消えるアルバイト達 19ページ

「何してるんだすか?」


 突然のハナハナの声に、ハッとして目を開いた。ハナハナは先程の位置から全く動いていなかった。予想では自分の顔の前まで来ているはずが……。


 ハナハナが少し目を細め上から見下ろすようにして言ってくる。


「柳田さん、まさかワタスとキスをしようとしてただすか?」


「えっ!? 違うの? いやちがう、違います」


「やっぱりそうだすね」


 ハナハナが僕から手を離す。僕はしどろもどろになりながらも弁解を試みる。


「いや、ほ、本当に違いますよ。目が……うん、そうだ。目にゴミが入って痛かったから……」


 うわ~絶対疑ってる。やっちゃった! キスするのと違ったのか~。うわ~キスじゃなかったのか! 恥ずかしい……恥ずかしい。


 穴があったら入りたいとは、まさにこの事だ。まともにハナハナの方を見られない。うつむいている僕だが、ハナハナが呆れたような口調のまま話を始める。


「まぁいいだす。ワタスがここに来たのは、柳田君にお願いがあったからだす」


「お願いですか?」


「そう、ワタスと一緒に休憩室に行ってほしいだす」


「えっ」


 何でそうなるかな~。山根だって、何もなかったって言ったじゃないか……。


いや、正直に言おう。僕はあの部屋に入るのが怖い。前に僕達は従業員だから中に入っていいって思ったけど、まだ従業員じゃないよね。だから勝手に入っちゃダメじゃない? 止めようよ。


 と言いたかったけと、カッコ悪いと思われたら嫌なので「休憩室って従業員のですか?」と当たり障りの無い返答。


 ハナハナは頭を縦に振り言う。


「そうだす。あそこに入ってからみんなおかしくなっただす。きっと山根さん達はあの中で従業員に洗脳されたんだす」


 洗脳とか怖いこと言ってるし。


 そもそも僕は無難に働いて金を貰って帰ろうと考えている。それに旅館の人が普通の人達だったら、従業員達の機嫌を損ねて『給料カット!』なんて言われたりしかねない。


 ここは断ろう。


「ハナハナさん、僕はもういいです」


「本当に!? 一緒に行ってくれるんだすか? 良かっただす~ 」


 いや違う。そっちの『いい』じゃなくて。


 ハナハナが再び僕の手を握る。


 わっ!


 少し分厚く汗ばんで湿っている手。だけど何だか優しい手。ハナハナちゃんと手が触れあってる。僕は心臓の動きが早くなるのを感じた。


 ……いや、そうじゃない。


 流されちゃ駄目だ。ここはきっぱりと断らなきゃ。


 そんな僕の気持ちなど知らないハナハナは、僕に顔を近付け「ありがとう柳田さん」と嬉しそうに言っている。


 駄目だ。断れない。


 女性とこんな距離で話したことがない僕は緊張のあまり、「ぜ、ぜぜぜぜ、ぜぜぜ、全然大丈夫です。一緒に行きましょう」と言ってしまった。


「じゃあ決まりね」と言うハナハナ。


 しょうがない、行くしかないか。


 実行は午後6時分から行うことになった。また夜食時で従業員がアルバイトの世話で忙しいからだ。


 しかしフロント業務を行っているんじゃないだろうか? 客が来る時間なのにチェックイン業務を行っていないはずはないだろう。


 そんな疑問もあったが、時刻はすぐに午後6時になった。


僕はハナハナとエレベーターで一階まで行く。さっきの一件があったせいか、密室で二人は少し緊張する。休憩室に潜入するという緊張もブレンドされているのかもしれない。


一階に着いてロビーに出ると、予想とは違い、フロントに従業員も誰もいなかった。


 きっと客が来たら音か何かがなって従業員に知らされる仕組みなのだろう。だからわざわざフロントにいなくてもいいのだ。僕はそう結論付けた。


 先にエレベーターを降りていたハナハナは一目散にフロントに向かっていた。僕は家来のように小走りで後を付いていく。


 ロビーからは何度も見たフロント奥の従業員休憩室。一枚隔てた扉の奥はどうなっているのか。興味もあるけど不安もある。


 ハナハナがドアをノックする。


 三回。綺麗な木の音。


 五秒ほど待つが返事はない。


 もう一度叩いた。


「どうぞ」


 っ!?


 綺麗な透き通った声。これは間違いなく女将の声だ。中にいるじゃん!


 僕は驚きのあまりハナハナと顔を見合わせた。ハナハナも目を大きくし、驚いている様子。


 ハナハナは僕に「入るだすか」と言い、頷いた僕を確認してドアを開ける。


 中から甘い花のような香りと、少しひんやりとした空気が流れてきた。ロビーよりも冷房が効いているらしい。


 ハナハナが「失礼すます!」と言い、先に中に入る。


 僕もハナハナに続く。


 少し緊張する。学生の頃の職員室に入る時のような気持ち。少し体が小さくなるような、心細い気持ち。


 僕は少し目線を下げ、ハナハナの足下を見ながら中に入る。


 すぐに中から女将の声が聞こえてきた。


「あら花山さん、お食事は終わったのかしら?」


「いえ、まだ食べてないだす。ちょっとお伺いしたいことがありますて……」


「まぁ、何でしょうね。とりあえずこちらにお座り下さいませ」


 ハナハナが前に進むので僕は女将が見えるようになった。それはあちらも同じ。


「まぁ、柳田さんまで。こちらにお座り下さい」


 中は僕の家の六畳分の居間が四つ分ほどの広さがあった。結構広い。


部屋の真ん中に長テーブルが縦横二つ付けて置いてある。テーブル一脚に二つ椅子が置いてあるので、計八人が座れる計算になる。


 部屋の中は電気が付いているが少し薄暗い印象。窓が無いからという理由もあるかもしるない。右奥にはどこに繋がっているか分からないドアがある。


 ハナハナが入ってすぐ、右テーブルの左側の席に座った。僕は一つ開けて左側のテーブルの左、つまり端に座る。


 女将は左奥の冷蔵庫からオレンジジュースのペットボトルを取り出し僕達の前に優しく置いた。


「どうぞお飲みくださいませ」


「いただきますだす」

「ありがとうございます」


 僕達はペットボトルの蓋を開ける。オレンジジュースの甘さが口の中で広がり鼻にまで香りが広がった。


 ハナハナはジュースを飲まずに女将に質問した。


「女将さん、山根さん達に何かしますたか!?」


 うわ、いきなり直球ど真ん中投げたよ。ジュース吐き出しそうになった。


 女将は顔色一つ変えず「何かって何かしら」と答える。


「山根さんがここに入ってから明らかにおかしくなっただす。何かしない限りあんなに変わるはずがないだす!」


 ハナハナの強い口調にもかかわらず、女将の表情は変わることがない。


 強く攻めているハナハナだったが、僕は少々不安な気持ちになってきた。


 大丈夫だと思うけど、もし万が一この旅館が殺人旅館だったら。ハナハナの口調に腹を立てた女将や従業員が、ハナハナもろとも僕まで殺害……。


いや、ないない。絶対に無い! 大丈夫!


 そんなハナハナに対しても優しい顔の女将。


「山根さんは何か勘違いしてらしたのよ。でも誤解だって分かったようよ」


 女将がハナハナをじっと見つめている。ハナハナは「そしたら私の彼氏はどうしたんだす? ここに来てから帰ってこないだすよ?」と強い口調のまま女将を責め立てた。


「彼氏? 誰のことでしょう? 私には誰のことだか分かりませんわ」


「半年前にアルバイトでここに来ている風岡修介だす! 覚えていないんだすか?」


「風岡……風岡……たくさんアルバイトに来ていただいてますからね~。でもアルバイトが終わったら皆様帰っていただいてますのよ。ちゃんと」


 まっすぐと見つめる女将の目。笑顔の中にも冷たいような、底が深い何かを感じる。いや、顔が綺麗すぎるからそう思えるのだろうか。


 ハナハナは「でも!」と言い、興奮が絶頂に達したのかテーブルを叩き、その場で立ち上がった。


 僕はその音に体がビクッとなってしまったが、女将は顔色を変えず立ち上がってハナハナのところまで歩いた。そして横まで行くと、そって手を頭に置く。


「な、何だすか!?」


 女将の方を見るハナハナに女将は「しぃーっ」と人差し指を口の前に出してなだめる。


 その仕草に飼い犬のように従い、俯き椅子に座るハナハナ。女将が優しい声で囁く。


「大丈夫よ。大丈夫。落ち着いて。あなたの彼氏さんは、私達も一緒に探して差し上げますわ。なのであなたは安心してお仕事に励んでくださいまし」


 荒かったハナハナの息が徐々に落ち着きを取り戻していく。その光景は暴れた子供をなだめている親の姿のよう。


 そしてハナハナが「はい、分かりますた」と落ち着きを取り戻した。


 はやっ! でもこれで一件落着? と思った矢先、今度は女将が僕の方に移動してきた。


 真横に付いた女将はとても良い匂い。香水なのかな? それとも女将さんの匂い?


 先程のハナハナにしたように、僕の頭の上にも手を置いた。


 え? ちょっと照れるんですけど。て言うか昨日髪の毛洗ってないけど、大丈夫ですか?

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