第18話12:彼女を傷つけていたのは(ルーカスside)
エリーゼは黙ったまま、悲痛な面持ちで右手で左手を隠すように握っている。
彼女が何故そんな顔をするのか・・・何が彼女を悲しませているのか・・・心配する気持ちとは裏腹に、今はそれ以上に体の奥底から湧き上がる嫉妬で頭がどうにかなりそうだった。
俺はとにかく今は1秒でも早く、この男をエリーゼの前から消し去ってやりたかった。
「ジル・・・公爵は帰ったぞ・・・お前も早く行った方がいいんじゃないか?」
俺が突き放すような言葉を向けても、ジルはしばらくエリーゼの様子を見つめていた。
今すぐその首を掴んでエリーゼへ向ける視線を引き離したくなったが、彼女の前でそんな姿を見せる訳にはいかない。
苛立つ俺の視線に気付いたのか、ジルは俺に顔を向けると、穏やかな笑みを浮かべた。
「ああ、大丈夫だよ。俺の役割は公爵が屋敷に帰るまでの時間稼ぎだったからね。君が十分すぎるくらい時間稼ぎをしてくれたおかげで、もうその必要もなくなったよ。今頃、私の部下達が証拠を揃えて公爵が帰ってくるのを待っているはずだからね」
「ならばここに用事はもう無いはずだ。早く帰れ」
「いや・・・今、君に用事が出来たよ。少し2人で話そうじゃないか」
不自然な程に笑顔を浮かべるジルの表情に、このまま引き返す気が無い事が
腹黒いヤツめ・・・エリーゼは何故こんな奴に左手を見せたのか・・・。
「懐かしいな・・・その目・・・。あの飴玉を拝借した時と同じじゃないか」
ああ・・・そんな事もあったな・・・。
あの時も同じ感情だった・・・
ジルに飴玉を奪われた時、まるでエリーゼを奪われたかの様に錯覚し激高した。
そして今・・・彼女の心がコイツに奪われようとしているのではないかと、気が気でない。
「ごめんねエリーゼ嬢。もう少しだけコイツ借りるね」
ジルは急に俺と肩を組む様に体を寄せると、勝手にエリーゼに話しかけた。
「おい、何勝手な事を・・・」
言い返そうとした時、ジルが俺の耳元で小さく囁いた。
「君も気になってるんじゃないか?何故彼女が手袋を外したのか・・・」
その言葉に俺の言葉は途切れた。
確かに気になる・・・が・・・エリーゼにその事を問いただす勇気は俺にはない・・・。
今の俺の心境では酷い言葉を言ってしまうかもしれない。
「エリーゼ・・・本当にすまない・・・。もう少しだけ、待ってて欲しい。ダン、エリーゼを頼む」
そう告げた俺は、エリーゼの顔をまともに見ることが出来なかった。
「ああ。エリーゼ嬢、行きましょう」
「はい・・・」
その返事だけで、エリーゼの気持ちも沈んでいるのが伝わり、息苦しくなった。
ダンに連れられ、エリーゼは部屋から出ていった。
扉が閉まると、俺はすぐさまジルの胸ぐらを掴みあげた。
「お前がエリーゼに手袋を外せと言ったのか?」
「まさか・・・。彼女が自分から外したんだよ」
ジルは動じることなく、この事態を想定していたかのように余裕の笑みを俺に向けている。
彼女が自分から・・・?
たった数分間、話をしただけのやつに・・・?
そんな事信じられない・・・信じたくもない・・・。
「嘘をつくな・・・。エリーゼが何も無くあの左手を見せるはずが無いだろ」
「ああ、私が彼女の左手の動きの不自然さに気が付いたんだよ。その事を聞いたら、その経緯について話してくれたよ。すごいじゃないか。自分の身を挺して君を守ったなんて・・・。だからその傷はルーカスを守った証だねって讃えたんだよ」
なんだと・・・?
俺を守った証だと・・・?
俺にとっては・・・彼女を守れなかった証でもあるのに・・・!!
「ふーん・・・どうやら、エリーゼ嬢よりも、ルーカスの方があの左手を気にしている様だね」
「なに・・・?」
ジルの胸ぐらを掴む手に力が入り、怒りも混じって震えだした。
「私が自分の体に刻まれた俺の誇りでもある、戦場での傷跡を武勇伝と共に彼女に話した時、興味津々で話を聞いていくれてたよ。そうしてるうちに、急に彼女から左手の手袋を外しだしたんだ。私に彼女の誇りを見せようとしてくれたんじゃないか?」
「誇りだと!?あの傷跡がか!?騎士のお前と一緒にするな!!」
「でもあの時の彼女は生き生きとしていたよ?お前が来たせいで一気に興醒めしちゃったようだけど」
「何も知らないヤツが・・・ふざけた事を言うな!!」
勝手な事を言うジルを殴りたい気持ちを俺はギリギリの所で耐えていた。
いつまでもヘラヘラと気持ち悪い笑顔を向けてくる態度も気に入らない。
だが次の瞬間、ジルの顔から笑顔が消えた。
「・・・ふざけてるのはお前の方だろ?」
低い声でその言葉を言い終えると、ジルも俺の胸ぐらを掴みあげた。
「なあ、お前さあ・・・彼女のあの左手を見た時に自分がどんな顔してたか分かってるか?」
・・・こいつは何を言ってるんだ・・・。
彼女の左手の小指は二度と戻ることは無い・・・その傷跡を無くすことも出来ない。
だから、彼女には本当に申し訳ない事をしたと思って・・・。
「お前、なんでそんな顔すんだよ・・・。傷を負ったのは彼女の方だろ?お前が被害者ヅラすんじゃねぇよ!」
ジルは紳士的だった態度を一転させ、柔らかかった口調を荒らげ、俺を睨みつけた。
ジルの言葉に図星を指された俺は、言い返す言葉が見つからず、歯を食いしばりながらその屈辱に耐えた。
ジルはオレを非難する様な視線を向けたまま言葉を続けた。
「お前は彼女を守りたいんだろ?外部の敵から守る力を手にしたって、お前が傷付けてんじゃ意味ねぇだろうが!!しっかりしろよ!!」
俺が・・・エリーゼを傷付けた・・・?
エリーゼのその手に癒えない傷を残させたあげく・・・さらに俺が彼女を傷付けていたのか・・・?
確かに、彼女はさっき左手を見た俺の顔を見て、ショックを受けていたようだった・・・
てっきり俺は、その手の傷を見られたくないだけなのだと思っていた。
女性が自身の体のコンプレックスを隠すのは当然のことだから。
だからショックを受けたのだと・・・。
・・・彼女が恐れていたのは、俺が傷付くことだったのか。
ああ・・・そうだ・・・。
そんな簡単な事になんで今まで気付かなかったんだろうか・・・。
優しい彼女は俺が傷付く事を恐れていたんだ・・・。
俺が彼女の左手を見て傷付く事に胸を痛めて、俺の前でその傷を見せないようにしてくれていたのか・・・。
それが彼女が手袋をした理由・・・。
だから俺の前では手袋を外したくない・・・という事だったのか・・・。
俺は掴んでいたジルの胸元の手の力が抜け、だらんと垂れた。
「守るんだったら全部守れよ。彼女の心も、笑顔も、誇りもだ」
そう言い放つと、ジルも俺の胸ぐらを掴んでいた手を離した。
そして何事も無かったかのように、再び穏やかな笑みを浮かべて口を開いた。
「あんなに頼りがいのあった君が、肝心な好きな子の前ではこんなにヘタレだったなんてね・・・。いやぁ、今晩はいい酒が飲めそうだな」
クスクスと笑いだしたジルは、先程の声を荒らげていた男とは思えないほど優しい顔をしている。
「ジル・・・すまん。ありがとう・・・」
俺だけでは気付けなかった大事な事を気付かせてくれた。
恐らく、俺が心の底からジルに感謝するのはこれが初めてだろう。
ジルは俺の言葉に驚き、ポカンと口を開けて目を見張っている。
「ルーカス・・・本当にあの子の事が大好きなんだね・・・。・・・ていうか、君がずっと村で待たせていた子ってあの子なんだろ?」
「ああ、そうだ」
「手紙を渡したっていう?」
「ああ、渡した」
「おかしいな・・・彼女は手紙を受け取ってないって言ってたぞ」
「・・・なんだと・・・?」
そんなはずは無い・・・。
俺は手紙を持っていった・・・あの時、エリーゼの家には入れなかったから、彼女の家のポストにちゃんと入れた・・・。
封筒に彼女の名前を書いたのを何度も確認した。
それなのに・・・彼女は手紙を受け取っていない・・・?
あの手紙には俺が首都へ行く事になった事とその理由・・・そしてエリーゼへの愛を綴り、いつか迎えに行くと・・・そう書き綴っていた。
なのにそれが・・・エリーゼの手元に渡っていない・・・?
だとしたら・・・。
「とりあえず早く彼女にちゃんと話してあげなよ?まあ、誰がどう見ても君達が両想いなのはよく分かるから大丈夫だろうけど」
「ああ・・・惚れ薬のおかげでな」
「・・・・・・は?」
「じゃあな。騎士団の奴らによろしくな」
俺は一刻も早くエリーゼの元へ向かうため、扉を勢いよく開けて部屋を飛び出した。
「惚れ薬・・・?アイツ何言ってんだ・・・?」
俺が去った後、部屋に残っていたジルが何か言った気がしたが、俺の耳にはよく聞こえなかった。
エリーゼがあの手紙を読んでいないのならば、俺はエリーゼに何も伝えず突然姿を消した事になる・・・。
なんてことだ・・・なんでもっと早く確認しなかったんだ・・・!!
大事な事は、直接伝えなければならなかったのに・・・。
俺達はお互いが傷付く事を恐れて大事な事を何も話せていない。
エリーゼと話をしなければいけない。
狼に襲われた日のことも、俺が首都へ行った目的も、あの日本当はエリーゼにプロポーズしたかった事も・・・ずっと・・・エリーゼが好きだった事も・・・。
惚れ薬の力はもう使わない。
エリーゼへの想いを、もう一度伝えよう。
揺るぎない決意と共に、俺は執務室への扉に手をかけた。
その先で、何が起きていたのかを知りもせずに・・・。
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