第37話17:伝えられなかった言葉
あの時の恐怖が蘇り、私は足が
尋常じゃなく痛み出した左手の傷に、冷や汗が止まらない。
嫌だ・・・痛い・・・痛い!!ここにいたくない!!!夢なら早く目を覚まして!!!
目をギュッ閉じ必死に訴えかけるが、目を開けてもその光景は変わらない。
次の瞬間、狼は倒れている私に向かって飛びかかった。
大きく口を開き、剥き出しになったその牙が私の体に触れる直前、横から飛び出してきたルーカスが、狼の体にぶつかった。
弾き飛ばされた狼は木に激突して横たわるが、またすぐに起き上がろうとしている。ルーカスも、ぶつかった反動で後ろへ飛ばされたものの、すぐに立ち上がって私を守る様に狼の前に立ち塞がった。
手に持っていたナイフを構え、再びこちらを威嚇し始めた狼と対峙する。
狼は再び力強く地を蹴ると、一瞬でルーカスの目の前に飛び出した。
「ルーカス!!危ない!!」
私はルーカスに向かって叫ぶが、当然声は届かない。
だがルーカスは冷静だった。
足元の荷物を持ち上げ、盾のように構えて狼の攻撃をガードした。とはいえ、飛びかかった狼の力は強く、ルーカスはそのまま後ろへ押し倒された。
だが、荷物に勢い良く噛みついた狼は、牙が荷物にくい込み動きが鈍くなっている。その隙に、ルーカスはその首元へナイフを思い切り突き刺した。
狼は小さく吠え、ひっくり返る様に地面に倒れ、もがき苦しんでいる。そこへルーカスは歩み寄り、大きくナイフを振り上げ、その体目掛けて一直線に突き立てた。
ザシュッッ!!
狼の体は1度ビクンッと跳ね上がった後、段々と動きが鈍くなっていく。
ルーカスはハァッハァッと呼吸を荒らげたまま、両手でナイフを強く握りしめている。やがて狼の動きが完全に止まり、息絶えた事を確認して、手を離して立ち上がった。
ルーカスの足元はガクガクと震えている。
無理もない。12歳の少年がたった1人で凶暴な狼と戦ったのだから・・・。
その恐怖は凄まじいものだっただろう。
私も実際にこの場所にいたから、その恐ろしさはよく分かっている。
それを・・・たった1人で、1本のナイフで倒してしまうなんて・・・。
「エリーゼ・・・エリーゼ・・・!」
ルーカスはふらつきながら、倒れている私の元へ駆け寄った。
自分の服の右腕部分を思いっきり破り、包帯の様に長細い布切れを作ると、血まみれの私の左手に巻き付けていく。
「エリーゼごめん・・・!俺がもっと早く動けていたなら・・・俺がもっと強かったら・・・!君にこんな傷を負わせる事なんてなかったのに!!俺が守らないといけなかったのに!!」
私の左手の応急処置をしながら、ルーカスが流す涙がポタポタと私の手にこぼれ落ちる。
ルーカスの手は震え、流れる涙は止まらない。
「エリーゼ・・・ごめん・・・ごめん・・・!!守れなくて・・・本当にごめん・・・!!」
涙を流し、悲痛な叫びを繰り返すルーカスの姿が、痛々しくてとても見てられなかった。
彼の悲しみが伝わってくる。
胸が強く締め付けられ、息苦しくなる。
「ルーカス・・・」
彼を呼んでも振り向いてくれない。
私の声は、今の彼には届かない。
やがて異変に気付き、駆けつけてきた大人達が私とルーカスの間に割り込む。1人の大人が私を背負って慌ただしく下山し始め、他の大人達も残っている子供達を連れて下山していく。
ルーカスは1人、そこから動かずその場に佇んでいた。
光を失ったうつろな瞳で・・・ただただ
青空はいつの間にか
やがて雨は強さを増し、ルーカスを激しく打ち付ける。
大粒の雨に打たれ、濡れた頬は彼が泣いているからなのか、雨で濡れているだけなのか分からなくなった。
「エリーゼ・・・すまない・・」
かすれる声で、そう呟いたルーカスの後ろに歩み寄った。
悲しみに暮れ、震えるその背中は、私よりもずっと小さい。
私は両手を広げ、その背中を包み込む様にそっと抱きしめた。
触れる事は出来なかった。
何の感触もなく、私の手はルーカスの体をすり抜けていく。
だけど、抱きしめずにはいられなかった。
たった1人で狼に立ち向かい、打ち勝った少年は、自分の無力さにこんなにも深く傷付いていたのだから・・・。
――――――――――――
目を覚ますと、寝心地の良いふかふかのベッドの上に寝かされていた。
今のはただの夢・・・?それとも・・・
「エリーゼ!!」
突然、私の視界の中に焦った様子のルーカスが現れた。
さっきまで見ていた幼い姿ではなく、大人の見慣れたルーカスだ。
「大丈夫か!?怪我は無いか!?どこか体におかしい所はないか!?」
続けざまに質問してくるルーカスの姿に、圧倒され、とりあえずコクリと頷いた。
それでもルーカスは落ち着かない様子で心配そうに私を見つめている。
そんなに心配しなくても大丈夫だよ・・・。
だって・・・ルーカスが守ってくれたんでしょ?
そう彼に伝えなければ・・・。
「大丈夫・・・」
・・・あれ・・・?おかしいな・・・声が上手く出てこない・・・。
「・・・エリーゼ・・・?!?泣いてるのか?やはりどこか痛むのか!?腕か!?腕が痛むのか!!?」
ルーカスの視線は私の右腕を指している。そこには赤黒い手形のような痣が出来ていた。さっき私の腕を掴んだ男の仕業だろう。
「エリーゼ・・・すまない・・・俺がもっと早く駆けつけていれば・・・こんな事には・・・」
悲しみに染まるルーカスの瞳が・・・その姿が、あの時のルーカスの姿と重なる。
私は勢い良く起き上がり、ルーカスの体を引き寄せ、力を込めて抱きしめた。
「!!?・・・え・・・エリーゼ・・・!?」
「大丈夫だよ。ルーカスはちゃんと私を守ってくれたじゃない・・・今回も・・・あの時も・・・そうでしょ?」
「・・・え・・・?」
抱きしめた手を緩めてルーカスを見ると、顔を真っ赤にしながら、驚き困惑していた。
大丈夫・・・。今度はちゃんと触れられる。声も届いてる。
こんな痣なんかに、ルーカスが傷つく必要は無い。
そして、この左手もだ・・・。
私は左手の手袋を外し、小指の無い左手をルーカスに見せるように差し出した。
ルーカスはそれを見て、一瞬悲しむ様な顔を見せたが、すぐにグッと唇を噛み締め、私の左手を両手で優しく包み込み真剣な顔で私を見つめた。
「エリーゼ・・・本当にすまなかった・・・俺があの時ちゃんと守れていれば・・・」
「待ってルーカス。私が聞きたいのはそんな言葉じゃないの」
謝罪を告げるルーカスの言葉をさえぎるように私は口を挟んだ。
「ルーカス・・・私が気を失った後、1人であの狼と戦って、私を守ってくれてたんでしょ?」
「・・・!!・・・違う・・・守られたのは俺の方だ。俺はエリーゼを守れなかったんだ・・・」
「ルーカス・・・そんなに悲しい顔をしないで。ルーカスに守られていなかったら、私は今ここにはいないはずよ」
私は今にも泣きそうになっているルーカスの顔を、包み込むように手を添えた。
私達はずっと相手を傷付けないよう、辛い過去を思い出させないよう、お互いがあの記憶を封じていた・・・。心の傷に触れぬよう・・・そうやって相手を守っていた。
だけどそれは間違っていた。
お互いが傷を抱えたまま、それを見ないふりしていただけなんだ。
そのせいで肝心な事に気付く事が出来なかった。
私達はお互いに伝えなければいけない言葉があったんだ。
私はルーカスに精一杯の笑顔を向けた。
この言葉が、どうか彼の気持ちを軽くしてくれますようにと願いを込めて・・・。
「ルーカス・・・あの時、私を守ってくれてありがとう」
私の言葉に、ルーカスはハッと目を見開いて固まった。
やがてその目からは大粒の涙が次々と流れ落ちた。
だけどその姿はずっと縛り付けられていた何かから解き放たれたかの様だった。
澄んだ瞳でポロポロと流れる涙はとても綺麗だった。
彼を罪の意識に縛っていたのは私。
彼を解放してあげられるのは私だけだった。
私は少しいたずらっぽく笑みを浮かべて、ルーカスの顔を覗き込んだ。
「ねえ、ルーカスも私に何か言うことがあるんじゃない?」
「・・・ああ・・・。そうだな・・・」
ルーカスも、晴れた表情で優しい笑顔を私に向けた。
「エリーゼ・・・あの時、俺を守ってくれてありがとう」
その言葉を聞いて、私も長い間苦しめられていた呪いが解けたかの様に心が軽くなり、自然と涙が零れた。
そしてルーカスに笑顔で応えると、ルーカスの手によって体を引き寄せられ、そのまま強く抱きしめられた。
私もルーカスの背中に手を回し、力の限り抱きしめた。
そしてもう一つ、私は彼に伝えなければいけない言葉がある。
ルーカスの背中に回す手にギュッと力を込めると、ルーカスが私を抱きしめる手にも力が入った。
それに勇気を貰った私は、大きく息を吸い込み・・・
「私・・・ルーカスが好き!・・・ずっと・・・ずっと前から好きだったの!!」
初めて口にした告白に、段々と顔が熱くなってくる。
密着した体で、ドクドクと激しくなる私の心臓の鼓動もそのまま伝わってる気がする・・・。
そのまま顔を見れずにルーカスの言葉を待った。
そして・・・とんでもない答えが返って来るのだった。
「そうか・・・エリーゼ・・・惚れ薬の効果はまだ切れてなかったんだな・・・」
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