第13話 結局のところ


***



カツ丼、カツ丼、天丼、チキン南蛮、唐揚げ、エビフライ、カツ丼、唐揚げ…………。



僕の腕の動きを遥かに上回る速度で耳に飛び込んでくるオーダーに、バイト開始一時間で早くも満身創痍になっていた。



「長浜くん唐揚げまだ?」



「もう揚がります!」



大学生の先輩に今日何度目かの催促をされるけど、だからといって早くできるわけでもない。



僕の技術ではこれが限界なのだから、そんなに言うなら生焼けで出しますよ――なんて言えるわけもなく、これまでの経験を頼りにして、考えるのではなく反射で作業をこなす。



レストランのキッチンで働く僕の今日の担当は、主に揚げ物を作る天場だった。



こんな真夏日に限って……でも今甲子園で戦っている球児たちはもっとしんどいんだ……あっ、今日準決勝だった。



甲子園の日程となるべく被らないようシフトに希望を出していたのだが、雨で順延が重なりまさかの準決勝とバイトの日がモロかぶりしてしまったのだ。



もちろんスマホで途中経過の確認もできるはずがなく、若干の苛立ちと疲労感を覚えながら、何とか昼のピークを乗り切った。










「お疲れさまっス、先輩」



「達海さんもお疲れ」



夕方から入ってくるシフトの人と交替し、僕はようやく思いっきり身体を伸ばすことができた。



今日は僕が来た昼前からほとんどお客さんが途絶えることなく、注文が入ってきたことを知らせる短いメロディがひっきりなしに鳴り響いていた。しばらくは耳にこびりついて家でも聞こえてくるレベルだろう。



「やっぱり夏休み+日曜日ってのは半端ないっスね。この感じだと夜もパンパン間違いなしっス」



達海さんはショッピングモールの中をぐるっと見回して肩をすくめる。一体どこから湧き上がってくるんだっていうレベルの人の多さに、僕も同じ感想を抱いた。



「それはそうと、先輩とシフトが被ってるのも久しぶりっスね。最近見かけなかったから、ショックで塞ぎ込んでるのかと思ってましたよ」



「青春を捧げた男たちの熱い戦いに夢中だったからね。……って誰がショックで塞ぎ込んでるだって?」



「そりゃあ例のあの人に決まってるじゃないっスか。どうせ今年の夏もあたし以外の女の子と喋ったりしてないんでしょ?」



達海さんはニヤニヤとした笑みを浮かべながら、肘で僕の横腹を突く。だがここで動揺したり頭に血が上る僕ではない。



「心外だね。つい最近女の子と二人でここに遊びに来たところだ。それに家に帰れば妹だっている」



「本当っスか~? 女の子は女の子でも、お母さんと二人で買い物とかはなしっスよ」



「僕をなんだと思っているんだ。正真正銘の同い年の子だ。ゲームセンターで遊んでお昼も一緒に食べた」



僕たちがちょうど歩いているすぐ横が、まさにそれだった。もうあれから一週間近く経つけれど、目当ての景品がとれて大はしゃぎしていた遥陽の姿は、今でも鮮明に僕の記憶に残っている。



「へぇー、じゃあその人が先輩の新しいターゲットっスか?」



「ターゲットも何もただの幼なじみ……今のところは」



「今のところ……? てことはただの幼なじみじゃなくなる日が来るかもってことっスか!?」



「……達海さんには関係ないことだよ」



「はい出た、あたしには関係ない。先輩は都合が悪くなるとそれ言うんで、逆に分かりやすいんっスよね~。で、どうなんスか?」



……そうだったのか。思わず口元に手をやりかけたがそれが決定打だった。逃がさないぞと言わんばかりに達海さんにギロりと下からのぞき込まれ、僕は観念した。



――が、ただでやられはしない。



「分かった話すから。その代わり、達海さんがどうやって僕と九条さんのことを知ったのかを教えてほしい」



この交換条件が達海さんにとってどれだけ価値のあるものなのか僕には予想がつかない。しかし結果は以外にも……。



「まあ別にいいっスよ。このネタも古くなりそうだし、先輩の情報のバージョンアップが最優先っスからね」



いいのか。てか人をソフトウェアみたいに扱うな。



人混みの渦を脱出するべく、僕と達海さんはひとまず従業員用の扉を押して廊下に出る。嘘のように辺りに人がいなくなった。当たり前だけど。



「――これ絶対内緒にしてほしいんスけど」



達海さんは背伸びして僕の耳に口を近づけた。突然耳元に生暖かい風が吹き抜け、僕の身体は硬直する。おまけにさりげなく腕まで掴まれている。



スタイル抜群の達海さんの、女性らしさを強調している大きいそれが、僕の腕を挟み込むように……。



こんなことで心臓が高鳴り、ドキッとしてしまう僕は単なる変態か。それとも、健全すぎるが故の反応と開き直っていいのか。



達海さんにとっては、多分こんなのただのスキンシップなのに。その証拠に、真っ赤になっているであろう僕の耳なんか気にもとめずに、そのまま甘い声音を届ける。



「――実はあたしの知り合いに、先輩に興味があるって子がいるんスよ。先輩からの情報は基本その子経由っス」



「……どういうこと?」



一気に熱が引いた気がした。全くの予想外。



「それ実は男っていうオチ?」



「残念ながら正真正銘の女の子なんスよね」



達海さんは本当に残念がるかのようにかぶりを振った。達海さんの話を簡単にまとめるとこうだ。





たまたま僕たちのバイト先に食事に来ていたその子が、調理場にいる僕を見て心を奪われた。


その時ホールに友達の達海さんがいたのを思い出して、後日達海さんとコンタクトを取った。


達海さんはその子から、僕に関することを聞いた。


以上。




「いやいや、何一つ解決していないんだけど。そもそも誰なのその子?」



こんな恋愛漫画のような出会いがあるわけない。

嘘をつくにしてももう少しマシなストーリーがあるとは思うのだけれど。




「あたしが開示できる情報はここまでっスよ。先輩だって自分の好きな人を他の人にバラされるようなことはされたくないでしょ?」



「それは確かに……そうだね」



達海さんの話の真偽はともかく、僕が得られた情報はほぼなしに等しかった。というより、余計にややこしくなった気がする。



俳優やアイドルのようなイケメン顔ならまだしも、僕のようなThe普通な高校生に一目惚れするような子が本当にいるものなのかね……。



もしいるのなら喜んで会うんだけど。……特に深い意味はないよ。別に誰とも付き合っているわけではないからね。うん。



「はい、といわけで次は先輩の番っスよ」



一人脳内会議を切り上げた僕は、はいはい……と仕方なしに頷き――もう歩いているうちに外に出ていたことに気づいた。



「達海さん帰りあっちだよね。僕はこっちだから今日はこの辺で……」



僕は指でそれぞれ北と南を指さして、そのまま立ち去ろうとする。バイトで疲れているのだから、これ以上拘束するわけにはいかないからね。



「ちょい待ち」



南の僕の襟首を北の達海さんがつまみ上げた。そしてクイクイと顎でとある建物を示した。



「何シンプルに帰ろうとしてるんスか。今から二次会ッスよ」



僕と達海さんの視線の先には、最近できた新しいカラオケ店が建っていた。



どうやら陽キャたちは一次会でお金を稼いで、二次会でそれを散財するらしい。まあ僕の勝手な偏見だけど。



どうする? 達海さんとはいえ女の子と二人きりはちょっと――っていうのと、どう足掻いても逃げられないっていうのを言い訳にできる甘い誘惑が拮抗している。



「達海さんはいいの? 親とかに連絡は……」



「もうしたっス。先輩はあたしのお母さん公認っスよ。別にいいじゃないっスか。ただでさえ先輩はピュアで、その上あたしに興味ないんスから、間違いなんて起こりませんよ」



「別に興味ないってわけじゃ……」



ないんだけど。達海さんは普通に魅力的な女の子だと思うし、今までは九条さんのことしか考えていなかっただけであって……。



あと遥陽とも――ってこの話をしなくちゃいけないんだっけか。



「僕も一応晩ご飯とかの時間があるから家に連絡しないと」



「先輩前に両親はいつも遅いから、一緒に食べることはないって言ってなかったっスか?」



「妹がいるんだ。とりあえずメッセージ送ってみる」



僕は美帆に、【バイトの後輩とちょっと寄り道して遅くなりそうだから、よかったら先に晩ご飯食べといて】と送った。



ここで美帆が【兄さんと一緒じゃなきゃイヤだ】なんて甘えてくれれば喜んで帰るんだけど……。



そんな美帆、出会って今日まで一度も見たことがない。残念ながら、僕の中の美帆のプロフィールには兄さん大好き要素は含まれていないのだ……。



あっ、返信きた。【分かった。どこ行くの? ご飯残しておいた方がいい?】



僕は再度メッセージを打ち込む。【カラオケに行くけど一応残しておいて】と。



「……既読はついたけど返事が来ない」



「まあ年頃の妹なんてそんなもんスよ」



外はまだ日が照っていたけど、もうすぐ六時だ。せっかくだから何か食べようかなと思いつつも、そういえば何でカラオケに行くんだという素朴な疑問も浮かび上がる。



何か上手いこと誘導されているような……と感じつつも、達海さんに背中を押されながら僕たちはカラオケに入店した。






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