第19話12:彼との出会いと別れ、そして再会

 ジルさんとルーカスを残したまま、私はダンさんに連れられて部屋を後にした。


 私の左手の傷を見たルーカスは、やっぱり傷付いた表情をしていた。

 6年前、初めて私の左手を見たあの時と同じ・・・。

 いくら惚れ薬を使ったところで、私達の関係はあの時のままだ・・・。

 昔の様に、心の底から笑い合える関係にはもう戻れないのかもしれない。


 前を歩くダンさんの背中を見ながら、私はルーカスと過ごした遠い昔の日々を思い出していた。




 20年前・・・私達が8歳の頃、ルーカスは私が住む村へ母親と一緒にやってきた。

 村に住む子供は少なく、年齢もバラバラだった。

 同い年の男の子の友達が出来るのが嬉しくて、私は噂を聞きつけると、すぐ彼を見に行った。


 初めてルーカスの姿を見た時、整った容姿、ピシッとした張りのあるシャツに首元にはオシャレなスカーフ、幼いながらも品格のある立ち姿に目を奪われた。

 村に住むやんちゃな男の子達しか見たことが無かった私は、その気品溢れる姿に衝撃を受けた。


 当時の私は、平民の娘と王子様が結ばれる絵本を夢中になって読んでいた。

 だから私はその日、まるで何処かの国の王子様の様なルーカスに一目惚れしてしまった。


 私の村に王子様がやって来たと、胸を躍らせながら・・・。



 当時のルーカスは、なかなか村の子供達と馴染もうとせず、一人で家に引きこもる事が多かった。

 そんな彼を訪ねては、門前払いに終わっていた私は懲りずに何度も通い続けた。


 ある日、ルーカスの母親が仕事に出ている時、なんとかしてルーカスに会えないかと、私は木によじ登って家の2階にある彼の部屋の窓から侵入した。

 驚いた彼は暫く唖然としていたが、突然私に木登りを教えてほしいと頼んできた。


 その日から、私はルーカスに木登りのコツを教えてあげながら、苦手な勉強を教えてもらう関係になった。

 そのおかげで、間違いだらけだった私の答案用紙にはマルがたくさん並ぶようになり、私を馬鹿にしていた子達も、大人しくなっていった。


 そして少しずつ、彼は私に心を開いていった。

 よく笑うようになり、言葉数も多くなり、私が一緒なら、他の子供達とも遊ぶようになった。

 特に同い年のユーリと私とルーカスはよく3人で遊びに出かけるようになった。


 今思えば、幼い頃のルーカスはせっかちな性格ではなく、どちらかと言うとのんびりしていたと思う。

 集団行動する時、いつもルーカスは皆から少し離れていた。

 そんなルーカスが気になり、私はルーカスの傍にいつも居た。



「エリーゼ・・・僕とずっと一緒にいてくれる?」


 10歳の時、ルーカスに言われた言葉。

 ルーカスは私を好きなのだと思った。

 私もルーカスが好きだった。

 だから、ずっと一緒に暮らしていけるのだと・・・。

 その日、2人で左手の小指を結び、約束を交わした。



 私達が12歳の時、私達の関係に終止符を打つ出来事が起きた。


 その日は村の子供達と数名の大人で少し遠出のピクニックをする事になった。

 不慣れな山道で、あまり体力が無かったルーカスは皆から出遅れて最後尾を歩いていた。

 そんなルーカスに私は付き添っていた。


 だんだんと前の列と距離が離れていき、私とルーカスは完全に孤立してしまった。

案内板もある、ほぼ一本道だからいつか合流できると、大人達もあまり気にしていなかったらしい。


 しかし・・・2人きりになった私達の前に突然、野生の狼が姿を現した。


 まだ12歳の私達には、目の前の脅威にただ怯える事しか出来なかった。

 その時、狼はルーカスに向かって飛びかかってきた。

 とっさに私はルーカスを突き飛ばしたが、狼は私の左手に噛み付いた。

 狼はそのまま私の小指を食いちぎり、私は跳ね飛ばされて、体を木に叩きつけられた。

 激しい左手の痛みと経験したことのない恐怖の中、頭を強打した私は意識が朦朧としていった。


 その後の記憶はほとんど無いが、うっすらと覚えているのは、血に塗れ転がった狼の死体と、ルーカスが泣きながら私に謝る声だった。


 その後、大人達に保護された私達はそれぞれ家に帰らされた。

 私は自宅で傷の治療を受けたが、失った小指はどうする事も出来なかった。

 数日間、左手の痛みと高熱にうなされて寝込み、体調が落ち着いた頃・・・ルーカスは村から姿を消していた。


 ルーカスの母親の話によると、ずいぶん前に、首都でも3本の指に入る名門学校へ入学が決まっていたらしい。

 私が寝込んでいる間、彼は何度も家に来てくれていた事も聞いた。


 しかし、入学試験に首席で合格し、学費免除の権利を得ていた彼は、入学を遅らせるわけにはいかず、私の回復を待つことは出来なかったらしい。

 ルーカスから口止めをされていたから、誰にもそのことを言えなかったと・・・。


 突然のルーカスとの別れに、私は途方に暮れて、ただただ悲しんだ。

 左手の小指を失った事よりも、好きな人が目の前から消えてしまった喪失感の方が大きかった。


 ずっと一緒にいるんじゃなかったの・・・?

 同じ気持ちだと思ってたのは私だけだったの・・・?

 彼と交わした約束の証である、左手の小指に目をやったが、そこには何も無い。

 小指と共に、あの日の約束も失ってしまったんだ・・・。



 それから私はしばらく家に引きこもり気味になった。

 それまで私は、いつか首都に住んでみたい、華やかな暮らしや、綺麗なドレスに身を包んで夜会なんて楽しんでみたい・・・そんな夢を語った事があった。

 しかしそんな夢も思い描くことはなくなった。


 私の好きな人を奪っていった首都が嫌いになった。



 ルーカスが村を出てから10年後・・・。

 私が22歳になった時、彼は突然私の家にやって来た。

 見るからに豪華そうな馬車から降りてきたルーカスは、煌びやかな服装に身を包み、私を見て少し照れくさそうにしていた。


 大人になって初めて見た彼は、とても逞しくとにかく格好良くて、やはり彼は本当に王子様だったのかもしれないと思った。


「エリーゼ」


 大人の微笑みを見せながら私の名前を呼ぶ姿は、幼い頃に遊んだ彼とは結びつかなくて、ただドキドキと高鳴る胸が落ち着かなかった。


「ルーカスなの?・・・一体どうしたの?」


 突然姿を消し、それから10年間、一度も会いに来ることが無かった彼が、なぜ急に来たのか分からなかった。

 思わずこぼれた言葉にルーカスは一瞬、困惑の表情を見せたような気がした。・・・が、すぐに真剣な表情で私の前に歩み寄り、ひざまずくと私の左手をとった。


 初めての事で驚いたけど、手の甲にキスをするのは貴族が令嬢に行う挨拶という事は知っていた。

 だからルーカスは私に挨拶をしようとしてるのだと思った。


 ドキドキしながらその姿を見ていると、ルーカスの視線は私の左手の小指に向けられた。

 当時の私は手袋を付けておらず、その傷跡が剥き出しになっていた。

 村でその事を知らない人はいないし、すでに自分の体の一部として受け入れていたから、特に気にしていなかった・・・。


 その時の彼の表情は、一瞬で地獄に落とされたかの様に悲愴感を漂わせていた。

 私の手を取るルーカスの手が震えだし、その姿を見つめながら、ルーカスは私があの時、小指を失っていた事を知らなかったのだと悟った。


 ルーカスは思い詰めるように真っ青な顔をしたまま、今にも泣きそうな目で私を見つめて口を開いた。


「エリーゼ・・・すまない・・・。どうか・・・この傷の責任を取らせてくれ・・・」


 その言葉を聞いて、私達はもう昔の様な関係には戻れない事を確信した。


 ルーカスはきっと私のこの傷を見るたびに、罪の意識に苛まれるのだろう。

 彼の優しい言葉も、向けられる好意も・・・全てこの左手に対する罪悪感から逃れるためではないかと、私も疑ってしまうだろう。

 

「一緒に首都へ来てくれないか・・・?俺と一緒に暮らそう・・・何も、不自由することはないから・・・」


 本当なら嬉しいはずの言葉だった・・・。

 だけどその言葉は、この傷を負った私が、他の人との婚姻が難しいから、その責任を彼は取ろうとしているのだと思った。


 これ以上、彼を苦しめたくないと思った。

 だけど少しだけ・・・私に何も言わず、勝手にいなくなった彼が後悔すればいいと思った。


「・・・この傷の事なら気にしなくていいよ。もう慣れたし・・・。だから気を遣わないで。私は一人でも大丈夫だから」


 ルーカスを突き放すような言い方になってしまい、自分の言葉に私も泣きそうになって、彼に背を向けた。


「エリーゼ・・・俺は・・・どうしたら・・・」


 背中に響いたルーカスの言葉・・・彼も泣きそうな声だった。


「ルーカスは、ちゃんと好きな人と一緒になってね・・・。」


 精一杯の強がりで絞り出した言葉に、我慢できなくて涙が溢れた。

 ルーカスにバレたくなくて、私は振り返らず、家の中へと戻った。

 扉を閉めて、その場でうずくまると、私は泣いた。


 彼はもしかしたら、本当に私を好きでいてくれて、プロポーズをするために来てくれたのかもしれない。


 だけど私の左手を見た時の彼の表情を、私は二度と見たくないと思った。

 もしも結婚して一緒に暮らすようになったら、何度彼が傷付く姿を見ることになるだろうか・・・。

 彼からの謝罪の言葉を何度聞く事になるだろうか・・・。


 そんな関係では、きっと私達は幸せになれない。

 

 だけど、もしも彼の口から「好き」という言葉が聞けていたなら・・・。


 そんな都合の良い事を考えながら、涙が枯れるまで私は泣き続けた。


 私はその日から、左手に手袋を着け始めた。

 

 しかし、彼はその日以来、村にやって来ることは無かった。


 1年後、再び私の前に姿を現すまでは・・・。



「エリーゼ嬢、こちらにお入りください」


 ダンさんの言葉にハッとして我に返ると、目の前には存在感のある一際大きな扉が立ち塞がっていた。

 その扉をダンさんが開けると、部屋にはポツンと机と椅子が置いてあり、その後ろにある大きな窓の向こうには木が見えた。

 その木は、昔ルーカスの部屋から見えていたものとよく似ていて、懐かしい気持ちになった。


「申し訳ありません・・・。この部屋、ルーカスの机と椅子しかないのです・・・。今ご用意しますので、それまではあの椅子をお使いください。」


「あ・・・はい」


 私はルーカスがいつも座っている椅子へと腰掛け、ダンさんが戻ってくるのを待つ間、ジルさんが言っていた事について考えていた。


 ルーカスは村を出る前に、大切な人に手紙を渡していた。

 緑色の瞳をした・・・。

 それはおそらく・・・。


 だとしたら、ルーカスは彼女にプロポーズをするために、あの日村に来たのかもしれない・・・。

 プロポーズの前に仲の良かった私に会いに来た・・・?

 しかし私の左手を見て、その罪悪感からプロポーズ

を断念したのだとしたら・・・。


 ルーカスの大切な人が私でなかった事実に、胸を刺される様な痛みが走ったが、少しずつ、私の中で何かが繋がり始めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る