第13話9:「あーん」がしたい(ルーカスside)

――――エリーゼの口元に付いたクリームを親指で拭い、それを舐め取った。

 その甘美な甘さはクリームの甘さか、彼女の唇の甘さなのか・・・。


 エリーゼは一生懸命にパンケーキを切り分けている。

 すっかり歪な形になり、原型を見失ったパンケーキを見て俺は必死に笑いを堪えていた。

 こういう少し手先が不器用な所も彼女の魅力の一つだと思っている。

 なんというか・・・ほっとけなくなる・・・。


 しかし下手に手を出すと、彼女の自尊心を傷付けてしまうかもしれないから、何も言わずにそっと見守っている。

 何よりも一生懸命切り分けている彼女の姿は見ていて可愛い。

 切り分けたパンケーキを頬張るたびに、とろけそうな笑顔を見せるエリーゼをずっと見ていたいと思ったが、この後の予定を考えるとそういう訳にもいかない。


 俺も目の前のステーキを切り分け、一切れ食べてみる。

 ミディアムレアに焼かれたその肉は柔らかく、噛むと口の中に肉汁が広がり、染み込んでいく様に溶けていった。


 ふむ・・・うまいな・・・なかなか良い店だ・・・。


 飲食業など興味は無かったが、こういう店へ投資してみるのも良いかもしれないな。

 結婚したら時々エリーゼとカフェ巡りを楽しむのも悪くないな。


 あれこれと妄想しながら、ついいつもの癖で次々と食べ進めていき、残った一切れをフォークで刺した瞬間、ふと思い出した。

 さっきエリーゼが肉料理も食べたくなったら俺の肉を取り分けるという話をしていたが・・・。


 これは・・・あれじゃないか・・・?

 たまに親しい男女がやっている「あーん」と言いながら食べ物を食べさせるという行為が出来るのではないだろうか・・・?

 時々その行為を見かけるが、なんと品の無い愚かな行為だろうと思っていたが、俺の考えの方が愚かだった様だ・・・。

 俺は目の前に残された1切れのステーキに目を落とし、それをエリーゼに「あーん」してみたい衝動に駆られた。


 これを・・・エリーゼの口に・・・。

 いや・・・この大きさではエリーゼのあの小さい口には入らない・・・もっと切り分けなければ・・・もっと・・・いや・・・もっと小さく・・・。

 ・・・これは小さすぎだろう!!やり直しだ!!


 俺は一切れ残っていたステーキにナイフを入れながら何度も切り分け、そのサイズの微調整を入念にしていく。

 大きすぎてエリーゼの口を汚す訳にはいかない・・・。

 しかし小さすぎたら肉の味を味わう事は出来ない・・・。

 そんな小さい物しか与えないケチな男だと思われてしまうのも嫌だ・・・。


「おい!!ルーカス!!」


 突然聞こえてきたその声に、不快さで俺の血管がピキッと音を立てた。

 その声の主に目を向けると、店のドアの所で漆黒色の髪の毛を乱し、ゼーゼーと肩で息をしながら俺を凝視する人物が立っていた。


「お前なあ、コールだけで帰らすなよ!!どっかの馬が逃げ出したって騒ぎになってたぞ!!」

 

 文句をたれながら歩いてくる男の言葉に、エリーゼも何かに気付いたようにハッとした。


「・・・え!?あ!!そういえば、コールがいない!!」


 エリーゼのその反応で、彼女の存在に気付いた男はビクッと肩を揺らして立ち止まり、姿勢を正して胸に手を当ててエリーゼに頭を下げた。


「これは・・・エリーゼ嬢、失礼致しました。私はルーカスの補佐をしておりますダンと申します。エリーゼ譲のお話は聞いております。以後お見知り置きを・・・」


「え、えっと、エリーゼと言います。よろしくお願い致します」


 エリーゼも慌てて立ち上がり、ダンに向かってペコリとお辞儀をする。

 ダンはエリーゼに向けていた紳士的な顔を崩し、恨めしそうに俺にその顔を向けた。


「で・・・ルーカス、どういうことなんだ?」


「仕方ないだろ。エリーゼと手を繋いで歩くのに邪魔だったから帰らせた」


「邪魔って・・・お前はコールをもっと丁重に扱え!お前が無茶なスピードで走らせるから、いつも帰ってくると死にそうな顔してんだぞ!?」


「今はお前の方が邪魔だな」


「僕の事ももっと丁重に扱えよぉぉ!!って、それよりもこんなとこで呑気に食事とってる場合・・・じゃ・・・・・・君達・・・食べるの汚くないか・・・?」


「え・・・?うわ、ルーカス何そのお肉!!グチャグチャじゃん!」


 エリーゼは俺の皿の上を見て驚愕の声を上げた。


 俺の皿の上には何度も切り分けた挙句、刻んだ様に細切れにされたステーキはもはやグチャグチャ・・・さらにミディアムレアのレア部分の赤みも合わさって、なんとも言えないグロさを演出している。

 そしてエリーゼのお皿の上も、彼女が頑張って切り分けた時にボロボロと崩れ落ちた部分が溶けたクリームと合わさってふやけ・・・ぐちゃぁっと効果音が聞こえてきそうだ。


 幸いなのが、エリーゼにはダンが言った「君達」の「達」が聞こえていなかったことだ。

 エリーゼに俺が食べ方が汚い奴と思われるのは若干ショックではあるが、彼女がショックを受けるのを防げて良かった・・・。


 しかしダンは俺の皿の上とエリーゼの皿の上を、何かおぞましい物でも見るかの様に見比べている。

 これ以上コイツが余計なことを言わない様に、その口を塞がなければならない。


「ダン、良い所に来たな。せっかくだからお前に「あーん」をしてやろう」


 俺はナイフを握りしめ、その切っ先をダンの口元へ持っていく。


「え・・・?・・・って、それただのナイフじゃん・・・。お前が冗談言うなんて珍しいな・・・ははは・・・」


「俺は冗談は言わない。いつだって本気だ。さあダン、「あーん」だ。貴様に付いている余計な舌を切り取ってやろう」


 俺は立ち上がると、手にしたナイフをダンの口元へと更に近付けていく・・・。


「いや、「あーん」の意味違うだろ・・・ちょ・・・おま・・・っ・・・やめ・・・」


 ダンは恐怖に歪んだ顔で、口を手で覆い隠すように塞ぎながら、ゆっくりと後ずさりしていく。


「ルーカス!!待って!!」


 エリーゼの声に俺はピタリとその動きを止めた。

 そちらに目をやると、戸惑いながらも顔を赤らめたエリーゼが・・・。


「わ、私も・・・「あーん」してほしいな・・・」


 ・・・・・・!!!

 俺は素早く席に座り、勢い良くフォークを手に取ると、お皿の上の肉を次々と刺して一口サイズにした物をエリーゼの口元にソッと近付けた。

 緊張して手が震えている・・・。


「エリーゼ・・・あーん・・・だ」


 俺の声に応える様に、エリーゼも少し恥ずかしそうに口を開け、俺の差し出しているフォークの先を口に含んだかと思うと、その口が肉を掴む様に動き、ゆっくりと離れた。

 その行為が何か神秘的な儀式の様に思えて、その光景に感動し、しばらくエリーゼの食べる姿をただ眺めていた。


「うん・・・美味しい!!」


 ああ・・・眩しい・・・。

 幸せそうに笑顔を弾けさせるエリーゼの笑顔が眩しい・・・。

 このまま光の中に消えてしまうんじゃないか・・・?

 目がくらむような眩しさに俺の手からフォークがポロリと落ち、その手で顔を覆うと、俺は説明し難い何かに耐えるように戦慄した。

 

「・・・え・・・なにこれ・・・?」

 

 隣でダンの口から何か雑音がした気がしたが、気のせいだろう。

 俺は火照った顔を冷ますためにグラスの水を一気に飲んだ。


「・・・ルーカス・・・この流れで非常に言いづらいんだが・・・ウィンデール公爵が屋敷で待っている。早く戻ってきてくれ」


 なぜかすっかり意気消沈しているダンが、切実な表情をしながら俺に話かけてきた。

 そのくだらない内容に、忌々しさで顔が歪みそうになる。


「なんだ。あのおっさんはまだいるのか。さっさと帰ればいいものを・・・公爵の相手ぐらいお前が適当にすればいいだろ。」


「僕なんかが適当に相手できるような相手じゃないだろ!あとあの人、ルーカスの前と僕の前では全然態度が違うしさあ・・・朝からずっとルーカスを出せって喚いてて迷惑なんだよな」


 情けない事を述べる目の前の無能な男にはがっかりさせられる・・・。


「言い訳はいい、食事ぐらいゆっくりさせろ」


「お前・・・いつも僕が食事してる時に散々急かしてくるだろうが!!」


 ああ・・・本当にやかましい・・・。

 そんな大声出したらエリーゼがびっくりするだろう・・・。

 俺はエリーゼが心配になり、その様子を伺うと、エリーゼはすでに食べ終えており、「いつでも大丈夫」というように俺に勇ましく笑いかけた。


 それを見届け、俺も皿の上の物を全て食べ終えると、フォークとナイフを皿の上に置いた。


「あ、食べたね。二人とも食べ終わったね!じゃあ今すぐ行こうか!!」


「お待たせ致しました。」


 店員が食べ終えたお皿を下げ、代わりに俺とエリーゼの前にはコーヒーが入ったティーカップが並べられた。


「・・・なに食後のコーヒーまで頼んでるんだよおぉぉぉぉ!!」


 ダンは叫びながらガクッと地に手と膝を付き、わなわなと震えている。


「せわしいやつだな」


「はあああ!!?お前だけには言われたくないわあああああああ!!!!」


 そう叫ぶダンを無視して俺はエリーゼと食後のコーヒーを楽しむ事にした。

 エリーゼは申し訳なさそうな視線をダンに向け、なるべく早く飲もうと焦っているようだ。


 その様子を見て、俺はやはり先ほどダンの舌を切り取ってしまえば良かったと思いながら、ハアッとため息をつき、コーヒーをゆっくり飲み進めていった。

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