消えるアルバイト達 20ページ
「柳田さん。あなたからは何か特別なものを感じます」
え。特別なものって……仕事の仕方とか? まさか男としてとかじゃないよね? 顔とか。……女将さんに惚れられた?
女将が僕の頭の上に手を置きながら続ける。
「ずっと私と共に居てくれるかしら」
「えっ?」
これってやっぱり僕のこと好きってことだよね? いやそんな訳ないか。今まで女の人にこんなこと言われたこともないし。
でもどういう意味だろう? 私と共に? この文章で考えると僕のことが好きで、一緒にいたいというようにとれるけど。
でもたかだか2日半ほど居ただけでそうなるだろうかね? ましてや女将と一緒居た時間なんてわずかなもんだし。やっぱり仕事のことかな。
僕は目線をテーブルに置いたまま女将に質問する。
「それは僕を正社員で雇ってくれるということですか?」
……。
何? また僕、返事を間違えた? しかしそう思ったの束の間、女将が少し笑って答える。
「ふふっ、う~ん。そうね~。とにかく今日、明日とたくさん食事をとって、たくさん栄養をつけて下さいね」
やっぱりそういうことか。ラッキー! これで僕は安泰だ。
女将が僕の頭から手を離し、僕の頭の上から優しい綺麗な声が聞こえてくる。
「じゃあ二人とも大広間に行って、食事してらっしゃい。たくさんお食べになってくださいね」
その言葉にすぐ反応するのはハナハナ。
「はい、
さっきまでの態度と明らかに違うハナハナに、僕はまじまじと顔を見てしまう。
女将に対する憧れのような敬愛のような表情。少し笑顔を見せている。
何だよハナハナの奴。調子いいなぁ。僕が正社員に雇われることが分かったからって急に女将の犬みたいになって。
そんなにハナハナも正社員になりたいのかい? それとも彼氏を探して貰えるから?
まあいいや。どっちにしても山根やハナハナが言っていたような疑わしいことは何もなかったし、夜飯食べて明日を無難に過ごしてお金貰って帰ろう。
あ、そうだ! 帰ったら父さんに電話しようかな。就職決まったよって。絶対に喜ぶでしょ!
ハナハナが立ち上がり深々と頭を下げる。
「では私達はこれでだす」
僕も同じように立ち上がり、ハナハナの後ろを付いて休憩室を出た。
夕食はとても美味しかった。唐揚げやらカツやらケーキなど、高カロリーなものばかりあったけどどれも一流の料理で最高だった。
二日ぶりにシャワーを浴びることも出来た。お湯を張るのは面倒なので湯船には浸からずシャワーだけにしたけど、部屋に付いているシャワールームにしては大きくてゆっくり入ることが出来た。
布団に横になり、リラックスモードの僕。ふかふかで気持ちいい。旅館特有の少し枕が低い感じが残念だけど、寝るには問題がないよね。
それにしても女将が僕の将来性に期待してくれているとは、とても見る目があるね~。いつからここで働こうかな~。引っ越し代とかって、旅館の方でもってくれるのかな?
僕が正社員になったら、絶対にインターネットでホームページを作って、この旅館を有名にしよう。
で、芸能人も来るような、それでいて隠れ家的な旅館にして、アイドルのライブとか開催しよう。楽しみになってきたな~。
そんなことを考えている内に、いつの間にか寝てしまっていた。
ーー三日目の朝。
目覚ましの音で目が覚めた。流石に毎回山根に起こされるわけにもいかない。目覚ましはかけたけど、急に音が鳴るのはとても不快なものだな~。
家にいたら自然と目が覚めるまで寝ているのにな~。まぁいいや。今日一日頑張ろう。
僕は重たい目を何とか開き立ち上がった。歯を磨き、顔を洗い、一階の大広間で食事をする。今日は時間も早かったお陰か、席に付いた時はまだ半分くらいの席しか埋まっていなかった。
もちろん山根やハナハナ、ホクロ田もいたけど、今まで議論した話は全く出てこない。
忘れたわけではないだろうが、あの女将の優しさに気付き、この旅館は失踪事件に関係ないと踏んだのだろう。
朝食が終わる頃には席はほぼ埋まり、少し賑やかになっていた。流石に三日目ともなると仲が良くなっている人達もいるようだ。
僕は人と仲良くなるのは好きではないけど、それなりに山根達とは接してきたつもり。でも今、彼ら達は食べることに夢中になっていて話もしていない。
もう少しで食べ終わる頃、女将が一度顔を見せた。女将が前に出て声を出す。
「みなさん、食事をしながらでもいいので聞いてください」
それほど大きくはないのに雑談の中に鋭く刺さるような綺麗な声。
周りを見ると、今まで話をしていた者も静かになり女将に注目している。誰一人話をしないし、無駄な行動をとらない姿は軍隊のよう。
集団行動とはこうするべきなのか。僕もみんなに習って女将に注目した。
「この後10時から仕事をしていただき、12時から昼食をとっていただきます。その後18時まで休憩をとっていただき、その後は夕食をとっていただきます」
チラッとみんなの方を見ると、みんな女将に注目して熱心に頷いている。真面目すぎる。
顔を女将の方に戻す女将と目が合ってしまった。
やばっ。よそ見してたの見られた!
せっかく女将の僕への評価が高くなってるのに、つまらないことで下げたくない。僕はみんなに習い、頷いてるふりをする。
女将が微笑みかけてくれた。
やっぱり僕のことが好きなのだろうか?
「夕食が終わりましたら少しお部屋で休んでいただき、そのあと送別会を行います。最高級のおもてなしをしますので、21時にここ大広間にお越し下さいませ」
へ~、送別会までしてくれるんだ。普通のバイトの時ってどうなんだろ? それにしても終了は遅いんだな~。帰ったら夜中になるんじゃない? まぁやることもないし、いいんだけど。
その後、女将は大広間を出ていき、僕達バイトは仕事の時間まで休憩をとり、時間になると昨日までのようにベッドメイクを行った。
人が変わったように真面目に働く山根。
最後だから思い出作りということだろうか。真面目に働く分には問題ないか。僕が正社員になったら、またアルバイトに呼んであげよう。
その後の豪華な昼食、休憩、夕食と特に代わり映えのない一日だった。お腹一杯になりテレビを見て、寝て、また夕食。そして部屋で休憩。
一日や二日だと、こんな生活もいいなと思うけど三日目ともなるとそろそろ飽きてきた。
家に居る時と同じなのに何が違うのだろう?
自分のものが無いからかな?
夕食後から21時までは、とても時間が長かった。帰れると思う嬉しさと、単調な時間を過ごす暇な時間。
布団の上で転がりながらも、何故か暇疲れしていた。
時刻はやっと20時50分をさした。僕は来る時と同じようにボストンバッグを手に持ち、一階に降りる。
エレベーターの中。
思えば、色々あった。
怪しい男だと思った山根に始まり、ホクロ田やハナハナとの出会い。そしてホクロ田の失踪。ちょんまげと角刈りの登場と山根の勘違い。ハナハナの女将に対するリスペクト。
思い返すと何だか笑えてきた。
あれ? もしかしてこれって楽しかったってことかな?
人と関わるのが嫌いだったのに、いつの間にか楽しくなっていたってこと?
僕はみんなと離れるのが少し寂しくなっていた。
最初はアルバイトしようか悩んだけど、勇気を出してやって良かった。悩んだらまず行動をしてみるってことと仲間の大切さを、僕はこのアルバイトで学んだのかもしれないね。
一階。相変わらずフロントには従業員もいなく、客もいなく閑古鳥だけど、僕が正社員になった時は絶対に大人気の旅館にしてみせるぞ。と誓いを立てる。
僕はフロントの左側奥の方にある大広間の方へと歩く。
静かな大広間。中はまだ誰もいないのだろうか? 僕は静かにドアを開けた。
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