消えるアルバイト達 5ページ

 ただ爽やかな笑顔でこんなことを言われると、客で来たわけではないけどとても気持ちが良かった。


 旅館と言ってもホテルに近い造りのようだ。僕は従業員に導かれ、中に入る。他のアルバイト達も続々と旅館に入り、集まったところでフロントの奥にある大広間に案内された。


 かなり広い場所。部屋の中央に手前から奥に向かって二人用のテーブルが2列、縦に並んでいる。


 向かい合わせになるので少し気まずいかもしれない。


 僕達の体型に配慮してか椅子が置いてあり、床に座らなくてもよいのが嬉しい。とてもサービスが行き届いた旅館だ。


 テーブルの上には温泉饅頭が3つ乗った皿と空のコップがある。


 バイトのみんなは従業員から席に座るように促された。僕は部屋の一番奥の左手側の席に着く。


 従業員数名で次々に注がれるオレンジジュース。


 なんだろう? いきなりおやつタイム? 


 僕はおもむろに人数を数えてみる。正面側に座っている人数は男女合わせて8名。ということは自分の横にも8名いるので合計16人いるということだ。


 人数を数えていた視界に、僕達が入ってきた入り口から薄い青色の着物を着た30代くらいの女性が歩いてくるのが見えた。


 目じりが少し上がった細目の女性。綺麗な容姿だが隙がない。整った顔の女性なのでそう思うのかもしれない。


あまり女性には縁がなかった人生だったのでこんな風に思うのも珍しいけど、とても綺麗だと思ってしまった。


 女性は部屋の前まで行くと、くるりとこちらを向いて頭を下げた。上げた顔は笑顔だ。


 冷たそうに見えても笑顔が見えると親近感が沸くのが不思議なところ。


 女性は透き通るような綺麗な声で話し始めた。


「皆様。本日は夜見旅館にお越しいただきありがとうございます。私はここの旅館の女将を務めております、松田羅木まつだらぎ芽音めねと申します。3日間の間ですが、どうぞよろしくお願いいたします」


 頭を下げる女将。どうすればいいか分からず、周りを見てみるとみんなが頭を下げていたので、とりあえず自分も下げてみる。


 女将は嬉しそうな笑みを浮かべている。きっと僕達がアルバイトに来たから、とても助かると思っているのだろう。


 周りに立っている従業員もニコニコ穏やかな笑顔。


 僕には作り笑いは無理かもしれない。きっと正社員になったら接客もあるだろう。どうしよう。そんな考えを打ち消すように、女将は少し高めの声で話を続けた。


「仕事を始める前に来ていただいたお礼に、皆様の前にお饅頭をご用意しました。どうぞ召し上がってくださいませ」


 普段なら「やった~」と言って、すぐにでも饅頭を口に放り込むのだが、仕事もしていないので少し遠慮してしまう。


 アルバイトというのはこんなものなのだろうか? 何か違う気がする。残念なことに一度もバイトをしたことがないので分からない。


 周りを見ると、みんな戸惑っているようで饅頭をじっと見ていた。


「どうぞ召し上がってくださいね。これから動くのでお腹空きますよ~」


 そういうことか。納得した。仕事前の腹ごしらえってことね?


 安心した僕は饅頭を勢いよく口の中に入れ、オレンジジュースで流し込んだ。みんなが食べている姿を見た女将は嬉しそうに説明をする。


「食べながらでいいので聞いてください。この後の予定ですが、まず各自、お泊まりになるお部屋にご案内させていただきます。そこで荷物を置いていただき午前7時までお部屋でゆっくりしていただきます」


 おぉ、いきなり休憩か。しかも三時間も。


「午前7時になりましたら、この場所で朝食をとっていただきます。それが終わりましたら午前10時までお部屋でくつろいでいただきます」


 ずいぶん休憩ばかりあるんだな~。まぁ宿泊客がチェックアウトしないと仕事はできないよね。


「お時間になりましたら、こちらに集合して下さい。その後は二人一組になってお部屋の掃除、ベッドメイク、歯ブラシやタオルなどを用意していただきます」


 僕は正面の人達を見た。眼鏡を掛け、汗を噴き出している男性。二重顎で頬っぺたまで垂れ下がっている女性。頬に大きなホクロのある肉まんじゅうのような顔の男性。様々なおデブ様達がいる。


 やる気の無さそうなこの人達の誰かと組むのか。仕事も出来なさそう。何か嫌だな。


「それで組み合わせですが、今決めてしまいましょう。ちょうど二人掛けテーブルが並んでいると思いますので、お隣同士で組んでいただきます」


 僕はハッとしながら右隣の男性を見た。


 七三分けの男性。髪の毛がテカテカで脂ぎっている。みんなと同じように汗はかいているがハンカチで拭っているところが他の人とは違う。


 唇は分厚いが、少し切れ長の目をしていて痩せたらカッコいいだろうなと、つい想像してしまった。


 まじまじ見ていると、彼は頭を下げて僕に声をかけてくる。


「よろしくお願いいたします」


 真面目そう。


僕も軽く頭を下げ、「よろしくお願いします」と言った。自己紹介くらいしようかなと思ったけど、女将が説明を始めたので再び話を聞くことにする。


「仕事のやり方ですが、まず最初だけ一組に一名の従業員を付けます。従業員がやり方をお教えしますので、それを見て覚えてください。それで重要な話が、お客様からの……」


 話は5分ほど続いた。みんなの前にあるコップと皿は空。一通り話を聞くと従業員に各自部屋を案内された。


アルバイト達の部屋は2階だ。住んでいるマンションのリビングより少し大きい部屋に、畳まれた布団とその奥に丸テーブルが設置されていた。


テレビもあるし、部屋にお風呂も付いている。実際にお客さんが利用している部屋のようだ。


僕は案内してくれた男性従業員に頭を軽く下げ、鞄を入口付近に置いた。


凄い良い環境……。普通なら絶対に泊まれなさそうな旅館にタダで泊まれるなんてサイコー!


ただ1つ問題があるとしたら携帯電話の電波が圏外だと言うこと。町から離れていて山の中だから電波が届かないのだろう。今時こんな所があるとは……。


知ってたらポケットワイハイくらい買ってきたのに。そしてこんな立派な旅館なんだから、フリーワイハイくらい設置してほしいよね。


まぁいいや。テレビあるし三日間だし我慢しよう。それにこの旅館のちょっと前まで電波あったから、使いたくなったら少し歩けばいいや。


あっそうだ。携帯電話自体は使えるから、寝過ごさないように目覚ましセットしておこ。朝食に間に合わなかったらショックだもんね。


携帯電話のアラームをセットし、畳の上に寝転がった。


開始が10時からだし三食付いている。携帯電話が繋がらないのだけは大問題だけど、就職したらその辺を提案しよう。それなら定年までずっとこの仕事でもいいかも。


そんなことを考えていると、朝早かったせいもあり、いつの間にか眠りについてしまった。


ーー


突然ピピピピピピ! とけたたましい音が耳元から響いてくる。


「うわ!」


僕は跳び跳ねるように体を起こし、アラームを止めた。鼓動がとても早くなっているのを感じる。驚いたせいか、少し息も荒くなっている。


そうだ、アルバイトで夜見旅館に来ているんだった。


時刻は6時50分。


お腹減ったぁ。僕はいつになく軽快な足取りで部屋を出た。


大広間に用意されていた朝食は素晴らしいものだった。


ナポリタン、ミートソースのパスタ。エビフライ、唐揚げ、豚の角煮、フライドチキン、ローストビーフ、ソーセージ、フライドポテトのオードブルが1テーブルに一つ。


主食に炒飯かカレーライス、ラーメン

を選べた。


いつも以上にお腹一杯食べてしまったので、仕事が出来なくなるのではないかと思ったけど、10時になる頃には落ち着いていた。


時刻は10時過ぎ。初仕事だ。最初に男性従業員に一通りやることを教えてもらった。ベッドメイクの仕方や洗面所の掃除の仕方。物の配置の仕方……。


案外やることはすぐに覚えることができた。


 来る前は、旅館の人に怒られるだろうか、なんていうことも考えていたが、ここの従業員は終始笑顔なので不安はない。


ここの旅館は1フロア18部屋の5階建て。1階に部屋はなく2階は僕達が使っているので、実質二人で6部屋分のベッドメイクを行うだけ。


 僕は七三分けの男性と共同作業で、最初に布団のシーツを取り換えることになった。僕が敷いてあった布団からシーツを持ちあげようとした時、向かい側の七三分けの男が声を出す。


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