第11話7:ドレスを買ってあげたい(後編)(ルーカスside)
「ど・・・どうかな・・・?」
少し恥ずかしそうにしながら、試着室から出てきたエリーゼの姿を見て、その美しく尊い存在に心を奪われた。
まるで青空の中に浮かんでいる様なドレスに身を包むエリーゼは、少しだけ化粧をしたのだろうか・・・そんなものなくても充分可愛らしいのだが、都会の令嬢の厚化粧とは異なり、彼女に合った自然な化粧はその魅力をさらに引き立てている。
まさに青空の中に描かれた天使の様だ・・・。
こんな可愛い女性がこの世に存在しても良いのかと思える程に・・・これから彼女を目にする男共の目を片っ端から潰していきたいと思う程に・・・。
「ああ・・・エリーゼ・・・すごく綺麗だ・・・」
俺の言葉に、エリーゼは頬を赤らめ嬉しそうにしている。
その姿でその反応は反則だ。
今すぐに目の前の彼女をこの手の中に抱き締めたい衝動が抑えられず、俺は彼女に歩み寄った。
「ルーカス様!!?」
突如、その甲高い声が店内に響き渡り、俺はエリーゼがいる青空から、一瞬で地の底へと叩き落とされた気分になった。
見なくても分かる。その声の主とは心底会いたくなかった。
特にエリーゼと2人でいる時は・・・。
「こんな所でお会い出来るなんて・・・きっと神のお導きによるものですわ!」
・・・そんな神など存在する意味がない。
毒々しい薔薇の様なドレスを着たスカーレット嬢が俺に駆け寄ってきた。
・・・くそっ・・・めんどくさい奴と出くわしてしまった。
俺の影がいれば、この女がこの店に入ってくる事も防ぐ事が出来ただろうが、今は別件で不在だ。
タイミングが悪かった・・・。
こっちの方がユーリよりも厄介かもしれない。
ふと視線を感じ、エリーゼを見てみると、彼女は俺を見つめながら気まずそうにしている。
ここでスカーレット嬢にエリーゼを紹介するかは悩む所である。
俺に好意をよせるスカーレット嬢にとって、エリーゼの存在はおもしろくないだろう。
スカーレット嬢がエリーゼに危害を与える可能性もありえる。
事実、俺とユーリが親しい仲だと誤解した彼女が、ユーリに危害を加えようとした事があった。
だがしかし・・・エリーゼを不安にさせたくはない。
彼女は突然現れたこの女の存在が気になってるに違いない・・・。
もしかしたらあらぬ誤解もしているかもしれん・・・。
ならば、この女はエリーゼが気にする程の女ではないと安心させてやらなければ・・・。
この女がエリーゼに何か危害を加えようとするなら、それは全力で阻止してみせる。
俺はエリーゼを安心させるように微笑み、その隣に歩み寄り、エリーゼの肩を抱いた。
「スカーレット嬢、ちょうど良かった。紹介しよう。私の婚約者のエリーゼだ」
「・・・は?・・・こん・・・やく・・・・・・しゃ・・・?」
スカーレット嬢は俺の言葉に、信じられないというような顔で立ち尽くしたが、すぐにその視線はエリーゼに向けられた。
この女・・・なんて目でエリーゼ見てやがるんだ・・・。
その女は積年の恨みでもあるのかのようにエリーゼを睨みつけている。
そして見下す様な目つきで彼女をジロジロと見つめた後、目を細め、クスッと鼻で笑った。
は・・・?今エリーゼを見て笑ったのか・・・?
絶対に許さん・・・この身の程知らずが・・・。
彼女を笑ったこと・・・一生後悔させてやる・・・。
酷く不快な気分にさせられ、俺は目の前の悪役令嬢を睨み付けながら、どう国外へ追放させてやろうかと算段を立てている時だった・・・。
「初めまして。ルーカスの婚約者のエリーゼと申します」
「エリーゼ・・・!」
エリーゼの口から出てきた「婚約者」の言葉に、俺の中を支配していた残虐非道な人格は一瞬で浄化された。
俺がエリーゼを見つめると、ニッコリと微笑むその姿はキラキラと輝き、まるで神々しい光に照らされているようにも見えた。
彼女は妖精ではなく女神だったのかと思うほどに眩しく、その姿に俺は再び釘付けになった。
「貴方が・・・ルーカス様の婚約者ですって・・・?」
そう・・・俺の・・・婚約者・・・!
「ええ・・・彼から熱烈なアプローチを受けましたの。」
「エリーゼ・・・!受け入れてくれて嬉しいよ」
嬉しそうに話す彼女を前に、俺は今すぐ彼女の手を取って教会へ駆け込みたい気持ちに駆られた。
彼女が俺を婚約者と認めてくれたのなら、あとはもう結婚しかない。
大丈夫だエリーゼ。全ての準備は整いつつある。
先程エリーゼが眠っている間に指輪のサイズも測っておいたし、たった今ウエディングドレスのための採寸も済んだはずだ。
店主には予め話をつけておいたから、さっそくドレスの製作に取り掛かっているはずだ。
明日には予定通り俺達の結婚式を挙げられるはずだ・・・いや、挙げてみせる!!
「・・・ルーカス様が・・・笑っているですって!?」
おっと・・・明日の結婚式の事を考えると、楽しみすぎてつい顔に出ていたようだな・・・。
「彼ったら・・・2人で住む家の木材も、2人で入る墓石用の石も勝手に用意しちゃって・・・ほんとせっかちなんだから・・・」
エリーゼはそう言うと、少し照れた様に目を伏せた。
ああ、エリーゼ・・・!!
俺があの木を切り倒した事を、あんなに驚き困惑していたのに・・・君も俺と過ごす家を楽しみにしてくれているのか・・・!!
「ああ、もう木材の乾燥なんて待たずに、今すぐに俺達の家を建て始めよう!」
今すぐ墓石に一緒に入ることはさすがに出来ないが、家なら可能だ。
木材の乾燥など、建てる前でも建てた後でも一緒だろう!
「一体何をおっしゃってるの・・・!?本当にあのルーカス様なの!?・・・あなた・・・ルーカス様に変な薬でも飲ませたんじゃありませんの!!?」
・・・俺は確かに変な薬は飲んだが、エリーゼに飲まされた訳ではなく、俺が勝手に飲んだだけだ。
そこを間違えてもらっては困るな。
恐らくエリーゼも俺が飲んだ薬の事を気にしたのだろうか・・・そのまま黙ってしまった。
エリーゼが気にする必要はこれっぽっちもないのだが・・・。
俺がエリーゼに声をかけようとした時、スカーレット嬢に腕を掴まれ引っ張られた。
再び苛立つ俺に、目に涙を浮かべたスカーレット嬢が縋り付き、訴えかけてくる。
「ルーカス様!目をお覚ましくださいませ!!貴方にはもっと相応しい方がいるはずですわ!!こんな流行遅れのドレスを着てる年増な女なんかよりも・・・!!・・・」
そのエリーゼへの侮辱とも言える言葉に、俺の思考は怒りで染まり、その後に続く言葉はもはや俺の耳には聞こえてこなかった。
俺の腕に触れるその女の手の感触すらおぞましく感じた。
俺は無言でスカーレット嬢の手を乱暴に振りほどいた。
そのせいでバランスを崩し、よろめく彼女を気にかけるつもりもない。
そんな事よりも、俺は気を落として小さくなっているエリーゼの肩を優しく抱き、その原因を作った女に冷たい視線を送った。
「スカーレット譲・・・口の利き方に気を付けろ。彼女を侮辱する者は誰であろうと許さない。あと、気安く俺に触れないでもらいたい」
「そんな・・・!酷いですわ!!私達だって婚約者同士だったじゃありませんか!!」
せっかくエリーゼから「婚約者」という言葉が出てきて、俺の好きな言葉上位にランクインしてきたのに、その言葉を汚さないでもらいたい。
「君の父親が勝手に言い出した事だ。俺は君を婚約者と思った事など一度も無い。」
「・・・!!!」
スカーレット嬢はショックを受けたように目を見開き震え始めた・・・が、それも束の間で、再びエリーゼを睨みつけてきている。
その態度にさすがの俺も我慢の限界がきていた。
しかし、スカーレット嬢は耐えるようにぐっと唇を噛み締め、その表情は冷静さを取り戻していった。
「・・・ええ・・・分かりましたわ。・・・ところで今日、私のお父様がルーカス様のお屋敷へ伺うとおっしゃってましたが・・・そろそろ到着しているのではありませんこと?」
「・・・ああ、そういえばそんな予定があったか。すっかり忘れていた」
どうせ話す内容に予想はついている。
忘れてはいなかったが、時間の無駄だとは思っていた。
「あまり待たせたら可哀想ですわ。早くお戻りになられて?その間、そちらの婚約者様は私が変わりにお相手致しますから」
この女のやり口は知っている。
日頃からお茶会や夜会に気に入らない令嬢達を呼び出し、都合の良い取り巻き達と一緒に陰湿な虐めを行っている。
時には犯罪組織の人間をお金で雇い、自分に都合の悪い人間を襲わせる事もある。
そういう所は父親の血筋だろうな・・・。
そんな女とエリーゼを二人きりになどさせるはずがない。
「いや、その必要はない。エリーゼも俺の屋敷へ一緒に行こう。」
「ええ!そうしましょう!!」
俺の提案に力強く賛同してくれて、思わずジーンと胸が熱くなった。
エリーゼ・・・そんなに俺の屋敷に行きたいのか・・・。
俺の屋敷にはすでにエリーゼの部屋も用意している。
エリーゼの好みに合わせてコーディネート済みだから、きっと気に入ってくれると思う。
「あら、それは残念ですわ。せっかく仲良くなりたいと思いましたのに・・・また、近いうちによろしくお願いしますわね」
そう言い捨てると、スカーレット嬢は一瞬エリーゼを鋭く睨みつけ、踵を返して帰って行った。
あと1秒帰るのが遅かったら俺はあの女の目を二度とエリーゼに向けられぬように潰していたと思う。
女が去り、エリーゼは近くの椅子によろける様に腰を落とした。
「エリーゼ、大丈夫か?」
「え、ええ・・・ちょっとビックリしただけだから・・・」
エリーゼの住む村にはあんな高飛車な女はいない。
可哀想に・・・怖かっただろう・・・。
だが大丈夫だ。あの女には近いうちに耐え難い不運が訪れるはずだからな。
「少し休むといい。俺はちょっと店主と話があるから・・・すぐ戻る」
俺はエリーゼにそう言い残し、店主の元へと行った。
この店に来た理由は、エリーゼがすぐに着るためのドレスを買う目的もあったが、結婚式用のドレスと、他にも彼女のためにドレスをたくさん買ってあげたいと思っていたからだ。
俺と結婚するとなると、お茶会や夜会に招待される事も多くなるだろう。
ドレスだけは、彼女の体で採寸しなければ用意できないからな。
「うふふ。可愛らしいお嬢様ですわね。それにとても謙虚で・・・。サンドロス卿が惚れ込むのも分かりますわ」
さすが、ここの店主は人を見る目があるな。
「ああ、彼女ほど魅力的な女性はいない」
ぜひエリーゼの魅力を語り合いたい所だが、今はやるべき事を済ませなければいけない。
「それより、例の件は大丈夫か?」
「ええ、エリーゼ嬢の好みもだいたい把握出来ました。ウエディングドレスも彼女の好みに合わせて数着御用意致しますわ」
「ああ、明日の朝までに頼む」
「ふふっ・・・相変わらず無茶をおっしゃいますのね。でもお任せくださいませ。私の持ち得る全てのツテを使ってでも仕上げてみせますわ。その代わり・・・例の専属契約の件も、お願いしますわよ」
今回、かなり無茶な依頼をしているにも関わらず、嫌な顔ひとつせずに引き受けてくれたのは、この専属契約があっての事だった。
専属契約後は、俺やエリーゼが今後必要になる衣料品は全てこの店で購入する事になる。
特に俺の妻になるエリーゼが着るドレスとなると、社交界で注目が集まり、そのドレスを作るこの店にも令嬢達が殺到するだろう。
俺との交渉に臆することなく、利益を優先して真っ向から対話する店主の事は結構気に入っている。
今回の件がなかったとしても、この専属契約は悪くないと思っていた。
「ドレスを問題無く仕上げることが出来たら、すぐにでも契約書にサインしよう」
「おほほほ!お任せくださいませ!」
店主は上機嫌に紙にペンを滑らせている。
しかし、その手がピタリと止まると、先程までの笑みを控えめに、俺の顔を見て慎重に口を開いた。
「エリーゼ嬢の左手の手袋・・・彼女の指に合う物も一応、こちらで御用意させていただきますわね」
その言葉に、チクリと胸が傷んだ。
恐らく、採寸の際に手袋が外され、あの傷を見られてしまったのだろう・・・。
予め配慮しておくべきだった・・・。
「・・・彼女がそう言ったのか・・・?」
「いいえ。彼女は普通の手袋をご希望されました」
そうだろうな・・・。
彼女はあの傷を隠しているから・・・。
俺の前でも、あの手袋を外すことはしない。
「ならば必要ない」
彼女は見ず知らずの人間に傷を見られて平気だったのだろうか・・・。
何か言われて胸を痛めてないだろうか?
少し突き放すような言い方をした俺に、店主は何か強い意志を秘めたような視線を向けた。
「サンドロス卿。非礼を承知で言わせていただきますが・・・女性は、愛する男性には自身の体、隅々までも愛してほしいと思うものです。その体にたとえどんな醜い傷があろうともです・・・」
醜い・・・?醜いだと・・・?
「彼女の体に醜い傷などあるはずが無い。」
威圧する様な口調になった俺に、怯むことなく店主は口調を強めて言葉を続けた。
「そう思われるなら、彼女が愛する男性の前では安心して手袋を外せるよう、その傷すらも彼女の一部として愛してくださいませ」
・・・彼女の傷を・・・愛す・・・?
俺のせいで傷つけてしまったその傷を愛せと言うのか・・・?
そんな事など出来るものか・・・!
だが・・・その傷を愛さないといつ事は、彼女の一部を愛せない・・・ということになるのか・・・?
「手袋のお金はいりませんわ。こちらで勝手にサービスとして御用意させていただきますので」
言葉を失い佇む俺に、店主はそう言い残すと、忙しそうに奥の部屋へと入っていった。
俺は胸に刺さった小さな棘の痛みを抱えたまま、今すぐエリーゼの顔が見たくて、足早に彼女の元へと戻った。
「エリーゼ、待たせたな。行こうか」
女性従業員と話をしていたようだが、俺が声をかけるとその女性はニコニコと笑みを浮かべながら去っていった。
エリーゼは不思議そうに俺の顔を見つめている。
「・・・ルーカスって・・・緑色が物凄く好きなの?」
その問いかけに、俺は一瞬何を言い出したのかと思ったが、すぐにその言葉の意味を理解した。
さっき意味深にニコニコしていた女性従業員は、きっと俺がこの店でエメラルドの品を多く買っている事をエリーゼに話したのだろう。
しかし、自分の瞳の色をそんなに気にしていない彼女には、その意味に気付かなかったのだろう。
本当に勿体ない・・・。
こんなに綺麗な色をしているのに・・・。
「ああ・・・好きだよ・・・物凄く・・・」
曇りのない澄んだエメラルドの様に、キラキラと輝くその瞳に何度心を奪われただろうか。
その瞳に俺の姿が映る度に胸が締め付けられながらも嬉しくなる。
俺に見つめられて真っ赤になるその顔は、何度見ても見飽きない。
本当に・・・物凄く、エリーゼが好きだ。
その瞳が潤みだし、一瞬彼女が泣いてしまうのではないかと思った。
そんな彼女を見つめながら、俺はさっきの店主の言葉を思い出していた。
ふいに、俺は彼女の左手の傷が見たいと思った。
俺はエリーゼの左手を取り、その先を摘んで手袋を脱がそうとした時・・・
「ルーカス!」
エリーゼが俺を呼ぶ声に我に返り、ハッとしてエリーゼを見た。
エリーゼは何かに怯えるように俺を見つめていた。
「・・・すまない・・・」
俺がその手を離すと、エリーゼは右手で左手を握る様にして目を伏せた。
「私も・・・ごめん・・・」
俺にはそれが何に対する謝罪だったのかは分からなかった。
6年前・・・俺がエリーゼの小指の事を初めて知った時、彼女は手袋をしていなかった。
それは偶然だったのか・・・それとも、それまでは手袋をしていなかった・・・?
エリーゼが小指を失った出来事について、俺達は話をしたことは無い。
彼女にとって辛い記憶だろうから、思い出させるような事はしたくない。
彼女が手袋を付けるのは、失った小指の傷を見たくないのだろうと・・・そして人に見られたくないのだろうと思っていた。
俺とエリーゼが離れていた10年間、彼女は一体どんな思いで過ごしてきたのだろうか・・・。
俺は勝手にエリーゼの事は全て理解していると思っていた。
そしてエリーゼも俺の事を理解してくれていると・・・だが・・・
俺達は思っている以上に、お互いのことをよく分かっていないのかもしれない・・・。
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