第28話0:ルーカスの決意(ルーカスside)
6年前・・・エリーゼに拒絶された俺は、何もかもがどうでも良くなり、仕事を全て投げ出して自分の寝室に引き篭った。
エリーゼの左手の傷や、悲しみに暮れる表情が脳裏に焼き付き、満足に眠る事も出来ず悪夢にうなされる日々・・・全てを忘れてしまいたくて、好きでもない酒に身を委ねた。
戦場ではあんなにも生き残る事に執着していたのに、もはや生きる理由すら見失っていた。
堕落した生活を繰り返し、それが1ヶ月経った頃には、俺がそれまで積み上げてきたものは雪崩のように崩れ始めていた。
数々の事業は倒産寸前まで追い込まれ、俺に見切りをつけて辞めていく従業員や使用人達もいた。しかし、ダンをはじめとする一部の人間は、そんな俺でも見放さないで居てくれていた。
そんな時に、突然ユーリが俺の寝室へズカズカと入ってきた。
蔑む様な視線を俺に向けて腕を組むと、めんどくさそうに口を開いた。
「ねえ、アンタいつまでそうしてるつもりなのよ?」
「・・・」
「プロポーズは出来たの?出来なかったの?」
「・・・」
空の酒瓶が転がるベッドに寝そべり、何の反応も示さない俺に苛立ったのか、ユーリは長く深いため息をついた。
「ねえ・・・私達の村に住んでたライオスって子、覚えてる?彼、今は北の辺境伯の養子になったみたいなんだけど・・・あなたがプロポーズに失敗したって噂を聞いて、成人したらエリーゼにプロポーズするって息巻いてたわよ。・・・まあ、今のアンタには関係ないみたいだけど・・・。じゃあ、私は帰るから」
ユーリは一方的に言葉を並べると、さっさと寝室から出て行った。
長い間まともに機能していなかった俺の頭は、ユーリの言葉をすぐに解釈出来ずにいた。
ライオス・・・?・・・ああ、そんな奴もいた気がするな・・・で?・・・エリーゼにプロポーズするって・・・?
そうだな・・・こんな俺なんかよりも、他の男と結婚した方がエリーゼにとっても良いだろう・・・。
「なんだと・・・?」
納得しようとする頭を拒絶するかのように、その言葉は俺の口から放たれた。
少しずつ頭の中を血が通い始め、冷え固まっていた脳がジリジリと熱を発し出した。
他の男と結婚・・・?エリーゼが・・・?俺以外の男と・・・?
その熱は
エリーゼと顔がボヤけた男が仲睦まじく寄り添う姿を想像した俺は嫌悪感から吐き気を催し、苛立ちで噛み締めた唇からは鉄のような風味が滲みだした。
「駄目だ・・・それだけは許さない・・・」
力を入れても思うように動かない体に鞭を打って起き上がり、気力だけでベッドから立ち上がった。
その日、俺は1ヶ月ぶりに寝室を出た。
そこからはひたすら仕事に明け暮れる日々だった。
1ヶ月で失った信頼関係や事業の損失を取り戻すのには1年という時間を要した。
傾きかけていた事業をなんとか立て直し、落ち着きを取り戻した俺は再びエリーゼの元へと向かった。
壊れてしまった俺達の関係も、また1からやり直せばきっと上手くいくはずだ・・・そんな希望を胸に抱かせていた。
あの別れから約1年振りに姿を現した俺を見て、エリーゼは困惑していたが、構わず質問を投げかけた。
「エリーゼ・・・何か得意な事はあるか?」
更に困惑する様な表情になったエリーゼは俯き、少しだけ考えると真剣な顔つきで口を開いた。
「・・・・・・・・・刺繍かな・・・」
エリーゼが・・・刺繍・・・?
「そんな馬鹿な」と言いかけた言葉をグッと飲み込み、俺は優しく微笑んだ。
「ちょうど良かった・・・頼みたい仕事があるんだ」
今度、衣服や装身具を取り扱う事業を展開するから、商品となる物に刺繍をしてほしい・・・そんな提案をすると、エリーゼは快く引き受けてくれた。
凄まじく不器用なエリーゼが刺繍なんてしたら、彼女の指が穴だらけの血塗れになるのではと心配したが、左手小指を失ったリハビリのために昔から続けていたらしく、怪我をするような事は無かった・・・。
それでも、やはり不器用である事に変わりはなく、常識を逸脱した美的センスも加わって、さすがに売り物にはならなかった・・・。
それでもエリーゼが一生懸命作った物は、俺にとっては誰にも譲れない宝物になった。
そうして俺は一度切れてしまったエリーゼとの関係を、再び繋ぐ事に成功した。
奇しくも、そうなるきっかけを与えてくれた男が今、目の前にいる。
20歳を迎える男は、宣言通りにエリーゼにプロポーズをするためにここへやって来たという事か・・・
その男はうっすらと笑みを浮かべ、俺を見くびる様な視線をこちらに向けている。
「ルーカス兄さんだって・・・6年前にエリーゼ姉さんにプロポーズを断られたのに、まだ未練があるの?見込みなんて残ってないだろ?」
「さあな・・・エリーゼがオムツを変えてた赤ん坊と結婚するよりは見込みがあるんじゃないか?」
それを聞いたライオスは不快に顔を歪ませ、俺を睨みつけた。だが、すぐに鼻で笑い飛ばし、再び気持ち悪い笑みをうかべた。
「どうかな?さっきのエリーゼ姉さんの反応を見る限り、僕はこの3日間で少しは異性の男として見てもらえる様になったみたいだよ?」
コイツ・・・3日も前からここに来ていたのか・・・。
いつもならエリーゼの様子を『影』に確認させていたが、ここ数日は別の仕事をしてもらっていたせいでこちらへの警戒を怠っていた・・・。
くそっ・・・油断したな・・・。
この3日間をどう2人が過ごしたのかが気になり、苛立ちで冷静さを失いそうになる。そんな俺に、ライオスは不快な笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「ルーカス兄さんはこの数年でエリーゼ姉さんと築けた関係がただの仕事関係だって?随分とのろまな進展だね。いや・・・幼馴染から仕事関係になるって、後退しちゃってるよね。仕事がなくなったらただの他人じゃないか」
ライオスは明らかに俺を挑発するような言葉を並べて攻撃してくる。
だがそんな事にいちいち食いつく様なガキではない。
「そんな事、お前には関係ないだろ」
「じゃあ僕がエリーゼ姉さんにプロポーズした事も、ルーカス兄さんには関係ないよね。だから邪魔しないでくれないかな?手紙の返事が一向に来ないから随分ヤキモキさせられたよ」
「そういうセリフはエリーゼに相応しい男になってから言うんだな。北の辺境伯が取った養子はお前だけじゃないだろ?こんな所でうつつを抜かしてていいのか?」
子供に恵まれなかった北の辺境伯は、3人の養子を引き取り、一番優秀な人物に爵位継承権を譲る事を決めている。
継承権を獲るためには成人を迎える今こそ、辺境伯や世間に対して、自身の能力を知らしめなければならない時期のはずだ。
「そうだね・・・。僕はまだ爵位継承権を獲ていない。今日にもここを出発しなければいけない。・・・だけどエリーゼ姉さんに相応しくないのはルーカス兄さんも同じでしょ?恋人になるのは諦めて保護者にでも転向したの?」
「それも悪くないな。いずれにしろ、エリーゼを守る事も出来無い男に譲る気は無い。少なくとも俺を倒せる腕と、俺以上の財力と地位は持ってないと駄目だ」
たとえ条件を満たしていても譲る気は一切無いが。
ライオスは心底呆れた様に頭を頭を押さえてため息をついた。
「そんな条件を満たせる男がそう居るはずないだろ・・・。ねえ、ルーカス兄さんはそれでエリーゼ姉さんを守ってるつもりなの?エリーゼ姉さんに届くはずだった恋文を勝手に処分したのも、エリーゼ姉さんに相応しくない男だと判断したから?」
「そうだ」
「未だに首都に上がる花火は魔法使いの魔法だなんて信じさせてる事も?売り物にもならない物を仕事と偽って作らせ続けている事も?」
「・・・ああ・・・全てはエリーゼの笑顔を守るためだ」
魔法は実は存在しない、だなんて知ったら悲しむだろ・・・。
刺繍だって・・・彼女が仕事をしたがっていると聞いたから・・・。
ライオスは変わらず笑みを浮かべているが、その瞳から僅かに怒りを読み取ることが出来た。
「笑顔を守る・・・?本気で思ってるの?魔法なんか信じさせて・・・そんなの皆の笑い者になるだけだろ?そうまでして首都に来て欲しいと思ってるの?刺繍の事も・・・実際には1枚も売り物になってないと知ったら、エリーゼ姉さんが悲しむだけじゃないか。成人してからも、男性から恋文の一つも届かないなんて・・・。そのせいでエリーゼ姉さんは女性としての自信を無くして結婚にも悲観的になっている。ルーカス兄さんはエリーゼ姉さんのためなんて言い訳をしながら、全部自分が都合の良いように嘘をついてるだけじゃないか!」
いつの間にか、ライオスの表情からは笑みが消え去っていた。
「昔からエリーゼ姉さんとルーカス兄さんはいつか結婚するんだと思ってたよ・・・エリーゼ姉さんの好きな物語のように、きっと二人は結ばれる運命なんだって・・・僕は同じ土俵にも立てないんだって・・・。でも今の二人を見て、僕にも十分可能性があるって確信したよ。だってルーカス兄さん、告白もまだしていないんでしょ?」
痛い所を突かれ、俺も笑みを消してルーカスを突き刺すように睨み付けた。
「・・・お前がいなければ、今頃エリーゼに告白していた」
「へえ・・・また言い訳するの?僕はルーカス兄さんがいたけど、エリーゼ姉さんに告白したよ。」
「・・・!」
ライオスの言葉に俺は何も返すことが出来なかった。
ただ、じわりじわりと俺の中で何か嫌な感情が渦巻き始めていた。
まるで心が闇に支配されるように・・・その闇は広がり続け、俺の身動きを封じ、視界を奪い、聴覚だけが研ぎ澄まされた俺の耳にライオスの言葉がハッキリと聞こえてくる。
「僕がエリーゼ姉さんにプロポーズする事をユーリ姉さんに伝えた時、こんな事を言われたんだ。『ヒロインの結ばれる相手は最初から決まっている。当て馬は所詮はそれ以上の存在にはなれない』ってね。きっと僕に諦めた方が良いと忠告したつもりだったんだろうけど・・・。だけど実際はどうかな・・・。ずっとエリーゼ姉さんの近くにいながら、いつまでたっても関係が進展しないルーカス兄さんも、もしかして本当はただの当て馬だったんじゃないかな・・・?エリーゼ姉さんを迎えに来る王子様の存在は他にいるのかもしれないよ」
・・・ああ・・・。そういう事か・・・。
俺に対する侮辱だとも言えるライオスの言葉は、意外にも俺の中でしっくりときた。
彼女の好きなロマンス小説に出てくるような王子様になんて、俺はなれない・・・。
それは俺が6年前、嫌という程思い知らされた事だった。
「そろそろ時間だから、僕は行くね。話が出来て良かったよ。」
戦意を失い何も言わなくなった俺に対し、ライオスは意気消沈すると、俺に背を向けてさっさと村の方へ帰って行った。
一人だけになった俺は大樹に背を預けて目を閉じ、ある本の内容を思い出していた。
昔エリーゼに面白いからと、ロマンス小説を借りた事がある。
その小説のヒロインには幼馴染の男がいた。その男はヒロインの事が好きで、ずっと傍で見守っていた。共に成長し、大人になってからも、その男のヒロインへの気持ちは変わらなかった。だが、ヒロインの前に突然異国の王子が現れ、ヒロインはその王子に一目惚れしてしまう。運命的に惹かれあった2人は紆余曲折ありながらも、王子の国で結婚し、幸せに暮らしてめでたしめでたし・・・そんな話だった。
あの時の幼馴染の男が、ライオスの言う『当て馬』になるのだろう・・・。
平民のヒロインと異国の王子が結ばれる美談として
ずっと昔から誰よりも長い期間、ヒロインを想っていたのにも関わらず、その恋が実ることは決してない・・・なんと不憫な役回りだろうか。
まさに今の俺そのものだな。
「ふっ・・・」
余りにも自分の境遇に似すぎて思わず笑いが込み上げる。
だから俺とエリーゼは、いつまでたっても進展しないままなのか。
俺のせいで体にも心にも傷を負ったエリーゼを、辺境の地に住む男が癒す・・・なんとロマンチックな展開だろうな。
「ふふ・・・」
やはり俺はエリーゼの王子にはなれないのか・・・。
所詮はただの当て馬か・・・
「あっははは・・・」
彼女が俺を好きになることなんて、もう・・・。
『これを使ってアンタがエリーゼを惚れさせちゃうのよ』
ふいに悪魔の囁きが頭を過ぎった。
すっかり俺の記憶から消えていたが、ユーリと交わした会話が鮮明に蘇る。
エリーゼが俺を好きになる可能性が残された唯一の方法・・・だが、彼女を騙す事など・・・。
・・・いや・・・・・・言い訳はもう必要ない。
当て馬は所詮それ以上の存在になれない・・・。
ならばなってやろうじゃないか。
どうせ結ばれない運命というなら・・・悪魔に魂を売ろうが、どんな手を使ってでも足掻いてやる・・・。
『惚れ薬』だって・・・飲んでやろうじゃないか。
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