二人だけの姉妹

増田朋美

二人だけの姉妹

風が吹いて寒い日であった。今日は、着物を着ているとなんだか寒いなと思ってしまうような日であったが、それでも着物を着ている人間には、寒くないと感じるものである。杉ちゃんたちは、それでも着物のほうが良いと言って、着物で生活しているのであった。

その日、杉ちゃんと蘭は、今日は風が強いなあと言いながら、富士駅で電車を降りて、タクシー乗り場へいこうとしていた。其時、向こうから、一人の女性がやってきた。

「あのう、すみません。」

と彼女は言った。

「はい。何でしょうか?」

と、杉ちゃんが言うと、

「この当たりに、わたなべ整形外科という、病院はありませんか?」

と、女性は二人に聞いた。

「ああ、渡辺整形クリニックのことですね。それでしたら、歩いていくことはできないと思いますので、バスか何かを利用して行ったらいかがですか?」

と、蘭が言った。

「そんなに遠いんですか?」

彼女は今一度聞く。

「ええ、富士駅からですと、ちょっと遠いですね。それかタクシーで行かれたほうがいいのではないでしょうか。どなたか、ご家族の方とお待ち合わせですか?」

蘭がそうきくと、

「ええ、そこで診察を受けている、姉を迎えに行きたいんです。昨日、階段から落ちて怪我をしました。行くときは、一人で行くからいいと言っていたんですが、思ったよりひどい怪我だったようで、迎えに来てくれと、私のところに、電話がかかってきたんです。それで、富士駅の近くにあると聞いたので、ここへこさせてもらったんですが、わからなくなってしまいました。」

と、彼女は言った。

「はあ、そうですか。それはきっと、新富士駅を富士駅と間違えたんだと思います。渡辺整形クリニックは、富士駅より、新富士駅の近くにありますから。それなら、バスですと、本数があまり多くありませんので、タクシーを使ったほうがいいと思います。タクシー乗り場へご案内しますから、そこから乗って行ってください。」

蘭は、そう言って、彼女をタクシー乗り場に連れて行った。ちょうど、帰宅ラッシュの時間でもあり、タクシーは一台も待機していなかったので、しばらく待つことにした。

「富士駅はいつでもこんなふうに混雑しているんですか?」

と彼女は聞いた。

「ええまあ。でも、人手不足であることは間違いありませんね。みんなかっこいい職業に憧れて、都会へ出てしまうんで。」

と、杉ちゃんが答えると、

「そうなんですね。私、東京からこっちへ引っ越してきたので、わかりませんでした。」

と、女性はにこやかに言った。

「はあ、お姉さんと二人でこちらへ引っ越されたんですか?」

蘭がそうきくと、

「ええ、姉が都会で生活できなくなったものですから、割と東京にアクセスしやすい富士市に引っ越して参りました。」

と、彼女は答えた。

「はあ、富士は東京にアクセスしやすいのかなあ。確かに新幹線駅はあるけどねえ。」

杉ちゃんが言うと、

「ええ、便利だと思いますよ。電車もあるし、東名バスもあるし、色いろ充実しているじゃないですか。だからとても素敵な街ですよ。」

と彼女は答えた。

「へえ、物好きだねえ。こんな不便なところを素敵なんていわなくたっていいんだよ。そんな物好きなお前さんは名前をなんていうの?」

と、杉ちゃんが好奇心でそう聞いた。

「はい。木島と申します。木島恵美子。」

「木島恵美子、、、。」

蘭はどこかで聞いたことのある名前だと思った。

「そうなんだね。ところで、お姉さんは階段から落ちたというけれど、なんで階段から落ちたんだ?お掃除でもしていたのか?」

杉ちゃんが聞くと、

「いえ、ただ単に足を踏み外して階段を落ちただけのことで。それ以外に何もありません。」

と、恵美子さんは答えた。

「それにしては、迎えに来るようなやつが必要になるほど、大怪我だったんかな?」

「ええ、打ちどころが悪かったんですよ。そういうことはあるじゃないですか。そういうことだと思って下さい。」

「はあ、、、。なんか変だなあ。なんか疑わしいぞ。」

杉ちゃんはカラカラと笑った。

「いえ、そういうことなんです。それだけですよ。まあ確かに、人によっては随分おっちょこちょいだとお思いになると思いますけど、姉はそういうところがある人で。それは、仕方ないことなんで。そう簡単に思ってください。」

「そうなのかな。ちょっと違うんじゃないの?なにかおっきなわけがあって、お前さんたちはこっちへ越してきた。違うか?その深い訳って何かなあ。ちょっと教えてもらえないかな?」

と、杉ちゃんが言った。蘭も、なんだかそういう事があったのではないかと思ってしまうような、女性にはそんな雰囲気があった。

「それに、木島恵美子という名前は、どこかで聞いたことがありますよ。今思いだそうと思っているんですが、あ、思い出した。あの、インターネットでそういう名前が出ていたのを見ました。あなた、なにかビジネスのようなものをやっていますよね。ビジネスというか、なんていうのかな、人を援助する、女性の自立支援というか、そういう事業をしていたんじゃありませんか。まあ、僕達男性には、ちょっと嫌悪感があるのかもしれませんね。ネットだけじゃありませんね。あなたの名前、富士市内の公民館でも見ました。あなたの名前を乗せたチラシが置いてあるのを、見ましたよ。」

蘭は、思いついた事を順番に喋った。

「ええ、正しくそのとおりです。最近は、公民館だけではなく、女性センターなどを借りて、女性の自立のためのサロンとか、そういう事をしています。まあ、私も大した資格を持っているわけでは無いんですけどね、公認心理師とか、そういうものがあればもっと人が信頼してくれるんでしょうが、それはちょっと私にはできないことですね。」

と、彼女、木島恵美子さんは言った。

「はあ、そうですか。なんでそういうちゃんとした資格を取ることができないの?だって、お前さんまだ若いし、もし可能であれば、資格取るために一人で暮らすってこともあり得るよな。そういうことはしないで、お姉さんと一緒に居るってことは、なにか訳ありだ。そうだろう?」

杉ちゃんがそういう事をいうので、彼女はちょっと困ってしまった顔をした。

「いえ、いいんですよ。言いたくなかったら、いわなくて結構です。杉ちゃん見たいに、何でも人の話を詰問して、困りますよね。ほんと、彼の悪い癖です。」

蘭は、そう言ったが、

「いやあなあ。随分苦労していると思ったからさ。苦労していることは、話してしまえばいいじゃないか。」

と、杉ちゃんはそういうのだった。それと同時に、彼女のスマートフォンがなる。

「はいもしもし、木島です。ええ、たしかに木島瑠璃子は私の姉ですが。え?姉が錯乱状態?どういうことですか。ああ、あの私、今富士駅でタクシーを待っているところです。なかなか来ないのですが、、、ええ、申し訳ありません。すみません。もうすぐ行きますから静かに待っているようにと姉に言ってください。お願いします。」「はああ、、、なんだかやばいね。訳ありだな。」

杉ちゃんと蘭は顔を見合わせた。

「まだタクシーが来そうな気配が無い。ちょっと僕は、タクシー会社に電話かけてみる。障害者用のタクシーなら、少なくとも大型車でくるわけだから、これで彼女を連れて行こう。」

蘭はタクシー会社に電話した。タクシーはすぐ来てくれるといった。普通のタクシーは忙しいというのに、介護タクシーは、ちょっと暇であるらしいのだ。まもなく、大型のジャンボタクシーが、杉ちゃんたちの前に現れた。

「これに乗っていってください。多分、普通のタクシーを待っていると、この時間帯なので、なかなか来ないのではないかと思います。」

と、蘭にいわれて、木島恵美子さんは、ありがとうございますと言って、蘭たちと一緒にジャンボタクシーに乗り込んだ。蘭は、渡辺整形クリニックへ回してもらうように、といった。タクシーはわかりましたと言って、渡辺整形クリニックへ向かって走り出してくれた。蘭は慌てなくていいですから、急いでやってくださいと言った。タクシーは、裏道を利用してくれて、数分で渡辺整形クリニックへ行ってくれた。蘭は、タクシーを玄関ではなく裏口へ止めてもらうようにといった。タクシーがそのとおりにすると、急いで木島恵美子さんは、タクシーを降りて、渡辺整形クリニックの時間外入り口へ突進した。

「あの、木島です。木島瑠璃子の妹です。」

と、彼女は、時間外入り口の受付に言った。受付はちょっとお待ち下さいと言って、院内電話でなにか言い、恵美子さんに、こちらへ来てくださいと言って、彼女を中に案内した。杉ちゃんたちも付添人だと言って、それに入らせてもらった。

受付について木島恵美子さんは、ある部屋にはいった。そこの部屋をガラッと開けると、姉の木島瑠璃子という女性が、男性の看護師と一緒にいた。確かに錯乱状態の患者を取り押さえるには、女性ではなく男性でないとだめなのかと思われた。

「お姉ちゃん!」

恵美子さんは、目の前に居る女性にそういう事を言った。隣に居た男性看護師が、

「お姉ちゃん、ですか?」

と、思わず言ってしまうほど、その女性は年齢よりも遥かに幼く見える。

「はい、彼女は私の姉で、木島瑠璃子です。」

と、恵美子さんがしっかりそう言うと、

「妹さんが迎えに来ました。じゃあ、二人で一緒に帰ることは可能ですか?」

男性看護師がそういう事を言った。

「はい、大丈夫です。私が姉を連れて帰ります。よかった。姉が、私の名前を忘れないでいてくれて。」

瑠璃子さんの首にはヘルプカードがぶら下がっていた。その中に木島恵美子という名前と、スマートフォンの番号が明記されていた。何かあったら、ここに電話するようにという意味だろう。

「お姉さんは、あなたの名前を忘れてしまうこともあるんですか?」

と、看護師が、木島恵美子さんに聞いた。

「ええ、そういう事になってしまうんです。それは病気の症状なので、仕方ありません。確かに、認知症にしてはあまりに若すぎるので、姉は重度の統合失調症といわれています。」

そうしっかり答える恵美子さんを、姉の瑠璃子さんは、かなりつらそうな目で見るのだった。

「わかりました。じゃあ、お姉さんを連れて帰ってください。そして、二度と錯乱状態にならないように、説得してください。」

嫌そうな顔をした看護師はそういう事を言った。その病名を聞くと大体の人はそういう態度を取る。女であっても、男であっても。そして、そういう事をいわれてしまうのを患者自身が知っている。その家族もそれを知っている事が、またこの問題を大きくしてしまっていると思う。

「さあ、お姉ちゃん。迷惑かけた事謝って帰ろう。」

と、恵美子さんはそう言うが、

「私、悪くなんか無いわよ。ごめんなさいなんて言うもんですか!」

と、瑠璃子さんは、そういうのだった。一体何があったのかわからない恵美子さんは、隣に居た看護師に、

「何があったんですか。説明を求めます。」

と、言った。

「木島さん、もういい加減にしてください。あんたは、こういう障害のある人を集めて、生きがいがあるとか、活動的なことをしようとか、そう呼びかけているようですが、実際のところ、お姉さん一人、更生させられないじゃないですか。それでは、あなたのしていることは、無理なことだと思うんですがね。お姉さんだって、あなたのしていることに、嬉しいと思っていないんじゃないかな。それでは、あなた、何をしているか、全く意味が無いじゃないですか!」

男性看護師は、ここぞとばかりに言った。恵美子さんは、

「そんな事ありません!あたしは、ただ、障害のある人もない人も自分の意思で動けるということは幸せなことだと訴え続けているだけです。」

と答えるが、

「木島さん。そういう活動は、医療関係者からみたら、迷惑に過ぎないんですよ。お姉さんだってそうだけど、そういう障害のある人たちに意思を持って動かせるということは、病気も意思を持って動かすことになるんですよ。それは、僕達の作った規律に反することを、平気でさせるようにすることでもあるじゃないですか。こういう障害のある人に、させることは、黙らせることと、こちらに従わせること。これで間違い無いと思うんですが。」

と、看護師は言った。

「彼女だって、ひどいものでした。もう医者がちゃんと聞いてくれないだことの、自分の怪我はこれほど痛いのに、なんでわかってくれないんだことのそういうことばっかり喋って、肝心の階段から落ちたときの状況とかそういうことは何も喋ってくれないんです。もうなんでって、僕達も思いましたよ。でも、彼女がそれを語ってくれることはありませんでした。」

「そうかも知れないけどさ。」

不意に、ドアの外に居た杉ちゃんが、そういう事を言った。

「でも、それを聞きたかったら、お前さんが態度を変えるって事も必要なんじゃないの?」

「そんな事、する必要があるんでしょうか。」

と、看護師はそういう事を言うが、

「いやあ、木島瑠璃子さんだって、一人の人間だ。人間は、どんなやつでもここに居るんだ。たまには、そういう壊れたやつも居る。そういうやつには、どんなやり方でもいいから、やり方を変える必要があるんだな。それはやっぱりさ、医療関係者なら、するもんじゃないの?そういうことを家族のやつに押し付けて、医療関係者が黙っているのはおかしいとおもうけど。」

と、杉ちゃんはカラカラと笑った。

「そうですね。それは杉ちゃんのほうが正しいと思います。医療関係者であれば、どんな人にでも、公平に扱わなければならないと思いますね。妹さんは、そういうことに対しては素人だと思うし、それを妹さんにやらせるのは、おかしいと思います。」

蘭も、そういう事を言ったのであるが、看護師は嫌そうな顔で言った。

「そうですか。でも、精神状態がおかしくなった人物を、相手にすることができるほど、医療関係者は余裕があるわけではありません。それでは、早く彼女を連れて帰ってください。」

看護師は、嫌そうな顔をしてそういう事を言う。

「ああそうなのね。お前さんは、永久に障害のことなんてわからないだろう。それなら諦めちまったほうがいい。それで、医療関係よりももっと適した職場を見つけるんだな。悪いけど、お前さんは、そういうことは向かないな。」

杉ちゃんはカラカラとまた笑った。

「さあ、お姉ちゃん、家に帰ろう。怪我のことは、大したこと無いんでしょう。それでは、行きましょう。」

と、恵美子さんは瑠璃子さんに言うのであるが、

「ちょっとまって!ちょっとまって!あたしの指の事、ちゃんと見てないじゃない!」

と、瑠璃子さんは言った。

「指がどうなっているか見せてみな?」

と、杉ちゃんがでかい声でそういう事を言うと、彼女は、ちょっと警戒したような顔をして、杉ちゃんに右手を差し出した。指は真っ赤に腫れ上がっている。

「おい!これじゃあまずいよな。いくらなんでも、ちゃんと治療してないのは素人でもわかるぜ!」

と、杉ちゃんが言うと、

「あなた達、もしかして、姉の指の怪我を放置して、それで返そうという魂胆だったんですか!」

と、恵美子さんが急いで言った。

「何だ、それじゃあ、立派な不正だぜ。いくら障害のある女性だからって言って、患者である女性の治療をしないのはまずいよな。」

杉ちゃんが言うと、

「だって!あたしのことを、早く帰れと言って、何も聞いてくれなかったじゃないですか!」

と、瑠璃子さんは言った。

「だったら、いつ階段から落ちたのか、其時手をついたのか、失礼ですがそれだけでも教えてもらえませんか!」

看護師はそう怒りを込めて言った。

「僕達は、それを聞きたくて木島さんにそう聞いているんですがね。それなのに、看護師さんが怖いと言って泣き出されたら、何もきけないじゃないですか!」

「わかった。お姉ちゃん、もう一度診察受けさせてもらおう。今度は私も一緒に行くから。お姉ちゃん、もう一回行こう。」

恵美子さんは、そう言いながら、幼児のようなお姉さんをなだめながら、そう言って病院を出ようとしているが、

「わかったよ。じゃあ僕達が、お姉さんを別の病院につれていきます。それよりも、精神障害者だからといって、不正をしていたことは、病院として許されることじゃありません。それは、警察とか、そういう事に繋がることでもありますよね。」

蘭は、嫌そうな顔をしている看護師に言った。

「あああの、警察には、い、いわないで。」

という看護師は、ちょっとたじろいでいるように見えた。蘭は、こういうときこそ、水戸黄門のような、権力で悪を懲らしめることも必要だと思った。

「僕達は、障害は持っていますけど、不正を警察に届けることはできますよ。彼女を治療しないで放置することは、犯罪に触れるかもしれません。」

「じゃあ、瑠璃子さん、僕達と一緒に別の整形外科に行こうな。大丈夫だ、そういうのに理解のあるお医者さんというのは、僕達は、ちゃんと知っているから。今度はお前さんを、ちゃんとやってくれる人は居るからね。」

杉ちゃんが、木島瑠璃子さんの手をそっととった。それでは行きましょうと言って、彼女を障害者用のタクシーに乗せて、別の整形外科に連れて行く。蘭は、それを見て、恵美子さんと一緒にそこにいることにした。まもなく警察が病院を捜索しにやってくるだろう。それには、瑠璃子さんではちょっと正確な証言は得られないはずだ。だから恵美子さんと二人で、この病院の不正を証言するつもりで居た。本当にありがとうございますと言って、恵美子さんは蘭に頭を下げた。いえ、いいんですよ、と蘭はにこやかに笑った。

「妹さんがお姉さんの役割をしなければならないのは、お辛いと思いますが、これからも頑張ってください。僕も応援しています。」



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二人だけの姉妹 増田朋美 @masubuchi4996

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