第12話
「本当にここであっているの?」
「一応、場所はあってるみたいだ」
「にわかには信じがたいけれど」
レウリアは、開く気配のない扉を眺めながら呟いた。
最もな疑問だが、地図が間違っていなければ、ここがアッシュレイン卿の屋敷だ。
とは言っても、レウリアが疑問に思うのも無理はない。
屋敷は最低限の手入れはされているが、年代を感じさせる部分が多々ある。
足元の石畳には大小の隙間があり、屋敷の入り口を彩るはずの庭園には植物が植えられていない。
そもそも門に鍵がかかっておらず、敷地内に見回りもいなければ使用人がいる気配もない。
閑散とした屋敷には重苦しいほどの沈黙が流れていた。
自分の財力と権力と繁栄を振りかざす貴族とは、全く異なる印象を受ける屋敷でもある。
何度か呼びかけを行ったが、当然ながら屋敷の内から誰かが出てくる様子もなかった。
どこかへ出かけているのか、それとも急な来客には応じない質なのか。
痺れを切らしたレウリアがノッカーへと手を伸ばす。
「時間がないわ。聞こえるよう、呼び続ければ――」
その瞬間、レウリアの姿が消えた。
いや、実際には瞬時に後方へと飛び退いたのだ。
まるで魔物を前にしたかのような彼女の行動に、思わず瞠目する。
「ど、どうした?」
「そのノッカー、魔法か何かが仕掛けられてる」
そういうレウリアの右手は、微かに震えていた。
しかし、ノッカーを使ったのは何もレウリアだけではない。
先程は俺がノッカーを握っていたのだ。
「俺は特に、なにも感じなかったが……。」
そこでふと思い出す。
なぜこの屋敷を探していたのかを。
それはアッシュレインという貴族が、熱心な呪具の収集家だったからだ。
オークション会場で熱心に呪具を落札している姿を見て、興味を持ったのが最初だった。
翌日、一日かけて調べ上げた結果、アッシュレイン卿が呪具の収集を始めたのはオルト・エンデが栄えるよりずっと前からだという事が判明した。
しかし、街が発展したことで地価が上昇し、膨大な土地を有していたアッシュレイン卿は莫大な富を得た。
その富によって呪具を収集しながら、街の外れにあるこの屋敷で静かに暮らしているのだという。
だが、元々人前に出るような人物でもないことから、オルト・エンデでも異色の存在として忌避されている。
噂では屋敷に近寄った人々が次々と呪いによって不幸になり、今ではネズミさえ近づかないという。
そんな噂を流されている彼が、外部からの客を歓迎するとは考えにくい。
この扉にも、招かれざる客を追い払う仕掛けが施されているのではないか。
そう考えて、もう一度ノッカーを握った時だった。
鈍く輝く真鍮のドアノブが周り、扉の向こう側から初老の男性が姿を現した。
「これは失礼した。ここのところ、来客などなかったものでね」
独特な雰囲気を纏ったその初老の男性を見て、ひそかに胸をなでおろす。
一度はあのオークション会場で目にしているが、知り合いという訳ではない。
合えるかどうかは、彼の出方次第だったのだから。
「急な訪問、申し訳ありません。私は――」
「エルゼ・アルハート。呪具を使える、冒険者だろう?」
そう言って、アッシュレイン卿はほんのわずかだけ、口角を上げた。
◆
屋敷に入って分かったことは、アッシュレイン卿の話が比喩でも何でもなかったということだ。
正面玄関から繋がるホールには数えきれないほどの呪具が保管されていた。
館の主曰く、ほかの部屋に入りきらなくなった呪具を、装飾品として置いているのだとか。
つまり、屋敷には溢れかえらんばかりの呪具が保管されていることになる。
それらを集めるのにどれだけの財力と信念が必要だったのか。
気になるところではあったが、俺とレウリアがこの屋敷を訪れたのは別の理由からだ。
「装飾関係の呪具を収集しているアッシュレインだ。君達の噂はかねがね。なんでも呪具を自由自在に扱えるのだとか」
「自由自在かは、まだ不明です。ですが呪具をある程度使えるのは間違いありません」
「それであっても、羨ましい能力だ。実を言えばあのノッカーも呪具を転用した物でね。下手に触れれば気絶する代物だったのだが」
聞いた瞬間、ふとレウリアに視線を向けが、その人形の様な表情に変化は見られない。
流石は騎士というべきか、それとも相手が相手だけに感情をこらえているのか。
レウリアは感情の起伏が薄い声音で、アッシュレインの様子を窺う。
「談笑を遮って悪いのですが、私達には余り時間の余裕がありません」
「手紙や言伝も無しに屋敷に来たことを見れば、それはわかる。要求を聞こうか。こんな屋敷に来たということは、呪具に関連することだとは予想は付くが」
相手がこちらの目的に気付いているのであれば、話は早い。
「昨日競り落とされた遺物『弔いの聖鐘』。あれと類似した呪具をお持ちではありませんか?」
俺の考えというのは、このアッシュレインに呪具を提供してもらうことだった。
『弔いの聖鐘』を競り落とした高圧的な貴族に対して、このアッシュレインは終始穏やかな様子で呪具の競売に参加していたのだ。それだけを見ても、交渉の余地があると感じていた。
加えて俺達にはアンドニスという協力者も存在する。
彼が本当に呪具の収集に熱心であるなら、呪具を提供してもらう代わりに俺達も呪具を提供すればいい。
少なくとも、真正面から『弔いの聖鐘』を貸してくれとあの高圧的な貴族に懇願するよりかは勝算が高いはずだ。
数舜の沈黙を経て、アッシュレインは小さく頷いた。
「ふむ、死者を宥め再び眠りにいざなうというアレか。確かに似通った呪具は落札したことがある。『二度目の落日』だったか」
「できる事ならば、貸していただきたい。見返りには、呪具の提供を約束します」
俺達の申し出に対して、アッシュレインは目を細めた。
その瞬間、選択を間違ったかと背中に冷や汗が流れる。
「魅力的な誘いだが、呪具の収集は私に課せられた使命であり生きがいであり、そして何より今はなき妻への恩返しでもある。他人にそれを手伝わせる気はない」
「そこを何とか、お願いします。私達には……その呪具がどうしても必要なんです。全てが終わった暁には、余生を掛けて恩をお返します。ですから――」
白い髪が零れ落ちる。
レウリアと共に俺もは頭を下げようとしたが、アッシュレインは片手をあげてそれを制止した。
「待ちたまえ。貸さない、とは一言も言っていないだろう。それに、うら若き女性から時間を奪う様な酷なことは、きっと彼女も望むまい。だが生憎な事に、今は件の呪具が手元にないのだよ」
アッシュレインは小さく肩を竦めた。
ふとレウリアと視線が合い、その言葉の真意を確かめる。
「それは、別の場所に保管してある、ということでしょうか」
「であればよかったのだがね。ポンタールの街を知っているかね? このオルト・エンデとシュザークの間にある、小さな街だ。そこから呪具が送られてくる手はずだったのだが、未だに届いていない。運搬業者によれば、事故で呪具の封印が解けてしまったという。お陰で犠牲者も出る始末でね。そこで君には、その回収を頼みたい」
「つまり、その『二度目の落日』を回収すれば、貸していただけるということですね」
「貴族の誇りにかけて約束しよう」
アッシュレインが提示した条件は、俺にとってこれ以上ない好条件でもあった。
呪具の中には強力過ぎて専用の道具で抑え込まなければ持ち運ぶ事すらできない代物が存在する。
俺達が探していた『二度目の落日』もその類の呪具だったようだ。
しかし恐らく、俺はその影響を受けずに再封印を施して運搬が可能だ。
俺にとっても、そしてアッシュレインにとっても渡りに船だったに違いない。
むしろ問題なのは『二度目の落日』の運用方法だが、それも手に入れてから考えればいい。
隣に座っていたレウリアに目配せをして、席を立つ。
「本当にありがとうございました。数日中にまた来ます」
早く仕事を終わらせれば、それだけ世界樹の種子を早く取りに行ける。
無駄な時間をかけるつもりはなかった。
だがアッシュレインは小さく手を打ち、留まるよう言った。
「待ちたまえ。是非とも君に試してほしい物がある。少し待っていてくれ」
いうがや速いか、アッシュレインは屋敷の奥へと消えていく。
その背中が見えなくなった所で、レウリアが驚きの提案をした。
「私は街に残って迷宮に関する情報を集めるわ。貴方は回収をお願い」
「いいのか? こういうことは、自分でやらなきゃ気が済まないってタイプだと思ってたが」
「呪具に関して、自分が無力だというのは理解してるつもりよ。だから準備を整えて、貴方の帰りを待ってる」
射抜くようなレウリアの瞳からそっと視線を外す。
あのグラン・セメタリーの一件から、なにかがおかしい。
俺の感覚がおかしいのか、レウリアの何かが変わったのか。
詳しくはわからないが、信頼の現れだと言っていいのだろう。
得も言えぬ気恥ずかしさを紛らわすように、言葉を続ける。
「こっちもできるだけ早く片付けて合流する。だがくれぐれも、ひとりで迷宮に入ろうなんて考えるなよ」
「わかってる」
それで会話は終わり、沈黙が訪れる。
人が近寄らないという屋敷の中では、物音ひとつしない。
なにか話をしなければと考えていたところに、ひとつの足音が近づいてきた。
見ればアッシュレインが小さな箱を持って戻ってくるとこだった。
「待たせてすまない。物が多く、探し出すのに時間がかかってしまった」
細かい装飾が施された入れ物の中には、真っ白な鉱石が鎮座していた。
ある種の神聖性さえ感じさせる鉱石を見て、思わずアッシュレインに問いかける。
「これも……呪具ですよね」
「そうだとも。知人から譲り受けたのだが、いかんせんその能力が分からなくてね。実際に使ってみて、感想を聞かせて欲しい。呪具が使えるという君にしか頼めないことだ」
箱を差し出され、鉱石をゆっくりと手に持つ。
仄かな光と温かさを感じるそれが呪具だというのだから驚きだ。
呪いという負のイメージを抱きがちな呪具に、こんな代物があったとは知らなかった。
ただ、その能力が分からないというのは不安要素でもある。
戦闘中に暴発でも冗談では済まない。
「差し支えなければ、この呪具の名前を伺っても?」
大概の呪具には名前があり、それは鑑定で知る事が出来る。
名前さえ分かれば、大まかな能力を把握できるかもしれないと考えたのだ。
しかしながら、その程度の推測はアッシュレインも気付くはずだ。
「『無垢なる守護石』。乙女の涙を守る秘石、とのことらしい」
冗談の様な説明に、思わず苦笑を浮かべる。
見ればアッシュレインも同様の表情を浮かべていた。
それこそ、俺に必要な呪具かどうかは怪しい所だ。
どうやって使うかさえ分からない。
しかしアッシュレインの申し出では断れない。
一応は礼を告げて、屋敷を後にする。
『二度目の落日』を回収する為にも、まずはオルト・エンデとポンタールを結ぶ馬車を探さなければ。
遠回しているようだが、しかし確実に世界樹の種子に近づいている。
そう確信していた。
あの存在と出会うまでは。
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