第16話11:彼の過去が知りたい(後編)

 私達が入った部屋は、最低限の装飾品しか置かれていない、応接室にしては殺風景な部屋だった。


 ダンさんはお茶とお菓子を持ってきた侍女と少し会話を交わした後、「何かあれば侍女にお申し付けください」と私に言い残して部屋から出ていった。


 部屋の真ん中には、私の家の物とは比べ物にならないほど上質なソファーが、ローテーブルを挟んで1つずつ置かれている。

 ジルさんに促されるままそのソファーに私が座ると、その座り心地の良さに小さな感動を覚えた。

 向かい側のソファーにジルさんも座り、私に微笑みながら話しかけてきた。


「エリーゼ嬢は、何か私に聞きたい事はあるかな?」


 ジルさんは見るからに高貴な雰囲気が滲み出ていて、きっと身分の高い人なのだと思う・・・。

 それなのに、田舎娘の私なんかに気さくに話しかけてくれることにとても好感が持てた。


 知らない人と話すのは苦手だけど、ジルさんとなら話しやすそう・・・。


「あの・・・ルーカスとジルさんはどういう関係なんですか?」


「ああ、ルーカスとは同期だったんだ。彼がまだ騎士団に所属していた頃にね。年齢は私の方が3つ上になるのかな・・・。なんせ彼は当時15歳で、歴代最年少で皇室直属騎士団の入団試験に合格したんだからね」


 ・・・・・・はい?


「15歳の時に・・・?」


「その反応・・・やっぱり、ルーカスが騎士だったことは知らなかったのかな?」


「はい・・・」


 15歳といえば、ルーカスが村を出てから3年後の事だ。

 その時期、私とルーカスは会うことが無かったから、私が知らないのも無理はないけど・・・。そんなことすら知らなかったのはショックだ・・・。


 皇室直属騎士団と言えば、他国の戦争にも派遣され、命を落とす騎士も少なくないと聞く・・・。

 ルーカスもそんな危険な戦地に向かい、常に死と隣り合わせの戦いに身を投じていたのだろうか・・・。


「ルーカスは・・・何故騎士になったのでしょうか・・・?」 


 私の問いかけに、ジルさんはソファーにもたれ掛かり、天井を見つめると、記憶を追いかけるかのように話し始めた。


「一度だけ、アイツを無理やり飲みに連れて行った事があってね・・・。その時になんで騎士になったのか聞いてみたのさ。そしたら、珍しく酔った彼が話してくれたよ。強くなりたかったから・・・大切な人を守れる力が欲しかったから・・・ってね」


 大切な人・・・その言葉が私の心に引っかかった。

 彼にとって大切な人とは一体、誰の事だったのだろうか・・・。


「強くなりたいだけなら、何も騎士になる必要はないだろ?って聞いたら、「実戦で経験を積まないと役に立たない」だってさ。あいつは国に忠誠を誓う訳でもなく、華やかな功績を手にしたい訳でもなく、ただ強くなりたいってだけで死地に行ってたんだから、どうかしてるよ」


 ジルさんはソファーに預けていた体を起こすと、テーブルの上に置かれたお茶の入ったティーカップを手に取り、そのお茶に目を落とした。


「騎士になったら3年はひたすら戦地で実戦経験を積まされる。この3年を戦い続け、生き延びた者こそが真の皇室直属騎士団の騎士としての栄誉を与えられる。・・・3年間、彼は戦地の最前線で戦い続け、生き延びた・・・。」


 ジルさんはティーカップのお茶を1口ゴクリと飲んだ。

 その所作の美しさに暫し目を奪われていると、彼はクスッと笑った。


「そして戦地から戻ってきた彼は、あっさり騎士を辞めたよ。」


「え・・・?」


「ルーカスにとっては、実戦経験以外は特に必要無かったんだ。大切な人を守る実力を手に入れた彼は、今度はその人を迎えるための富と、確固たる地位を手に入れることに奮起したんだ。騎士を辞めたのはもったいなかったけどね。ルーカスは騎士団の中で一番の実力者だったし・・・。なんと言ってもあの凄まじいスピードで戦地を駆け回り敵を薙ぎ倒して行く姿・・・赤い閃光なんて呼ばれて恐れられてたよ。」


 ・・・話を聞けば聞くほど、私の知るルーカスとはかけ離れていて、まるで知らない人の話を聞いているようだった。


 村にいた頃のルーカスはどちらかと言うと、体を使うことよりも頭の良さが際立っていた。

 そんなに運動神経は良くなかったはず・・・ならば、そこに至るまで、どれだけ血の滲むような努力を積んできたのだろう・・・。


「・・・そんなに凄い人が、簡単に騎士団を辞める事が出来たのですか?」


 しかも最年少で皇室直属騎士団に入団したのなら、それなりに注目もされていたはず・・・。

 実力もあるなら皇室が手放すはずが無いと、普通なら思うけど・・・。


「それが出来たんだよ。なんせ彼は命令違反の常習犯だったからね。団長の待機命令を無視してよく突っ走っていたよ。団長はそんな彼の扱いに困っていたからね」


 ・・・さすがルーカス・・・戦地でもせっかちな所はブレないのね・・・。


「でも、彼の判断はいつも迅速で正しかったよ。その判断に命を救われた仲間は多い・・・だから彼が騎士団を辞めた後も慕うやつは多いんだよ。私もその一人だしね」


 ・・・そうだったんだ・・・。

 私はルーカスが突然村を去った後、寂しさから家に閉じこもり気味になっていた。

 彼と過ごした日々を思い出す事も辛く、忘れようと思った時期もあった。

 だけど、そんな風に私が過ごしている時、彼はいつ死んでもおかしくない過酷な地で戦っていた・・・。

 そしてたくさんの人達の命を救っていた・・・。


 私は彼の無事を祈る事すらしていなかったというのに・・・。

 私は本当に何も知らなかった・・・いや・・・知ろうとしなかったんだ・・・。


「そんな彼の事だから、男爵の地位を得た時には、さっさと村で待たせてる女性と結婚すると思ってたんだ。彼が村を出る時に、思いを綴った手紙を残して離れ離れになったという女の子とね」


 ・・・手紙・・・?

 ルーカスは村を出る時に、誰かに手紙を渡していたの・・・?

 その人が・・・ルーカスが大切に思っていた人・・・。


「ねえ、君なんでしょ?彼が待たせてた女性って」


「・・・え?」


 さも当たり前の様に言われ、戸惑う私をジルさんは不思議そうに見つめた。


「だって彼がいつも持ち歩いている飴玉・・・あれって君の瞳の色をしているよね?」


 ジルさんは身を乗り出し、私の瞳を覗き込む様に見つめた。

 ・・・飴玉・・・ルーカスがくれた、あのメロン味の飴玉のこと・・・?


「彼はいつもその飴玉を愛しそうに見つめていたよ。ちょうだいって言っても絶対くれなかったしね。いつだったか、気になってこっそり拝借した時には、本気で殺されかけたよ・・・あの時の恐怖は今思い出しても震えるなぁ・・・」


 ジルさんは苦笑いしながらも、その時を思い出すように身震いした。


「だからさっき君の瞳を見た時に、その理由が分かったんだよ。彼はどんな時も、いつも君の事を想っていたんだね」


 そう話すジルさんは、ルーカスの想い人が私だと信じて疑っていないようだ・・・だけど・・・。

 私はルーカスから手紙を貰った事は無い・・・それに・・・。


「それは・・・多分私ではありません」


「え・・・?」


 ドレス屋さんで、エメラルドの宝石の話を聞いた時・・・私の頭によぎった事があった。

 エメラルドの様な緑色の瞳をした女性を知っていたから・・・。


「私は手紙を受け取っていません・・・。あと・・・私と同じ緑色の瞳を持つ人物は、もう1人いますから・・・」

 

 私の言葉に、ジルさんは信じられない様子で呆気に取られている。


「え・・・?でもさっきのルーカスの私に対する態度は、どう見ても嫉妬だよね?」


「えっと・・・それは・・・ちょっと事情があって・・・」


 惚れ薬の事・・・この人に話しても良いのだろうか・・・?


 私はテーブルに置かれたティーカップを両手で持ち、口元へ近づけた。

 その様子を見ていたジルさんは、何かに気付いた様に眉を上げた。


「おや・・・?エリーゼ嬢・・・もしかして、君は左手が不自由なのかい?」


 その言葉に私はドキリとして、持っていたティーカップが揺れた。

 零さない様にと両手でティーカップを持つのは私の癖でもある。

 だけどその仕草だけで左手の事に気付くなんて・・・それだけ洞察力が鋭いのだろう。


 ルーカスの話をたくさん聞かせてもらったこともあって、私もこの傷のことをジルさんに正直に話してみたくなった。

 会ったばかりで、少ししか会話もしていないけど、不思議とこの人は信頼出来る人だと思えた。


 緊張して乾いていた喉を紅茶で潤し、私は深呼吸した後、俯いたままゆっくりと話し出した。


「私達が12歳の頃・・・ルーカスと2人でいる時に狼と遭遇した事があるんです・・・。最初に狼に襲いかかられたルーカスを助けようと、彼を突き飛ばした時に、私の左手の小指を食いちぎられました・・・。当時は色々と大変でしたが、今は痛みも無く、小指が無くてもそんなに不自由はしていません」


 私は持っていたティーカップを置き、右手で左手を握った。


「ルーカスはこの傷を自分のせいだと、ずっと気にしているんです。・・・彼が私に対して優しいのは、この傷のせいでもあるんです・・・」


 私が話す間、ジルさんは黙って聞いてくれていた。

 なんとなく顔が合わせずらく、俯いたまま話したので、その表情は伺えない。


「へえ!すごいじゃないか!あのルーカスを君が守ったのかい?」


 思いがけない言葉に、ずっと俯いていた私が顔を上げると、ジルさんは感心する様に私を見つめていた。


「あ・・・はい・・・」


「じゃあその左手の傷は君がルーカスを守った証だね。そう誰でも出来る事じゃないよ」


 ジルさんは優しい眼差しを私に向け、この傷を称えてくれた。

 その言葉に、私は胸がジワジワと熱くなってくるのを感じた。


 私にとってはこの傷は、良い思い出とは言えなかった・・・。

 狼に襲われた恐怖・・・小指を食いちぎられた時の痛み・・・そして・・・・・・ルーカスとの別れ・・・。

 それらを連想させるから、あまり気にしないようにしてきたけど・・・。


 ジルさんが言ってくれた、ルーカスを守った証・・・そう思うと、この傷を誇らしく思えた。


「私も数多く経験した修羅場の中で、多くの傷を体に受けてきたよ。だけど、どれも私にとってはこの国の騎士として戦った誇りでもあるんだ」


 ジルさんは右腕の袖を捲りあげると、肘から手首にかけ、一筋の傷跡が残されていた。


「この傷は鬼神と呼ばれた敵国の将軍との戦いで受けた傷なんだ。かなり手強かったけど、ルーカスの援護もあって2人がかりで討ち取る事が出来たんだよ。あ、ちなみにこっちは騎士団長を守った時の傷でね、これを見せると今でも飯を奢ってくれるんだよ。あとね・・・」


 体のあちこちにある傷跡を見せながら、楽しそうに自分の武勇伝を語るジルさんを見ていると、なんだか私も左手の傷を見てもらいたくなった。


 皆から同情され、誰からも触れられる事の無いこの傷を、ジルさんならきっと笑いながら褒めてくれるかもしれないと、期待してしまった。


 今はルーカスもいないし・・・少しだけならいいかな・・・。


 私は少し緊張しながら左手の手袋を慎重に外した・・・。

 それに気付いたジルさんは興味深そうに私の左手に目を向けた。


 その時だった。


「エリーゼ・・・?」


 その声にハッとし、いつの間にか開いていた扉の方へ顔を向けた。

 そこには見覚えのある表情を浮かべたルーカスが佇んでいた。

 その瞬間、私はこの手袋を外してしまった事を、心の底から後悔した。


 6年前・・・彼が私の左手の失った小指を初めて見た時・・・。

 あの時の彼は、今と同じ顔をしていた。

 絶望し・・・酷く傷付き悲しみに歪む表情を・・・。

 

 だから私は、あの日から手袋を着け始めた。

 彼のそんな顔を二度と見たくはなかったから・・・。

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