第6話
樹木の間に張り巡らされたつり橋から、遠方に見える飛行船の群れを眺める。
本来なら巨大なはずの飛行船も、こうして世界樹と並べば木々の枝で羽を休める鳥達のようにも見える。
改めて世界樹の巨大さと、その雄大さを見せつけられる光景だった。
「久しぶりに来たが、流石に壮観だな」
世界樹海の商工窓口、ウィンドミル。
この街は飛行船の離発着場として栄え、交通や物流の中心地として名を馳せた。
その結果、様々な地方の文化や様式が持ち込まれ、街並みは雑然としながらも何処か異国情緒が漂っている。
当然ならがそこに住まう商人や職人たちも多種多様で、品揃えという意味で言えばこのウィンドミルは世界樹海の中でも上位に挙げられるだろう。
蒼穹の剣に所属していた時は装備の調達や調整などで何度か訪れた事はあっても、こうして個人的な用事で訪れるとは思ってもみなかった。
少しばかりの感傷とえも言えぬ感覚に浸っていると、後からつり橋を渡ってきたハンニバルが小さくぼやく。
「見ての通り交通の便は良いけど、いかんせん港の維持コストがね。冒険者ギルド財務部の頭痛の種だよ」
「ウィンドミルが? 世界樹海有数の飛行艇港と呼ばれてたはずだが」
物品の流通と売買が盛んならば、当然その街に落とされる金も少なくないはずだ。
冒険者関連の施設も多く、ギルドがそこまで財政難になる理由もすぐには思いつかない。
ただハンニバルは心なしか声を抑えて、言った。
「まぁ詳しい話は省くけど、最近では『世界樹の民』なる連中がこのウィンドミルで勢力を伸ばしていてね。その影響で商人や職人が別の街へと移動してしまったんだよ。全く、はた迷惑な話だ」
「でもハンニバルが紹介したいっていう職人はまだこの街に残ってるんだろ?」
「もちろんだとも。彼女はこのウィンドミルに強い思い入れがあってね。移転するにしても私には絶対に連絡を入れるはずだよ」
「信頼できるんだよな」
「君が心配しているのは私が彼女を信頼しているかより、彼女が私を信頼しているかだろう? そういう意味では確実に信用できる相手だとだけ言っておこうか」
「それなら安心だ。一応は」
この街に来たのはハンニバルから提案があったからだ。
加護の能力が判明した今、ハンニバルはギルドの人間として俺を支援すると表明した。
その第一歩として、このウィンドミルに住むという職人を紹介してくれるのだという。
未だにその協力者に付いては聴かされていなかったが、少なくともがむしゃらに行動するよりある程度情報通のハンニバルを頼った方が冒険者として成功する確率は高くなると踏んだのだ。
まぁ、ハンニバルも秘密主義らしく詳しい事情はなにも語ろうとしないのだが。
少ない荷物を肩に掛けたハンニバルは、街に付くや否や用意されていた馬車に乗り込んだ。
「私が案内できるのはここまでだ。いかんせん上司が人使いの荒いひとでね。この後は渡した地図の場所に向かえばいい。諸々の説明は向こう側がしてくれるだろう」
「ひとつだけ聞かせてくれ。ギルドがシルバー級に上がったばかりの冒険者に、なぜここまでしてくれるんだ? 俺の知る限り、こんな前例は聞いたことが無い」
「愚問だな。君は将来有望で、ギルドにとって優秀な冒険者は莫大な利益を生み出す貴重な商品でもある。そしてなにより、この私自身が君に期待しているからさ」
歯の浮くような世辞と、頭の固さが透けて見える説明。
どう考えてもハンニバル本人の言葉とは思えない。
思わず小さなため息交じりに問い返す。
「……本気か?」
「さあね。でも私が君に期待しているのは紛れもない事実だ。君が実力を伸ばした暁には、とある頼みごとをしたいと考えている。だから、それまで死んでもらっては困るんだよ」
「つまり俺の能力を利用したいってことだろ。そして何に利用するのかは、今は話さないと」
「その時が来たら話すさ。それじゃあ根掘り葉掘り聞かれる前に、私は姿を消すとしよう。今後の幸運を祈っているよ」
それだけを言い残し、ハンニバルは馬車で走り去ってしまった。
その背中を見送り、手元に残った地図を眺める。
地図に書き込まれた文字には寸分の歪みも無く、ハンニバルの性格を現しているようでもあった。
彼女の狙いは俺の能力にあり、その能力に利用価値を見出して手を差し伸べたのだ。
ならば俺がある程度実力を伸ばすまで、力を貸してくれるとみていいのだろう。
「ここまで潔い方が、ある意味信用できるな」
今まで俺を裏切ってきた面々を思い返して、そう思ってしまう。
俺の感性が麻痺しているのか。それともこれが普通なのか。
明確な判断を下せないまま、地図に書かれた目的地へと足を向ける。
目指すは、『アンドニス工房』である。
◆
ハンニバルの言う通り閑散とした商業区を抜けて、工業区へと足を踏み入れる。
立ち上る煙は数えるほどで、どれだけの炉が冷たいままで放置されているのかを物語っている。
ただ地図に記載されたボルビッシュ工房からは煙が上がり、道に面した店のランタンにも火がともっていた。
曇ったガラスの嵌められた扉を開けると、金属と油のにおい――そして怒号が俺を出迎えた。
「私が聞いてるのは、出来るのか、出来ないのかだけよ」
「うるせぇな! テメェみたいな客の為に、屑鉄ひとつ使ってやるかよ!」
言い争っていたのは、二人の女性だった。
ひとりは油で汚れた作業着を身に着けており、店員か工匠だと一目でわかった。
だがもう一人は深くローブを纏い、背後から姿は一切確認できない。
辛うじて声音から女性だとは分かるが、それ以外の情報は皆無だ。
ふたりの女性は無言のまま睨み合い、そして沈黙の後にローブが翻った。
「……そう、ならいいわ」
「二度とそのしけたツラ見せんな!」
窓を震わす声量にさえ、さしたる反応を示さない。
ローブの女性は音も無く歩き、そして俺の目の前で立ち止まった。
顔を覆う闇の奥では、灰色の瞳が微かに光っていた。
「邪魔よ、退いて」
「あ、あぁ、悪い」
咄嗟に道を開けると、女性はそのまま店を後にした。
ということは、今出ていったローブの彼女が客でもう一人の女性が店の人間で間違いないのだろう。
カウンターで腕を組み低く唸っている女性に、おそるおそる近づく。
「なんだ? 一見の客に愛想振りまけるほど機嫌が良くないんだ。商品を見たいなら、勝手にしな」
「商品を見たいのは山々なんだが、まずはこれを渡すよう言われて来たんだ」
渡されていた手紙と書類を差し出す。
すると女性はそれをめくりながら顔をしかめた。
「装備調達の依頼書だぁ? アタシは鍛冶師だってのに、一体だれがこんなもんを――」
言葉が途切れた瞬間。
作業着の女性が俺の上空を通過した。
カウンターからそのまま店の出入り口まで飛んだ女性は、店先でしきりに周囲を見渡していた。
慌てて女性を追いかければ、鬼の形相で俺に詰め寄ってきた。
「ど、どうしたんだよ」
「どうした、じゃねえよ! これを渡した奴は……ハンニバルはどこに居やがる!」
「もう街にはいないはずだ。俺を送り届けてすぐ、馬車で別の街に向かったと思う」
余りの勢いに押され、素直に答えを返す。
ハンニバルは彼女が自分を信用していると言っていたが、この反応のどこに信用されていると言える要素があるのか。
実際にハンニバルが姿を現せば、この女性に八つ裂きにされるのでは。
だが女性は俺の返事を聞くや否や、すぐさま肩を落として呼吸を整えた。
落ち着いた様子の女性は、ゆっくりと振り返り店中へと戻っていく。
「……中に入んな。アンタ、ハンニバルから紹介されてここに来たんだろ」
女性はカウンターの向こう側に座り、そして俺を見据えた。
どうやらあの手紙は一定の効果を示したらしく、彼女も俺の話を聞いてくれる気になった様子だった。
当初は、どうなる事かと思ったが。
「俺はエルゼ。冒険者をやってる」
「アタシはアンドニス。見りゃわかると思うが、鍛冶師だ」
差し出された手を取り、握手を交わす。
ぶっきらぼうな様子からしてそうかと思ってはいたが、まさか本当にこの女性が鍛冶師だったとは。
だが少なくとも握手を交わした彼女の――アンドニスの手は、確かに鍛冶師の手をしていた。
協力者としては、なんと言えばいいか。
少しばかり、感情的すぎる部分もあるかもしれないが。
◆
ハンニバルからの手紙を読んだ――今度は幸いにも激高したり店を飛び出したりはしなかった――アンドニスは、まさかといった様子で、カウンターの向こうから俺に目を向けた。
「こりゃ、本当なのか? 呪具を自由に扱えるなんて、素直に信じられる話じゃねえな。このハンニバルの手紙が無かったら、店から叩き出してるところだ」
「実をいうと、手紙の中に何が書いてあるのかは知らない。俺は何も知らされずに、この店に来るよう言われただけなんだ」
「簡単な話さ。アンタは呪具を自由に使えるが、その呪具を手に入れる方法が殆どない。だからアタシがその補佐をしてやれ、だとよ」
「補佐?」
思わず聞き返した俺に、アンドニスは窓の向こう側を指さした。
正確には、飛行船の発着場の方角を。
「この街に飛行船の発着場があるのは知ってんだろ。それで運び込まれた荷物やら装備やらが馬鹿程流通してる。そんな中に呪具が紛れ込んでた場合、どうなるかわかるか?」
「冒険者ギルドが対処するんじゃないのか?」
「正しくはギルドと提携してる鍛冶師や武具屋が呪具の破棄を請け負ってんだよ。つまり、このアタシがな」
「あぁ、なるほど。ようやくハンニバルがアンドニスを紹介してくれた理由がわかってきたよ」
つまり膨大な数の品々に呪具――この場合は呪いの力を封印していない状態の呪具のことだ――が紛れ込んでいた場合、このアンドニスがその処理を請け負うことになっているのだ。
アンドニスと協力関係になれば自分から呪具を探し回る必要がなくなり、それどころかギルド側が呪具をアンドニスに手配してくれる。
これほど協力者として相応しい相手もいないだろう。
加えて冒険者なら武具の調整ができる鍛冶師と懇意にしていて、不都合はない。
それどころか最適な協力者と言えるだろう。
「まぁ細かい話はどうでもいい。まずはその呪具を見せてみな。鑑定してやるよ」
「か、鑑定? アンドニスは鍛冶師じゃないのか?」
思わず聞き返すと、アンドニスは鼻を鳴らす。
「鍛冶師が鑑定できちゃおかしいか? いいからさっさと武器をカウンターに置けよ」
アイテムの鑑定は熟練の魔術師が会得する魔法か、加護によって会得できるスキルによってのみ可能であり、一介の鍛冶師が安易に出来るような物ではない。
だがアンドニスは真面目腐った様子で、俺が武器を置くのを待っている。
恐る恐る呪具である剣をカウンターに置くと、アンドニスは専用の道具を使って鑑定を始めた。
本当に鑑定ができるのであれば、優秀な事には間違いない。
だが鍛冶師で鑑定ができるとなれば、彼女にも色々と事情がありそうだ。
初対面である彼女にそこまで深くは聞けないが。
◆
「嘘だろ……? こりゃ、マジもんの呪具じゃねえか。本当にこれを使って迷宮を攻略したのかよ!?」
驚いた様子で顔を上げたアンドニスと視線がぶつかり、店内の商品を物色していた俺はすぐにカウンターへ戻る。
本当にアンドニスが鑑定できるのであれば、彼女からの疑惑は晴らす必要はなくなったといえる。
「これで信じてもらえたみたいだな。ただ気になってたんだが、その呪具ってどんな効果があるんだ?」
「つまり、なんだ? 自分の持ってる呪具の効果も知らずに使ってたのか」
「し、仕方がないだろ。その剣が呪具だってのも、ハンニバルに忠告されて初めて知ったんだ」
咄嗟に言い訳染みた言葉が口を突く。
無言で俺に視線を向けていたアンドニスだったが、まぁいいかとつぶやき、呪具を取り扱う為の道具で剣の柄を軽く叩いた。
「この剣の銘は『黒狼の牙』だ。持ち主が命の危険に瀕した時に真価を発揮する中級呪具だな。今まで身に覚えがあるんじゃねえか?」
「身に覚えがある……というより、覚えしかないな」
これまで起こった出来事の数々。
それらが追い詰められた故に発揮された呪具の能力だったと思えば説明がつく。
逆を言えば、この剣を持っていればこれからも格上の魔物を相手にできるということだ。
冒険者として成り上がっていく為には、これ以上相応しい呪具もそうそうないだろう。
「ただ代償も当然存在する。まず格下の相手には棒切れも同然の威力になり、所持者は傷の治りが遅くなる。だがハンニバルの手紙によれば――」
「今のところ、そういった影響は出てないな」
「つまり、だ。最高位冒険者が捨て値で売り払うような凶悪な呪具の数々が、アンタにとっては宝の山になるわけだ。なるほど、ハンニバルが目を付けるのもわかる」
呪具である剣――黒狼の牙を眺めながら、アンドニスが小さく頷く。
俺の最大の強みは、そこにある。
本来なら同量の黄金よりも価値のある遺物でも、呪具化してしまえば捨て値で売り飛ばされる。
冒険者達が呪具を迷宮内に遺棄する行為を抑制するために、ギルドも買い取りを行っているが、それも遺物に比べればはした金に過ぎない。
しかし俺にとっては、呪いで強化されている呪具の方がよほど価値のある代物だ。
「その宝の山を手に入れるのに、一役買ってもらいたい」
「まぁ落ち着けって。ハンニバルからの手紙がある以上、手伝ってやるのはやぶさかじゃない。ただこのアタシも生活が懸かった仕事がある。わかるか? アンタにかまけて金が稼げず、路上暮らしになるのは御免だ」
アンドニスはそう言って、鍛冶用のグローブでカウンターを叩いた。
彼女の言いたいことも理解はできる。
鍛冶師であるアンドニスには自分の商品を扱う商人という一面もある。
俺に協力することで、どれだけの利益を得られるか疑問視するのも当然と言えた。
「絶対に損はさせない。その証拠に、呪具はそっちの言い値で買おう」
「そうは言われても、まずはアンタの実力を見せてくれよ。実力が分かれば、どれぐらいの稼ぎを出せるかも大体予想できる。具体的な報酬と取引の話は、それからだ」
要求された内容が想定内で、ひそかに胸をなでおろす。
冒険者が自分の実力を証明するのであれば、することはたったひとつ。
この街にある迷宮を、踏破することだけだ。
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