第13話

 街の間を移動するという荷馬車に相乗りして丸二日。

 ポンタールとオルト・エンデを繋ぐ道で野宿をしている一団を探し出すのは難しくはなかった。

 森の近くに張られたテントに近づくと、中からはがなり合いが漏れ聞こえてくる。


「近づけばどうなるかその目で見ただろ!?」


「あの貴族からの依頼を反故にはできないじゃないか! 彼からの依頼を失えば、俺達は……。」


 その言葉で確信する。

 彼等がアッシュレインの言っていた業者で間違いないだろう。

 問題はなぜこの場所に留まっているか、だ。

 呪具の封印が解けて犠牲者が出た、という話がアッシュレインに届いているのだから、対処できる人間をなぜ呼ばないのか。

 まぁ、考えるより直接聞くのが一番早い。


「命あっての物だねだろうが、馬鹿! さっさととんずらして、別の場所で仕事を始めれば――」


「悪いんだが、とんずらはなしで頼む。こっちの仕事が片付かないんでな」


 テントの中にいる人物に呼びかける。

 バタバタと騒々しい音の後には、鋭い金属音が鳴り響いた。

 中で剣でも抜いたのだろうか。

 酷く怯えた声がテントの中から飛んでくる。


「だ、誰だ!? まさか、アッシュレインが俺達を始末するために……。」


「そんな事に金を使うなら別の回収業者を雇うに決まってんだろ! つまり、アンタは呪具の専門家かなにか、なんだよな?」


「専門家と呼べるかどうかはわからないが、まぁそんな所だ。中々到着しない呪具の『二度目の落日』を回収するよう、アッシュレインから依頼を受けてきた。状況を説明してもらえるか?」


 返答は、短くない沈黙だった。

 俺の言葉の真偽を図り損ねているのだろう。

 だがじっと外で待っていると、テントが開きふたりの男が中から出てきた。

 一人は恰幅の良い、いかにも商人といった風貌の男だ。

 もう一人はその護衛か従者だろう。腰に剣をぶら下げ、いつでも抜けるよう警戒している。

 そのふたりのうち、恰幅の良い男が代表して前に進み出た。


「荷馬車の積み荷を知ってるってことは、本当にアッシュレインの遣い、なのか?」


「そう言ってるだろ。正式な依頼書もある。見るか?」


 腰のポーチから預かっていた書類を取り出す。

 簡易的な依頼書類だが、アッシュレインが使っている蝋印も押されている。

 男は書類の内容を見ずに、その蝋印だけで俺が本物だと気付いたのだろう。

 慌てて首を横に振った。


「い、いや、大丈夫だ。だがまずは弁解をさせてくれ。こんな事は、俺達も初めてで……。」


「最初に言っておくが、俺はアンタ達を責める気は毛ほどもない。自分の仕事を済ませる為に詳細を知りたいだけだ。言い訳があるなら、俺じゃなくアッシュレインにするんだな」


 ここで俺が聞いたところで、後の処遇をどうするか決めるのはアッシュレインだ。

 依頼主でも何でもない俺が情状酌量の余地あり、と判断するわけにもいかない。

 あくまで俺もアッシュレインから雇われた身なのだから。

 

 とは言え俺の到着は男達にとっては待ちに待ったものだったらしい。

 状況を収拾すると言うと、饒舌に喋りだした。


「急だった。それまでおとなしかった馬が、いきなり暴れだしたんだ。そのまま商品ごと森の中に入っていって、それっきりだ」


「それっきり? 誰か積み荷の確認には行ってないのか?」


「行ったさ! せめてアッシュレインからの積み荷だけでも回収しなきゃってな! もう一台の荷馬車に積んであった、呪具の影響を中和するための道具を持って、仲間がふたり森に入った。でもそれが数日前の話だ。それで仲間が様子を見ようとコイツが森に近づいたら、急に気を失ったんだ」


 指さされたもう一人の男は、しきりに首を縦に振っていた。

 よく見れば顔のあちこちに傷を手当てした後が残っている。

 森に近づいて気絶した、というのは本当なのだろう。


 つまり運送中に呪具の封印が解け、それに影響を受けた馬車が暴走した、ということだ。

 その結果、呪具の封印が完全に解けてしまい、森に近づく事さえ出来なくなってしまったと。

 だが幸いなことに、呪具の呪いがそれほど強力なら、馬車もそう遠くまで行ってないはずだ。

 唯一心配なのは最初に入ったというふたりだが、馬車を探せば自ずと見つかるだろう。

 

「すぐ回収に向かう。馬車を走らせる準備をしておいてくれ」


「ほ、ほんとに頼むよ。あの呪具ひとつで俺達の稼ぎ数年分だ。紛失したとなりゃあ……。」


「わかってる。無くなって困るのは、なにより俺の相棒の方だからな。必ず見つける」


 ふと森へと視線を向ける。

 森に入り、呪具を再度封印し、持ち帰る。

 簡単な依頼なはずだ。

 しかし、嫌な胸騒ぎが止まらなかった。


 ◆


 嫌な予感は、ふたつの死体によってさらに強まった。

 馬車を探そうと森の奥へ入ろうとしたのだろう。

 森に入ってすぐの場所で、ふたりは息絶えていた。

 いや、息絶えていたという表現は適切ではない。

 正確に言うのであれば、何者かによって殺されていた。


「こんなとこで、一体だれが……。」


 頭に浮かぶのは、盗賊団だ。

 冒険者を目指しながら、自らの力に溺れ、他者から奪うことを選んでしまった者達だ。

 一時期は冒険者ギルドも問題視していたが、プラチナ級冒険者を組み込んだ大規模な討伐作戦で一掃された。


 ここに残党が残っているのかと思ったが、すぐにその考えを振り払う。

 先程聞いた通り、森に近づいただけで卒倒するような呪いが周囲に広まっているのだ。

 この二人を殺したのが盗賊団なのであれば、その盗賊達も呪いの影響を受けているに違いない。

 加えて、外に止まっている馬車が襲われていないのであれば、盗賊団という線はなくなる。


 ならば誰が、何のために二人を殺したのか。

 ゆっくりと黒狼の牙を引き抜き、慎重に歩みを進める。

 呪いの影響を受けないのは、俺という例外を除けば魔物だけだ。

 しかし世界樹海の地上には魔物は出現しない。そう言われている。

 となると、この森の中で自由に動けるのは、俺だけのはずだ。


 鳥や動物の息づく音さえ聞こえない、静寂の中を進む。

 だが緑の匂いの中に、強烈な異臭が混じっている事に気付く。

 その臭いを辿ると、理解を遥かに超える光景が広がっていた。


「これが、話に合った荷馬車、なんだろうが……。」


 どす黒く変色した血が森の一角を染め上げ、その中心には強烈な力で押しつぶされた馬だった物が辛うじて残っている。

 飛び散った血と共に、荷物が周囲に散乱している事から辛うじて荷馬車だったのだろうと推測が出来た。

 どんな殺され方をしたら、こうなるのか。

 予想すらできないが、今は想像を膨らませている時ではない。

 この場所に長くいるのは危険だ。そう本能が呼びかけている。 


 急いで散らばった荷物の中から、目的の代物を探し出す。

 幸いにも『なにか』に狙われたのは馬だけだったようで、荷物の方はさほど被害を受けていない。

 拾い集めた荷物を片っ端から開けていけば、目的の物を探し出すのは難しくなかった。

 見るからに頑丈そうな鉄の入れ物に入ったそれは、予想より遥かに小さい。

 

「これが、『二度目の落日』か。そんな強力な呪具には見えないな」


 『二度目の落日』が、木漏れ日を受けて赤銅色に光る。

 この小さな鐘の音が世界樹の種子に通ずる障害の突破口となるはずだ。

 今すぐにでも持って帰りたいが、まずは封印を施さなければならない。

 入れ物から取り出し、呪具を封印する道具をポーチから取り出す。

 そして『二度目の落日』を確認するが――


「封印が、解けてない?」


 聖銀と呼ばれる希少な金属で編まれた鎖が、しっかりと『二度目の落日』に巻き付いていた。

 少なくとも外れていたり破損している個所は見当たらない。

 触ってみても、しっかりと鎖は固定されており、封印は完璧に見えた。

 なら一体、なにがこの森を覆っているのか。

 呪具の呪いでなければ、一体何が。

 

 それは、運が良かったとしか言いようがない。

 片手に持った『二度目の落日』の表面に、なにかが映った。

 そんな気がした。

 その瞬間、考えるより先に体が回避を選んでいた。

 『二度目の落日』を抱えるように身を投げ出す。

 

 刹那、衝撃が木々を薙ぎ払った。

 轟音。

 そして爆風。

 激しく視界が入れ替わる。

 

 土と血が焼ける臭いが鼻を突くと同時に態勢を立て直し、頭を振る。

 視界は微かに揺れているが、見えないわけではない。

 周囲に視線を走らせれば、それは姿を隠す訳でもなく、堂々と俺を見つめていた。 

 

 殆どは人間の形をしている。

 おびただしい数のタトゥーと、その上から残るすさまじい数の切り傷が目に付くが、そこは問題ではない。

 注目すべきは、両手に生えている禍々しいかぎ爪と、背中に生えた歪な翼だ。


 果たしてこの相手は人間なのか、それとも魔物なのか。

 どこから来たのか。いったい何者なのか。

 なぜ、俺の命を狙ったのか。


 そう言った事は一切わからないが、これだけは断定できる。

 この相手は、俺を殺そうとしていた。


 ◆


「避けやがるか。だが、そうこなきゃな」


 人間の言葉を喋るのか。

 だが油断はしない。

 人間の言葉を使うのが、人間だけだとは限らない。

 素早く黒狼の牙を引き抜くと、荒れ狂う程の力を感じた。

 恐らくだが、黒狼の牙が限界まで能力を発揮しているのだ。

 つまり、目の前にいる存在は今までのどんな相手よりも、危険だという事だ。


「それ以上近づくなら容赦はしない。そこで止まれ」


 左手を突き出して『逆巻く雷鳴』を発動させる。

 後は俺が一言唱えれば、魔法の雷が相手を貫くことになる。

 しかし細身のその男は軽薄な笑みを浮かべたまま、首を傾けた。


「誰に命令してんだ? まさかこの俺……バルバトールにか? はは、そりゃいい。その玩具でどうするつもりだ。やって見せろよ!」


 男の踏み込みで、地面が爆ぜる。

 だがレベルを上げた今、目で追えない速度ではない。

 左手で狙いを付け、叫ぶ。


「奔れ!」


 閃光が森の暗闇を走り抜け、男を貫いた。

 だが、男は止まらない。

 それどころか、減速すらしない。

 男の獰猛な笑みが、眼前に迫る。


「んなもん、効くかよ!」


 瞬きの間に距離を詰められる。

 この手の相手に、回避は悪手だ。


「なら――」


 振りかぶった相手に対して、あえてこちらも加速する。

 まさか飛び込んでくるとは思っていなかったのだろう。

 その目が微かに見開かれるのが分かった。 


 そして交錯。

 数舜を置いて、地面が次々と揺れた。

 見れば周囲の木々があらかた切り倒されていた。

 黒狼の牙から放たれた一撃の余波でこれだ。

 本体の斬撃の威力は推して知るべし。


 それでも凄まじい衝撃が手を貫き、腕全体がしびれている。

 黒狼の牙には、黒い体液が滴っているが、しかし。

 振り返れば、男は自分の胸にできた切り傷を眺めている。


「――玩具で怪我をした感想はどうだ」


 そんな軽口も、精一杯の虚勢だった。

 限界まで能力が発揮された黒狼の牙を受けて、小さな切り傷がひとつ。

 つまり俺がこの相手に与えられるのは、その傷が限界だという事だ。 

 相手が息絶えるまで、その傷を与え続けなければならない。

 

 だが、考えてみればこの相手は俺の限界を知らない。

 今のが軽い一撃だと思わせる事が出来れば、相手が退くかもしれない。

 そんな希望的な観測は、すぐに否定された。


「いいじゃねえか。そうだ、簡単には死ぬんじゃねえぞ? ここで待ってる間、退屈で死にそうだったんだ。これぐらい楽しめなきゃ、オーレンの話に乗った意味がねぇ」


「オーレン?」


「懐かしい名前だろ? ねじくれた性格のクソ野郎だが、使いようによっては役立つこともある。お前も何度か助けられてたはずだ。こうして俺と再会できたのも、アイツのお陰なんだぜ?」


「人違いしてるんじゃないのか? オーレンなんて名前も、お前の事も一切知らない」


 こんな相手と一度でも会っていたら、忘れられる訳がない。

 しかしバルバトールと自称した相手は、俺の返答を聞いて小さく鼻で笑った。


「おいおい、寝ぼけてんのか? まぁ、これを見たらそんなとぼける事も出来ねえだろうけどな!」


 空を掴むように、バルバトールは右手を突き上げる。

 それが相手の予備動作だとはわかっている。

 だが、まだ『逆巻く雷鳴』は使えない。

 咄嗟に黒狼の牙で斬りかかろうとするが、そんな余裕は残っていなかった。

 青白い光が集束した右手を俺に向けて、バルバトールは牙をむいた。


「ま、まさか!?」


「今度は生き残って見せろよ、ローデシア!」


 全てを飲み込まんとする、暴力的な光の奔流が視界を埋め尽くした。

 咄嗟に、黒狼の牙を光に向かって叩きつける。

 荒れ狂う力と力が、拮抗し、そして光が過ぎ去った。


 たった数秒の出来事だ。


 しかし永遠にも思えたその数秒の後、黒狼の牙は砕け散っていた。

 地面に散らばる剣の破片を、目で追う事さえできない。

 目の前の敵に対する有効手段を、失ってしまったのだから。


 得物を追い詰めた獣のように、ゆっくりと近づいてくる。

 この相手から走って逃げる事は不可能だろう。

 つまり、この距離が埋まったら殺される。

 確実に。


「同じ相手に二度も殺されることになるとは、お前もつくづく運がねえ奴だな。ローデシア」


 再び、その名前が繰り返される。

 あの世界樹のローデシアと同じ名前だ。

 だが少なくとも、俺がローデシアと呼ばれたことは一度もない。

 そもそもこのバルバトールは俺を誰かと勘違いしている節がある。

 半ばから砕けた黒狼の牙を鞘へ戻すと、バルバトールを真直ぐと見つめて、告げる。


「俺はローデシアじゃない。冒険者の、エルゼだ」


「この期に及んで命乞いか? あのローデシアも落ちたもんだな。一度は俺を追い詰めたってのに、穢れ殺しの力まで失いやがって。本当にニセモン――」


 唐突に、バルバトールのにやけ顔から表情が抜け落ちた。

 その視線は俺ではなく、遥か上空に向けられる。

 意図は不明だ。

 だが、確実に俺を殺すであろう相手の歩みは止まった。


「おい、お前、エルゼとか言ったか」


「あ、あぁ」


「そうか、人間の分際で俺の攻撃を止めたか。面白いな、俺がいずれ殺してやる。だがまずは、あの野郎の顔を形が変わるまで殴るのが先だ。ローデシアが戻ったなんて抜かしやがって。オルゼアスに報告すべきだな、これは」


 聞こえた話の内容は、理解できなかった。

 だが注意を引くことは絶対に避けたい。

 無言のまま立ち尽くし、反応を窺う。


 そしてバルバトールはその背なの翼で上空へと飛び立っていった。

 俺への興味は完全に失せたのか、見上げていても戻ってくる気配はない。

 再び森の中に静寂が戻ってくると、激しい異音が耳に付いた。

 それが自分の荒い呼吸だと気付き、そして意識が戻ってくる。


「助かった、のか?」


 遠ざかる危機に、思わず大きなため息が口を突く。

 そして気付けば手足の力が抜けて、地面に座り込んでいた。

 手足の震えが止まらず、当分立ち上がる事すらできそうにない。

 

 人間や魔物を遥かに超える、バルバトールという存在。

 そして頻繁に出てきた正体不明のローデシアとオーレンという人物。

 謎は多く残ったし、相棒でもあった黒狼の牙も失った。

 それでも命は残り、『二度目の落日』も回収が出来た。


 当初の目的は達成できたのだ。

 そう言い聞かせて、肩の力を抜く。

 戻ろう、レウリアのいるオルト・エンデに。


 ◆


 ようやく歩けるようになった所で、『二度目の落日』を回収して森を出る。

 どれだけの時間がたっているかは正確には不明だが、外で待っていたふたりは俺が死んだと思ったのだろう。

 荷台に積み込んでいたテントを下ろして、再び広げようとしている所だった。

 だが俺の姿を見つけたふたりは、慌てた様子で駆け寄ってくる。


「お、おい、アンタ! いったい森の中で何が起きたんだ!?」


「さあな、俺が聞きたいぐらいだよ」


 森の安全は確保できたはずだ。

 それを伝えると、ふたりは急いで商品の回収に向かう。

 オルト・エンデに戻るのは少し先になりそうだ。

 なら少しぐらい横になって体を休めるのもいいだろう。


 そう考えて荷台で横になった途端、暗い帳が視界を覆った。

 想像以上に精神的な疲労がたまっていたのか。

 それからオルト・エンデに付くまでの記憶は、無くなっていた。

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