第29話1:惚れ薬を飲んだ男(ルーカスside)

 ライオスと言葉を交わした日、首都へ戻った俺はその日の仕事を瞬殺で仕上げ、ユーリの住んでいる屋敷へと向かった。

 俺を出迎えた執事が「食事中なので少々お待ちください」と引き止めるのを無視して、俺は夕食を堪能しているユーリの元へ押し入った。


「お前の持っている薬を今すぐよこせ・・・」


 俺は切羽詰まったように血走った瞳で、フォークを手にモグモグと口を動かすユーリに詰め寄った。

 ユーリは落ち着いた様子でゴクリと口の中の物を飲み込み、グラスの水を1口飲むと、ふうっと息を吐いた。


「・・・惚れ薬を使えとは言ったけど、そっちの薬を使えと言った覚えは無いわよ。アンタの求める薬がここにあるはずないでしょうが」


 何を勘違いしたのか、ユーリは罪人を見るような憐れみの眼差しを俺に向けている。


「だからその惚れ薬をよこせと言っているんだ」


「・・・・・・ああ。そっちの事ね」


 そっち以外に一体何がある・・・。


 そんなやりとりの末、惚れ薬を手にした俺は万全の状態でその時を迎える準備をする必要があった。

 数日先の仕事を前倒しして全て片付け、何かと邪魔になる公爵の罪を白日はくじつもとに晒して追い詰めていった。

 エリーゼと2人きりになる状況を作るため、同居している彼女の両親には、首都で新しくオープンする予定のホテルに招待客として泊まらないかと提案した。

 突然の俺の話に、エリーゼの母親は何かを察したのか「ついに決心してくれたのね」と涙ぐんで快諾した。


 問題の惚れ薬をどうやって使うかは、不本意だがユーリの案を採用する事にした。


 そして1週間後・・・差出人にユーリの名前が書かれた箱を持って、俺はエリーゼの家へと向かった。

 誰にも見られないように、俺はエリーゼの家のポストへ素早くそれを入れ、近くに身を潜めて彼女が取りに来るのを待った。

 しばらくすると、家の中から出てきたエリーゼがポストの中身を確認し、中に入っていた箱を手に持って家の中へと戻って行った。


 中身を見たエリーゼは、果たしてどの様な反応を示すのか・・・。

 この計画は本当に上手くいくのか・・・?


 緊張で乾く喉を唾液で無理やり潤し、額から流れ落ちる汗を袖で拭った。

 異常なスピードで脈打つ心臓を深呼吸して落ち着かせ、俺は意を決してエリーゼの家の扉の前に立った。

 かなり控えめにノックし、一呼吸終えてドアをそっと開けた。

 中ではソファーに腰掛けたエリーゼが、惚れ薬を前に頭を抱えているのが見えた。


 俺は家の中に入り扉をソッと閉め、エリーゼの向かい側のソファに座ってしばらく様子を見ることにした。


 エリーゼは俺には全く気付かずに、俯いたまま唸るような声を出してはため息をついている。

 惚れ薬の他に手紙などは入れていない。恐らく、何故こんな物が自分の元へ送られたのか分からず、頭を悩ませているのだろう。

 俺は緊張している体をソファに預け、足を組むと平常心を取り戻そうと目を瞑った。


「うん、やっぱり捨てよう」


 エリーゼの声が聞こえて目を開けると、俺の前で目をまん丸くして固まっているエリーゼと目が合った。


「・・・・・・」


 エリーゼは眉をひそめて首をかしげ、俺の存在を不思議がっている様だ。

 その大きな瞳を、パチパチと瞬きさせながら見つめてくる姿がなんとも可愛らしく、惚けて動けなくなりそうになった俺は、その視線から逃げるように目を逸らした。


 この後、俺はエリーゼと3秒間目を合わせるという重大なミッションが控えているというのに、こんなんで大丈夫だろうか・・・?

 先程から尋常じゃないほど汗が出てきて止まらない。


「・・・うわぁ!!?」


 ようやく俺の存在を認識したのか、エリーゼは飛び跳ねる様に驚いた。


「ルーカス!いつの間に入って来たのよ!!?」


「・・・ついさっきだが・・・入る前に(かなり控えめに)ノックはした」


 エリーゼに追及され、俺は目線を逸らしたままの状態で答えた。

 ポーカーフェイスには自信があるが、うまく出来ているだろうか・・・。

 俺はちらりとエリーゼの顔を伺うと、エリーゼはハッと息を飲み込み慌てたように口を開いた。


「って、私が返事してないんだから、勝手に入ってきちゃ駄目でしょうが!!ちゃんと返事があるまで待ちなさいよ!!」


「一応待ったんだがな・・・1秒程」


 ダンには部屋に入る時にいちいちノックをするなと言い聞かせているが、さすがの俺もエリーゼの家に無断で入ったりはしない。

 俺が来たのを知って惚れ薬を隠されてしまう可能性を考え、少しずるい手を使わせてもらったが・・・さすがに幻滅しただろうか・・・?


 エリーゼは深いため息をつくと、呆れた様に口を開いた。


「それを待ったとは言わないでしょうが・・・ほんと、せっかちなんだから・・・」


 まさかこんな所で俺のせっかちな性格が役に立つとは・・・。


「とりあえず・・・依頼の品を取りに来たのよね?ちょっと待ってて」


「ああ」


 エリーゼはソファから立ち上がり、その場を離れた。

 俺の目の前のテーブルの上には惚れ薬が主張するように置かれている。

 まさかこんなに早くこれを手にするチャンスがやってくるとは・・・


 俺は惚れ薬を手に取り、蓋を取ろうとした時、僅かに残っていた理性がその手を止めさせた。


 本当にこれを使ってしまえば、俺達の関係は良くも悪くも変わってしまう・・・。

 本当にそれでいいのか・・・?

 もしもこれを使わずにエリーゼに告白したとしたら・・・?


 そもそも、エリーゼはこれを見て何を思ったのだろうか・・・使ってみようとか考えたのだろうか。

 ・・・使いたいと思う男がいたのか・・・?


「惚れ薬・・・」


 気付くと俺はその瓶に書かれている文字を口に出してしまっていた。

 エリーゼはビクッと肩を跳ねさせ、その手に持っている箱を抱き締めるように小さく震えている。


「あ・・・ああ!それね、ユーリが勝手に送ってきたのよ。私にどうしろっていうのよねぇ?使いたい相手もいないから捨てるしかないよね!あははははは」


 使う相手がいないと言いながらも、エリーゼが明らかに動揺しているのは分かる。それはこの薬を使おうとしていたからか・・・?

 使いたい男がいた・・・?ライオスの件もある・・・俺の知らないうちに他にもエリーゼに近寄る男がいたのかもしれない。


 もうすでに、エリーゼを迎えに来る運命の王子が彼女の傍に・・・?


 その瞬間、僅かに俺を繋ぎ止めていた理性は一瞬にして消え去った。


 俺は惚れ薬の蓋を即座に取り、一気に飲み干した。

 口に含んだ液体は味も無く、水のようにサラサラとしていて乾いた喉を潤した。

 空になった小瓶をテーブルの上に置き、エリーゼがこちらに来るその時を待った。


 あとはエリーゼと3秒間、目を合わせる・・・そしたらエリーゼは俺の事を好きになるはず・・・。

 ・・・・・・惚れ薬の効果で・・・。


 一瞬、よぎった虚しさが氷の矢となり俺の胸を突き刺し、ツキンと痛みを与えて溶けていった。

 だが、もう後戻りは出来ない・・・このチャンスを失う訳にはいかない。


「・・・・・・・・・え?」


 その声を聞いて俺は我に返り、顔をあげると空になった瓶を手に持ち、驚愕の表情を浮かべたエリーゼが立っていた。


 次の瞬間、エリーゼが俺の方を向き、俺達はバチッと目が合い見つめ合う形になった。


 エリーゼの背後の窓から差し込む日差しが逆光となり、照らされたエリーゼの瞳には光が届かず、いつもより深い深緑色の瞳が俺を見つめている。

 いつもの瞳の色も好きだが、この色も悪くない・・・


 いや・・・好きだな・・・やっぱり俺はエリーゼが好きだ。


 まるで時間が止まった様に、3秒間のカウントをすることも忘れていた。

 何の反応もないエリーゼを見て、惚れ薬はただの偽物だったと察した。

 だが今の俺にはそんな事はどうでも良くなっていた。

 

 そうだ・・・今度こそ、自分の想いを自分の言葉で伝えよう・・・今、伝えるんだ。


 高鳴る心臓が熱を灯し、全身を駆け巡り体中を延焼えんしょうし始めた・・・。

 その時だった。


 見つめ合っていたエリーゼの顔色がだんたんと赤く染まっていく。

 少し困った様に瞳を震わせながら・・・まるで恋する乙女の様な表情で俺を見ている。


 そんなエリーゼを見て俺は確信した。


 この惚れ薬は本物だ・・・。


 今この瞬間、エリーゼの気持ちは俺に向けられている。

 ずっと・・・ずっと恋焦がれていた・・・。

 それがたとえ、惚れ薬により作られた感情だったとしても・・・。


 エリーゼが俺を好きでいてくれる。


 ただそれだけで俺の心は満たされ、たまらなく嬉しい気持ちが体中を駆け巡る。


 俺の中でエリーゼへの気持ちを押さえ付けていたトラウマという鎖が、ガラガラと大きな音を立てて崩壊していくのを感じた。


 俺は本能のまま立ち上がり、エリーゼの両手を掴むと、自分の胸元へと一気に引き寄せた。


「エリーゼ、好きだ。俺と結婚しよう。」


 20年間、どうしても言えなかったその言葉は、驚く程あっさりと俺の口から伝えられた。

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