第10話 幼なじみだけど


……どのくらいの時間が経ったのだろう。僕たち二人だけ、音のない空間に隔離されたみたいだ。



唇にギュッと力を込めた遥陽は、今にも泣き出しそうなほど両目が潤っていた。



何か言わなくちゃいけない。何か……。

何を?



決まっている。遥陽の決意に対する答えだ。今までのおちゃらけて僕をからかう遥陽ではない。絶対に逸らさないという強い意志を宿した遥陽の眼に、僕の喉は急速に乾きを覚える。



「遥陽……あの、僕は、えっと」



――どうしてこのタイミングで? っていうのは正直ある。目と耳から入ってくる情報に、脳の処理が全く追いついていなかった。



そうこうしているうちに、見かねた遥陽が苦笑いを浮かべて一歩後ずさった。



「……ごめん凛くん、さすがにちょっと急すぎたかな……」



それは僕に対してかけた言葉と同時に、自分自身に向けたようにも感じた。



「いや……なんていうか……」



「これは私の我儘だけど、でも凛くんにはちゃんと私のことを考えてほしい……かな」



遥陽は折りたたみ財布を広げて、中から千円札を一枚取り出す。ちょっと待ってて、と言うと近くの両替機で百円玉十枚に替えてきた。



そしてそれを迷うことなく、全て台に投入する。



「私がこれを取れから、じゃあ付き合ってね――とはさすがに言えないけど、私のことをただの幼なじみじゃなくて凛くんに恋してる女の子だって、これから先そういう風に見てほしい」



遥陽の並々ならぬ剣幕に圧され、僕は声を発せずに、ただ頷くことしかできなかった。



遥陽は僕のことが好きだった――?

幼なじみとしてじゃなく、異性として意識していたってこと――?



僕にとっては数少ない気の許せる同級生であり、最も親くて唯一と言っていい女友達。これまでも、これからもずっとそうだと思っていた。



「―― じゃあ、始めるよ」



台に向き直った遥陽は、大きく息を吸い込んだ。



僕はそれを背中越しに、これから行われる勝負を見守っていくことになる。



一プレイ百円だから遥陽にはチャンスが十回ある。 操作方法は十字キーを操作するだけという、いたってシンプルなのもだ。



まず手前にあるアームを左右どちらかに動かし、次に上方向の矢印のボタンを押して奥にある景品に向かい、それを離すとアームが開いて作動する。



僕の予想では、単純に持ち上げて穴に落とすといった方法は通用しないと思う。最初からアームの強さが足りないよう設定されているか、実はぬいぐるみが見た目以上に重いとか、そうパターンだ。



遥陽はまず一回目で、直接掴む作戦を行った。しかし、ほぼジャストの位置にアームを動かしたにも関わらず、ぬいぐるみは一センチほど腰を浮かしただけですぐにアームから滑り落ちてしまう。



……そりゃそうなるよね。これができるのなら大赤字になってしまう。



となると、僕のような素人が思いつく方法は、アームが開いたとき、もしくは閉じたときの反動を利用してぬいぐるみを転がしていく方法だ。



遥陽は、アームの閉じる力を利用することにしたようだ。中心より少しズラすことにより、持ち上げるのでなく引っ掻いて、一方向から力を加えること

で景品が傾く。



短い両足をこちらに向けて座っていたクマのぬいぐるみは、左耳の辺りをアームに食い込まれたことによりそのまま横に倒れた。



「よしっ」



どうやら遥陽の狙い通りらしい。でもここからが肝だ。倒したのはいいけど、穴に入るまではまだ距離がある。三十センチ程度のぬいぐるみが四つ分ぐらい。



ここからどうやってゴールまで運んでいくのか。無機質な目でこちらを見やるクマのぬいぐるみ。もしかしたら僕も今、こんな顔をしているのかもしれない。



必死に顔を近付けたり横から見るなどして、遥陽は完璧なタイミングを逃すまいとボタンを操作している。



――僕は応援した方がいいのだろうか。



仮に遥陽がこれをゲットしたとして、僕は一体どうするのか。



こんなことしなくても、普通に言ってくれれば僕はちゃんと受け止めた。



悩んで悩んで悩み抜いて、絶対にその答えを遥陽に直接伝えていた。



他のあまりどうでもいい女の子なら、何ふざけたこと言ってるの? と言って適当に理由つけて断ってたかもしれない。



けど遥陽は特別だ。それほど僕にとって大切な友達だった。



両親が離婚して周りから浮いていた時や、いつも参観日におばあちゃんが来てからかわれていた時も、遥陽は僕のそばについてくれていた。



どうしてだろう。何も考えていないはずなのに、自然と今までの遥陽との思い出が蘇ってくる。



思えば美帆と暮らし始めたばかりの時も、僕たちの手を繋いでくれたのは遥陽だった。



転校したてで友達のいない美帆を毎日のように家から連れ出して遊んでくれていた。うちで遊ぶ時は無理やり僕も加えられ、するといつの間にか僕と美帆は自然に打ち解けることができていたのだ。



いろいろあって僕は美帆と距離を置いていたため、遥陽がいなければもしかしたら未だにただの同居人のような関係だったかもしれない。



こんな大事なことを遥陽が一時の感情や、思いつきで言うとは思えない。今日僕に会うことが決まった時からもう覚悟は決めていたのだろうか。



「あとちょっとなのに……」



気づけば、遥陽に残されたチャンスは一回のみとなっていた。



よほど集中していたのか、額の汗を拭った遥陽からは熱気のようなものが立ち込めているように見えた。



動かすことなんでできるのか、と思っていた巨体も、遥陽の執念により穴まで残りわずかの所に来ていた。



ここから落とすには、恐らく持ち上げて回転させる必要がある。



このラスト一回で決まる。遥陽は一人で戦っていた。誰であろうと他を寄せつけないオーラが出ている。



僕はただの観客。このままでいいのか。最後までただの見物人で終えて、そのくせジャッジを下す心のない人形みたいに――



「――遥陽!」



そう思った時にはもう、口が開いてその名を呼んでいた。



「凛くん?」



遥陽は虚をつかれたように目を丸くしてこちらを振り返った。





「――遥陽、頑張って」






「――うん頑張るよ。最後に華麗に決めて、このぬいぐるみも凛くんも同時に落としてみせるから!」




ちょっと気が張りつめすぎてて心配だったけど、いつもの遥陽だった。



これを誰かが見ていたら、応援なんかして思わせぶりな態度とるなよ、って頭をしばかれるかもしれない。



自分でもその自覚はある。けど今はただ純粋に、遥陽に頑張ってほしかった。そう思わせられただけで、あるいは遥陽の勝ちだったのかもしれない。



「――よしっ」



と再び意気込んだ遥陽が、最後のボタンに手をかけて離す。アームはぬいぐるみの左足を捉え、そのまま重力に逆らうことなく吊り上げられた。



あとはそのまま引っ張っていくか、もしかするとこの距離なら体勢を変えた勢いで転がって落ちてくれるかもしれない。



僕はただの観客。観客ができるのは、祈ることだけ。



――頑張れ。




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