第17話11:さっさと帰ってほしい(ルーカスside)

――――エリーゼは昔からロマンス小説に出てくる様な王子様が好きだと言っていた。

 だからエリーゼを皇子でもあるジルと会わせたくは無かった・・・。

 どうか彼女があの男に惹かれる事が無いように・・・。

 彼女の傍を離れる時、ただそれだけを願っていた。




「やっと来たか!!こんな硬い椅子で何時間も待たせやがって!!」


 俺が部屋へ入るなり、異常な程汗をかいた中年の男が顔を怒りで歪ませながら怒鳴り散らかしてきた。

 いつもなら俺のご機嫌取りをするように、ヘラヘラと薄っぺらい笑みを浮かべて話しかけてくるやつが、今日はそんな余裕など無いようだ。


 逆によく何時間も待ったものだな・・・。

 この部屋は俺が早く帰って欲しいと思う相手と話をする時のための部屋だ。

 椅子もわざと座り心地が悪いものを置いている。

 こんな部屋に案内されればさっさとかえってくれると思ったんだが・・・相変わらずこの男は時間を無駄にするのが得意なようだ。


「私は特に話すことなどないので・・・。それより、客を待たせているので手短に要件をお願いします」


 俺の言葉に公爵は更に怒りを滲ませ、充血して真っ赤になった目が見開かれた。


「何を言うか!!私が何時間待ったと思ってるんだ!?後から来た奴なんか、いくらでも待たせておけばいいだろうが!!」


 奴だと・・・?

 誰に向けて言ってるんだ・・・?

 本当に・・・親子揃って身の程知らずが・・・。


 俺は公爵が喚き散らかしている間も、その男に対して蔑む視線を送り続けている。

 その視線が気に入らないのか、俺を睨みながらギリッと歯を食いしばると、震える口を開いた。


「先日、バーデルン商会が摘発された・・・それだけじゃない、その後にはブルタン商会・・・人材派遣組合・・・他にも私と深い繋がりがある相手先が次々と・・・偶然にしては出来すぎている・・・。さてはお前・・・私の情報を売ったな!!?」


 公爵は顔を真っ赤に染め、怒りを露わにしながら追求してきた。


「売ってませんよ。無償で提供しただけですよ」


 わざわざ売るほどのものでも無いだろう。

 この男は公爵という爵位を持ちながらも、その裏では悪どい手を使う事でしか利益を生み出せない無能な男だ。


 複数の商会と取引して不正な価格操作を繰り返し、物流を混乱させ・・・怪しい人材派遣組合と関わりを持ち、違法な人身売買、奴隷斡旋に協力・・・他にも例をあげればキリがないが、どれも厳罰に値する行為だ。

 

「貴様!俺に対する恩を忘れたのか!?俺がせっかくお前を拾ってやったのに!誰のおかげで男爵になれたと思ってるんだ!!?」


「あなたに恩を感じた事はありませんけど・・・。あなたの尻拭いばかりで対して勉強になりませんでしたし・・・」


 逆に俺に対する恩を忘れたのかと聞きたい。


 俺が騎士を辞めた後、噂を聞きつけた公爵が護衛として俺を雇った。

 しかし、すぐに頭の回転の速さを買われて護衛兼補佐に任命され、ほとんどの仕事を押し付けられた。

 俺が表の仕事をこなす一方で、公爵は裏で悪行により不正な利益を得ていた。


 まあ、俺は俺で独立するために、必要となるパイプ作りを密かに出来たので都合が良かった訳だが・・・。

 公爵とは見切りをつけて関係を絶ったが、俺が知る情報が漏れるのを恐れた公爵は、俺を亡き者にしようと何人か刺客を送ってきた。

 もちろん、すべて返り討ちにしてきたけどな。


 俺を殺すことが難しいと察した後は、自分の娘の婚約者にならないかという馬鹿げた提案をしてきた。

 この男の脳みそはどういう構造をしているのだろうか・・・。


「それより何時間ここで待ってたんですか?こんな所に長居してて良いのですか?」


「何が言いたい・・・?」


 公爵は怪訝そうな表情で俺を睨んでいる。

 その働いていない脳みそのためにも、仕方なく俺は教えてやることにした。


「実はここに来ているもう1人の客は、皇室直属騎士団の第2部隊隊長なのです・・・。確かに彼は私の友人ですが、今日会う約束はしていませんでしたし、本来ならまだ勤務中のはずです。彼は何故、連絡も無しに急にここへ来たのでしょう?」


 ジルがここに居たことは予想外だったが、なぜここに居たかについては想像が着いた。

 恐らくコイツにくっついていたんだろうな。


「・・・・・・・・・まさか・・・私を尾行して・・・?」


「さあ?そんなことより、早く帰った方が良いのでは?今頃公爵邸の方は大変な事になってるのでは?」


 おそらく皇室の騎士達が、不正の証拠を探して屋敷を捜索しているだろうな。


「まさか・・・!!?」


 公爵は真っ赤な顔が血の気が引いたように真っ青に変わり、立ち上がると転びそうなほど慌てた様子で部屋の出口へと向かった。


「貴様!!!覚えてろよ!!?」


 何を思ってそんな言葉を吐いたかは知らないが、奴が利用していた暗殺ギルドも近々解体されるだろう。


 エリーゼの驚異となるものはすべて取り除く・・・跡形も無くな・・・。


「やっと帰ったか・・・」


 いつの間にか部屋の前まで来ていたダンが、呆れた様子で公爵の背中を見送っていた。


 俺は来ていた上着を脱いで、ダンに押し付けた。

 あの店で香水臭い女に触れられた時に不快な臭いまで染み付いてしまった。


「あの男の娘の臭いが移った。捨てとけ」


 そう言うと、俺は急いでエリーゼのいる部屋へと向かおうとした。

 その時、突然背後に現れた『影』の気配に足を止めた。


「・・・例の件、無事遂行しました」


「随分遅かったな・・・」


 俺は納得いかない表情で後ろの『影』を睨んだ・・・が・・・その顔を見て愕然となった。


「少し・・・抵抗されまして・・・」


 言いづらそうにそう言う『影』の顔には多数の引っ掻き傷が連なっていた。


「うわ!!?君がそんなになるなんて・・・どんな猛獣相手にしたのさ?」


 それを見たダンも驚き慄いているが、『影』は黙ったまま俯いている。

 その反応も仕方が無い・・・今回の件はさすがにダンに話す訳にはいかないからな・・・。


 一応ユーリは俺の友人でもあるから、手荒な真似をして傷付ける訳にはいかないと思って、反撃をされるがままに受けたのだろう。

 あの女がタダで捕まるはずが無かったな・・・コイツには少し可哀想な事をした。


「ご苦労だった。しばらく任務を解く。ゆっくり休め」


「はっ!!ありがとうございます!!」


 深々と頭を下げ、俺の『影』は姿を消した。

 それを見届け、俺は急いで部屋を出て、ジルとエリーゼのいる応接室へと向かった。

 ダンも俺の後を付いて来ている。


 ジルとエリーゼは一体何の話をしているのだろうか・・・。

 俺が騎士だったことはエリーゼには話していない。

 別に隠していた訳ではなく、単純に話すタイミングが無かったからである・・・。

 くそっ・・・こんな事になるなら俺から話をしとくんだった。

 エリーゼが望むなら、俺の昔話などいくらでもしてあげるのに・・・。


 ・・・そういえば、俺達はお互い離れていた時の事を知らない・・・。

 話をしようともしなかった・・・。

 昔の話をするとなると・・・どうしてもあの時の事を思い出すから・・・。


 ふいに、あの衣料品店の店主の言葉が頭をよぎった。


『彼女が愛する男性の前では安心して手袋を外せるよう、その傷すらも彼女の一部として愛してくださいませ』


 あの左手の手袋を、いつか俺の前で外してくれる日が来るのだろうか・・・。

 そして俺はあの傷を・・・愛することが出来るのだろうか・・・。


 俺はエリーゼとジルがいる応接室の前に着き、扉を開けようとしたが、扉は完全に閉まっていなく、少し開いたままになっていた。

 その隙間からジルとエリーゼが向かい合わせになって座っているのが見えた。


 エリーゼは笑いながらジルの話を聞いている。

 俺以外の男と楽しげに話す姿に、俺は嫉妬の炎で身を焼かれるようだった。


 その時・・・。

 エリーゼが左手の手袋を外すのが見えた。


 その瞬間、雷に打たれたような衝撃と共に、心臓を掴まれたような生き苦しさが襲ってきた。


 ・・・どうして・・・?

 何故その男の前でその手袋を外すんだ・・・?

 俺の前では外す事を拒んだのに・・・。


 俺が伸ばした手が扉に触れ、ゆっくりと開いた。


「エリーゼ・・・」


 震える声でその名を呼びかけると、エリーゼはハッとして顔をこちらに向けた。

 穏やかだった表情は一瞬で青ざめ、左手を隠すように引っ込めると、手袋を素早く着けた。


 彼女のその姿を見て、ズキリと胸に鋭い痛みが走った。


 そして察した。

 エリーゼはその左手を俺には見せたくないのだと。

 俺のせいで小指を失った事を、彼女は恨んでいるのだろうか。

 エリーゼは俺と顔を合わせること無く、わずかに肩を震わせ俯いてしまっている。


 ああ、もう彼女の気持ちがわからない・・・。

 もしかしたら、こんな俺の事をもう好きでは無いのかもしれない。


 静まり返った部屋の中で、俺は虚無感にとらわれながら、彼女の前では何も言えなくなる昔の自分に戻っていくのを感じていた。


 惚れ薬の効果は・・・切れようとしているのかもしれない・・・。

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