第11話 好きだから


***



昔の凛くんはかっこよかった。



なんて言ったら、まるで今はかっこよくないみたいに聞こえるけど、そういうわけではない。



私――国分遥陽が、凛くんこと長浜凜玖と出会ったのは幼稚園の頃だった。



当時の凛くんは、今じゃ考えられないけどすごいわんぱくで皆のリーダー的な存在だった。



一人の子や大人しそうな子を率先して遊びに誘ったり、泣いている子を見つけると声をかけにいってあげたりと、まだ幼くて好きという気持ちさえ理解していなかった私の心を奪うには、十分すぎるほど彼が眩しく見えた。



そして私も、怖いもの知らずの歳だったのか知らないけど、実に自分の欲望に忠実だったと思う。自由時間には率先して凛くんの元へ向かい、家に帰って夜寝る時もずっと凛くんのことが頭から離れなかった。



誕生日には似顔絵を書いた手紙を渡して、バレンタインの時はお母さんと一緒にチョコレートを一生懸命作り、誰よりも先に凛くんに届けた。



その頃のアルバムを見返してみると、私と凛くんが遠足で手を繋ぎながら歩いていたり、じゃれ合ってるふうに見せかけて思いっきり抱きついている写真だってあった。



他の友達に凛くんのことが好きなのかって聞かれた時も、『うん好き』ってなんの躊躇もなく答えていたと思う。何なら本人に公言していたし。



だけどいつの頃からか、多分幼稚園の卒園式が近くになってきたぐらいに、段々と凛くんが大人しくなってきたのだった。



例えるなら両手で友達の手を引っ張って外に出る、というよりも一歩引いて後ろから見守り、場の雰囲気が悪い方に傾きそうになったらそれを修正する、調停者のように。



別にそれは悪いことではないし、もうすぐ小学生になるから皆より一足先に大人になったのだと感じていた。



だけど根本的な原因がそうではなかったと知ったのはもう少し後になってからだった。そういえば、お母さんたちが噂していた記憶はある。ただ私には、離婚というのがどういうものなのか、想像のしようがなかった。



晴れて小学生となり、私はなかなか凛くんと同じクラスになれなかったけど、それでもたまに放課後に一緒に遊ぶぐらいの関係は保てていた。



というのも、私の恋心を知っているお母さんが気を使って、父子家庭である凛くんを度々うちに招待していたのだ。



けどそれも学年が上がるにつれて、徐々に減っていくことになる。私は女友達、凛くんは男友達と遊ぶ。特段不思議なことではない。



凛くんもそうだけどそれ以上に私が照れてしまい、いつクラスメイトや他の子に見られないかとビクビクしていたのだ。三年、四年生にもなって男女が二人で遊んでいるとなると、何を言われるかたまったもんじゃない。



だけどそれでも、完全に隠せていたわけでもなく決まって凛くんのことが好きなのか、といろんな人にからかわれた。そしてその問いに対する私の答えはいつも、『全然好きじゃないし』、だった。



周りの目が怖くて、虐められたりからかわれるのが嫌で、私は自分の心に蓋をした。この時の私は数年前の私より弱くなっていた。





さよなら私の初恋。





――って、そんな簡単に諦められるわけないでしょ。



それでも好きだった。凛くんと一緒にいたかった。初めて知ったこの熱い気持ちをこんなことで失いたくはなかった。



そんな私の想いが通じたのか、五年生の夏休みに凛くんの生活が大きく変わったのだ。



どうやら凛くんのお父さんは新しい女の人と結婚したらしい。その人には私より一つ下の女の子がいる。



――これは使える。新たに凛くんの家族となった義理の妹――美帆ちゃんは、私と凛くんを繋ぐ恋のキューピットになるのだ!



私の中のプチデビルがそう囁いた。



凛くんが私の住むマンションの近くに引っ越してきたのも、運命は私に味方したと勘違いした一つの要因かもしれない。



凛くんだけを遊びに誘うのには気恥しさがあった 私も、美帆ちゃんがいたおかげで全く不自然なく凛くんを連れ出すことができた。



最初は美帆ちゃんのことを凛くんを呼び出すための餌としか考えていなかったけれど、一緒に遊んでいるうちに、段々と美帆ちゃんのことを可愛い妹のように思えるようになっていた。



いつしか、凛くんよりも美帆ちゃんと過ごすことの方が多くなった。バレンタインだって美帆ちゃんと二人であげれば、凛くんも変な勘違いをせずに受け取ってくれる。



本当は全然勘違いしてくれてよかったんだけど、まだ早い――高校生ぐらいになって凛くんの方から私に振り向いてくれるような、素敵な女の子になろう。



それまでは今のままの関係で十分。そんな感じに、私は楽観的に物事を考えていた。まるで凛くんと知り合いの女の子は私だけみたいに。



凛くんの女性関係については、私はできる限り調査していた。家での凛くんはどんな感じなのか分からないから、それとなく美帆ちゃんに探りを入れてみたり。



こんな回りくどいことをせずに普通に告白したらいいじゃんって、もし私の友達がそんなことをしていたら、私はそうアドバイスするだろう。



でもできなかった。何よりも、凛くんに拒絶されるのを恐れていた。最悪の結果になって、もうまともに口も聞けなくなったらどうしよう。



自分の悪い所だけは、全く成長していない。ただの臆病者。そんなことしてたら、いつかひょいって攫われちゃうよ。絶対に後悔するよ。



――そしてとうとう、恐れていたXデーがやってきた。



美帆ちゃんからの連絡で、凛くんが想いを寄せていた女の子と上手くいかなくなったっていう連絡が来た。



美帆ちゃんだけの情報で、凛くんから直接聞いたわけじゃないけど、けっこう前から凛くんは九条さんのことが好きだったようだ。



私は九条さんとは面識がないからどんな子かまではちょっと分からなかったけれど、その子に私は負けたんだ――と、悔しい気持ちとそれを遥かに凌駕する嬉しい気持ちが巡っていた。



でもこんなの、これからいくらでも起こりうる。もう私たちは高校生なんだ。当たり前のように付き合ったりする。



もう後悔はしたくない。私が一番最初に凛くんを好きになったのに、ぽっと出の子なんかに奪われるのが何よりも嫌だった。



――そして私は暴走した。



昔の私の武器だった怖いもの知らずの行動力。どうやら悪い方向に成長していたらしい。



告白して、その告白した相手を困らせてしまうって何なの私。十年間の集大成がこれ?



もう何年もやっていないクレーンゲームに運命を任せるぐらい、それほど私は焦っていたのだと思う。



何となく目に付いたクマのぬいぐるみ。ぐちゃぐちゃに引き裂いてやりたいぐらい憎たらしい。こんな大きいの無理ゲーでしょ。



あとワンプレイ。ワンプレイで、今度こそ私の初恋は遠い彼方へ霧散するかもしれないのだ。



『――遥陽!』



……幻聴? 凛くんのことを考えすぎで、とうとう脳がおかしくなった?



『――遥陽、頑張って!』



違う。幻聴なんかじゃない。



凛くんが応援してくれている。私にエールを送ってくれている。てことは、凛くんは私と――



だめだめ。湧き上がってくる邪な考えを何とか押し込み、私は目の前の勝負に集中する。



そして――























***



「あれ、兄さん今日出かけてたんだ」



夕方、僕がリビングで明日の甲子園の見どころ特集を見ていたら、帰宅した美帆が開口一番意外そうな声を漏らした。



「何で出かけてたって分かったの?」



「いつも家にいる時と服装が全然違うし。ニートっぽくないじゃん」



「夏休みの高校生をニート呼ばわりするのはやめましょう。そういう美帆こそ今日は部活休みだよね? 友達と遊びに行ったの?」



「うん、部活の友達のうちにお邪魔してた。ところでその荷物なに? 何か買ってきたの? 」



美帆は視線を足元に落とし、僕が座っているソファの脇に置かれている青い袋に目をやった。



「買ったっていうか、手に入れたっていうか……」



「……ぬいぐるみ? この袋あそこのゲームセンターの入れ物だよね。しかもクマって、兄さんこんなの好きだったっけ?」



「別に好きって言うわけじゃないけど、そのまま置いてくわけにもいかないでしょ」



「じゃあ美帆がもらってもいい? ちょうど枕元に飾りたい可愛いのがほしかったんだけど」



「駄目だよ、これは大切な物だから」



「……そんなに好きじゃないのに大切なの?」



「うん、これは僕にとって何物にも変え難い唯一無二のぬいぐるみだから」



「……変なの。まあそこまで言うならいいけど」



美帆は興味を失ったのかそのまま冷蔵庫に向かい、お茶を取り出してコップに注ぐ。



袋から頭だけをはみ出した、真っ赤なリボンがトレードマークのクマは心なしか、黒いボタンの瞳を僕に向けて微笑んでいるような気がした。

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