。別れる理由って何だろう。喧嘩? 別れるレベルのものだとしたら、これからはまた友達として仲良くしましょう、なんてできやしない。



つまり達海さんが最初に指摘した通り、僕は初めから遥陽と付き合うことよりも、その後のことばかりを考えて、ネガティブな気持ちが渦巻いていたということだ。



「相手が親しい幼なじみだから――ってのもあるかもしれないっスけど、そんなに難しく考えなくてもいいとあたしは思うんスけど……」




「達海さんのような経験豊富な人には分からないかもしれないけど、僕にとっては初めてだからそりゃあ悩むよ……でもありがとうね。こんなこと達海さんにしか相談できなかったと思うし」




達海さんにはこれまでの僕に対する態度も含めていろいろ言いたいこともあるけど、今は感謝の気持ちの方が強い。



そうでなければ、恐らく夏休み最終日まで永遠と悩み続けていたと思う。



「どういたしまして――って言っといていいんスかね。根本的な解決はできてないような気もするっスけど」



「僕自身が気づけていなかった、悩みの種の詳細を明らかにしてくれただけで十分だよ。あとは僕がそれも踏まえ答えを出すだけだから」



「結局悩むんじゃないっスか」



達海さんはそう言ってまた僕の後頭部を叩いた。今のどこにボケ要素があったというのだ。これで相談料はチャラにするから。



「――でも先輩、あたしなら先輩のその悩みも解決できると思うっスよ」



「えっ?」



ズズズズ。何だこの音。



達海さんとはほとんど密着していたはずなのに、なぜかまた距離を詰めるようなソファの皮の音に僕は冷や汗を垂らした。



達海さんが僕の左腕に、右腕を絡めてくる。互いの頬の距離も、どちらかが少し傾くと触れ合ってしまうぐらいに――。



「先輩は今までそういう経験がないから、不安なんスよね」



「ま、まあそうなる……ね」



リアルに吐息が感じられる。身を引こうとしたその瞬間、僕の腕を組む達海さんの手に力が込められた。脳裏に蘇る柔らかい感触。記憶ではない。今また、それが現実に起きている。



「幼なじみさんの回答期限は夏休みいっぱいなんスよね」



「一応……そういう風には言われているけど……」



達海さんは空いていた左手で僕の頬にそっと触れる。僕の身体は金縛りにあったかのように、ピクっと震わせることしかできなかった。









「夏休みが終わるまではまだ二週間ほどあるっス。だったらそれまでに、付き合うってどういう物か経験しておくのが一番じゃないって思わないっスか?」



「た……達海さん……?」




達海さんは僕の耳にかかった髪を後ろに払い、軽く息を吸い込んだ。










「――ねえ先輩、夏休みが終わるまでの間、よかったら試しにあたしと付き合ってみないっスか? 」



「……えっ……?」



「何も知らない初心な先輩のために、あたしが手取り足取り教えてあげるっスよ」









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