第20話12:緑色の瞳の女

「失礼致します」


 ダンさんが持ってきた椅子は、深紅で染め上げられ黄金色で縁取られた、まるで皇帝が座る玉座の様な立派な椅子だった。


 ・・・え、そんな椅子しかなかったの・・・?


 ダンさんは、姿が隠れるくらい大きな椅子を軽々と持ち上げ、ルーカスの机の隣に置いた。


「とりあえず、ここら辺でいいかな・・・。さあ、どうぞお座り下さい」


「凄い・・・立派な椅子ですね・・・」


 触るのもおこがましいような椅子なのだけど、本当にこれ座っても大丈夫・・・?

 本当に椅子・・・?飾りじゃなくて・・・?

 

 恐る恐るその椅子に座ってみると、見た目よりもフワッとしていてクッション性は抜群。

 なんとまあ座り心地は良いのだけど、私の心境は心地よくは無い。


「ええ、これ皇室の方を招いた時用の椅子なのですよ」


 しれっと言ったダンさんの言葉に、私は椅子からずり落ちそうになった。


 ・・・皇室・・・?

 そんな高貴な方がここに来る事があるの・・・?

 いや、それよりも・・・


「そんな椅子を私が使って大丈夫ですか・・・?」


「もちろんです。逆に下手に中途半端な椅子を用意したら俺が大丈夫じゃないです。ルーカスに殺されますよ。あはははは」


 ダンさんは笑っているけど、目はなんだか虚ろな気がする。

 ダンさんとは今日初めて会ったけど、ルーカスとのやり取りを見る限り、色々と苦労しているんだろうな・・・。


「エリーゼ嬢は、この屋敷に来るのは初めてですよね?」


「はい・・・本当に立派でびっくりしました・・・」


 もう凄すぎて訳が分からない程に・・・。

 この御屋敷も・・・ルーカスの人脈も・・・。


「今後の生活で色々と不安な事はあると思いますが、この屋敷には住み込みで働く使用人も多いので、何か困った事があれば何なりとお申し付けください」


 ・・・ん?

 今後の生活・・・?

 ダンさんは一体何の話をしているの・・・?


「本当ならルーカスの執務室よりも、エリーゼ嬢の部屋に御案内したいところですが、多分ルーカスが自分で案内したいのでしょうね」


「・・・私の部屋・・・?」


「・・・は!!もしかしてこれは内緒だったかも・・・。エリーゼ嬢、今のはどうか聞かなかったことに・・・」


 ダンさんは両手をふりながら、慌てた様子で誤魔化そうとしている。


 ・・・え、もしかしてだけど、私がここに住む話をしてるの・・・?

 なんか・・・嫌な予感が・・・。


「ダンさん、もしかしてルーカスと私が結婚するって思ってますか?」


 私の質問に、ダンさんは当たり前だと言うように眩しい笑顔を見せた。


「ええ、ルーカスから話があったので、こちらも色々準備を進めてたところで・・・・・・え?」


 質問の意図に気付いたのか、ダンさんは口を止めてキョトンとした目で私を見ている。


 ああ・・・やっぱり・・・ルーカスサイドの外堀はすでに埋められているっぽい・・・。


「あの・・・私とルーカスはまだ結婚とかそういう仲じゃないんです。まだ恋人ですらありません」


「・・・・・・え?」


「だから・・・結婚はしません」


 私の決定的な言葉にダンさんの瞳がフルフルと揺れ始めた。


「・・・・・・・・・ああ・・・!!」


 ダンさんは膝から崩れ落ち、ガクリと前のめりになると床に手をついた。

 その姿を見るのは本日2回目だ。


「やっぱりか・・・!やっぱりアイツの早とちりかよ!!何かおかしいと思ったわ!!どうすんだよこれ!!クソが!!」


 ダンさんは言葉を吐き出しながら、握りしめた拳を何度も床に叩きつけているので、私はソッと距離を置いた。

 先程ダンさんが言ってた『色々準備をしている』という部分が凄く気になるけど、聞いたらいけない気がした。


 暫くしてダンさんはその手を止め、スーっと立ち上がり、咳払いを数回して笑顔を引き攣らせながら話しかけてきた。


「でも・・・いずれは結婚しますよね・・・?あれだけ・・・その・・・コホンッ・・・2人の仲睦まじい姿を見せつけてたじゃないですか・・・」


 あ・・・ああ・・・。

 あのカフェでの「あーん」のやりとりや、馬車でのあれ・・・ね・・・。

 確かに、あのシーンだけ見ればただイチャついてる恋人よね・・・。


 私はその時の事を思い出し、恥ずかしさで顔が熱くなってきたが、余計な気持ちを払拭して言葉を切り出した。


「えっと・・・ルーカスは・・・実は昨日・・・惚れ薬を飲んでしまって・・・そのせいで私を好きになってしまったんです」


 私の話を聞いたダンさんは、暫く動かず呆然として瞬きを繰り返すだけだった。

 まあ、当然の反応だと思う・・・。


「・・・ルーカスが?惚れ薬を飲んだ・・・?」


「ええ・・・。信じられないと思いますが・・・。だけど、惚れ薬を飲んだルーカスは、人が変わった様に私に何度も告白してきたのです。まるで私を好きになる魔法にでもかかったかのように・・・きっと魔法使いの誰かが作った薬なんでしょうね・・・」


「・・・・・・・」


 ダンさんは何も言わず、困惑した様子で私の話を聞いた後、苦悩の表情で悶え始めた。

 やがて空気の抜ける様な長いため息をつくと、再び数回咳払いをした。


「コホンっ・・・まあ、その話はまたいつかするとして・・・。実は僕は以前、何度かエリーゼ嬢の姿を拝見しているのですよ。昔、彼とはよく行動を共にしていたので・・・」


 ・・・え?

 ダンさんとは今日が初対面のはず・・・。

 でもダンさんは以前から私の事を知っていた・・・?

 ルーカスと一緒にダンさんも村に来ていたという事?


「え・・・?でもルーカスはいつも一人で村に来てましたよね?」


「表向きはそうですね。きっとエリーゼ嬢と2人の時間を邪魔されたくなかったのでしょう。そして僕の思い違いでなければ、エリーゼ嬢はルーカスの事を好きでいらっしゃいますよね?」


 その言葉にボンッと頭が急に沸騰し、顔がカッと熱くなる。

 なんだか汗までたくさん出てきた・・・。


 そんな私の様子を見てダンさんは小さく吹き出した。


「ふっふふ・・・。分かりやすい方ですね。では、惚れ薬を使って2人は晴れて両想い・・・まあ、惚れ薬を使わなくてもルーカスの気持ちは同じでしょうし、何も問題ないです!結婚しましょう!いつか結婚するのであれば、今結婚しても変わりないですよね!」


 ダンさんは活気を取り戻すと、ルーカスとの結婚をゴリ押ししてくる。

 ・・・なんでこの人までそんなに今すぐ結婚させようとするんだろう・・・。

 そんな大掛かりな準備がすでにされているということ・・・?


 だけど、ダンさんも勘違いをしている・・・。

 やっぱりこの瞳の色のせいなのかな・・・。


「ダンさん、違うんです・・・ルーカスには他に好きな人がいるんです。彼が村を出る前に手紙を送ったという女性が!」


「・・・え?それってエリーゼ嬢ですよね?」


「いえ・・・違うんです・・・。私は手紙をもらってないし・・・」


 私の言葉に、ダンさんの顔から血の気が引いていく。


「・・・な・・・なんだって・・・?」


「ジルさんの話を聞いた所、ルーカスは手紙を送った緑色の瞳をした女性の事をずっと好きだったと・・・私、一人心当たりがあるんです」


「・・・いや・・・そんなはずは・・・ん?緑色の瞳の女性って・・・まさか・・・」


 ダンさんは唖然としつつも、何か心当たりがあるようで、すぐに切羽詰まった様子で訴えかけてきた。


「いやいや、エリーゼ嬢!それは何かの間違いです!というか、多分すごく大きな勘違いをされています!!ルーカスがずっと大事に想っていたのはエリーゼ嬢で間違いありません!」


 うん・・・私だってそう思いたかった・・・だけど・・・。


「じゃあ、なぜルーカスは惚れ薬を自ら飲んだのでしょうか?」


 ルーカスが何を思って惚れ薬を飲んだのかは、あまり気にしない様にしていた。

 でもよく考えたらおかしい事だった。

 なぜルーカスはあの時そんな行動をとったのか・・・?

 ジルさんの話を聞いて、ある仮説が頭に浮かんだ。


「もしかしたら・・・彼には他に好きな人がいるけど、私の左手の傷の責任を取らなければいけないという責任感から、惚れ薬の力を借りて自分の気持ちを無理やりねじ曲げたのだとしたら・・・」


「・・・・・・え、ええええ・・・?」


 気が抜けるような驚きの声を上げ、ダンさんは目を白黒させながら立ち尽くしている。


 でもこれなら、彼が惚れ薬を飲んだ理由になる。

 だってすでに

 そんな意味の無い事を、無駄が嫌いな彼がするわけが無い。


 私はルーカスがいつも使っているであろう机に目を移した。


 ルーカスの机の上には、数枚の書類の束と羽根ペン、そしてエメラルドが散りばめられた、まるで宝箱のような装飾をされた大きい木箱が置かれている。


 本当に緑色が好きなのね・・・。

 いや、本当に好きなのは大切な彼女の事かな・・・。


 私はその綺麗な木箱をもう少し近くで見てみようと足を踏み出した時、ドレスの裾を踏んでバランスを崩した。


「・・・あっ!!」


 前に倒れかけた私は咄嗟にルーカスの机に掴まり、なんとか持ちこたえたが、その時に木箱に手が当たって床へとゆっくり落ちていった。


 ガッシャアアアン!!!!


 派手な音を立てて落としてしまい、木箱は蓋が取れて中の物が床に散乱した。

 慌ててそれを拾いあげようと、しゃがんだ時・・・散らばっているハンカチのような白い布を数枚手に取って愕然とした。


 ・・・どうして・・・?


 それは・・・全て私が刺繍をしたハンカチだった。


 気になって近くの棚を見てみると、落とした木箱と同様にエメラルドで装飾された木箱が並んで収められていた。


「エリーゼ嬢!!それは・・・!!」


 慌てた様子でダンさんが制止の声をあげるのも気にせず、その箱が並んだ棚に歩み寄り、順番に蓋を開けていく。


 これも・・・これも・・・!!


 その箱の中には今まで私が刺繍をしたハンカチが何百枚も収められていた・・・。恐らく、今まで私がルーカスの依頼で作ったもの全てが・・・。


 ルーカスは嘘をついていた・・・。

 私が刺繍したハンカチは売り物でもなんでもなかったのだ・・・。

 そんな事をさせる理由はひとつしかない。


「やっぱり・・・ルーカスは私の左手の事を気にして仕事を依頼するふりをして、お金を渡す口実にしていたのね・・・」


「いや、それは・・・エリーゼ嬢!!確かにルーカスのやり方はちょっとおかしい所はありますが、エリーゼ嬢への気持ちは・・・」


 ゴトッ・・・バサッ・・・。


 その時、ダンさんが持っていたルーカスの上着から、小瓶と皮袋が落ちてきた。


 見覚えのある小瓶・・・そして皮袋から飛び出した欠片・・・それは休憩した時に、私が渡した手作りクッキーだった。

 彼は全部食べたと言っていたのに・・・。

 やっぱり美味しくなかったのだろうか・・・。

 でも私を傷付けないために、食べた振りをしていたのかな・・・。


 そして何よりも・・・この小瓶・・・。

 それはあの時ルーカスが飲み干した惚れ薬と同じ物で、やはり小瓶には「惚れ薬」と紙が貼られている。

 ・・・しかもこれ・・・中身が入っている・・・?


 ・・・どういう事・・・?

 惚れ薬を送ってきたのはユーリ・・・同じ物を持っていたルーカス・・・やっぱり・・・2人は繋がっていた・・・。


 バァンッ!!!


「ちょっとルーカス!!どーゆーことよ!!!」


 その声と共に、廊下に繋がる扉とは別の扉から、白いシーツの様な布を体に巻き付けた半裸の女性が出てきた。

 その女性は、私もよく知る人物・・・。

 彼女は私に気付くと、悪役令嬢の様な意地悪い笑みを浮かべた。


「あら、エリーゼ。久しぶりね。悲劇のヒロインごっこは卒業出来たのかしら?」


「ユーリ・・・やっぱり・・・貴方が・・・」


 艶やかな黄金色の髪をかきあげながら、私を見下す様に見つめるユーリは、私と同じ緑色の瞳をしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る