第7話6:手作りクッキーを食べたい(ルーカスside)

――――惚れ薬の力を借りなければ、君に告白することすら出来なかった俺を、どうか許して欲しい。




「ねえねえ!あれって首都なの?」


「ああ・・・もう見えているな。このペースだともう1時間程走れば着くだろう」


 遠くに見える街並みを見て、新緑の瞳を輝かせながら感動する姿は可憐な少女の様だ。

 真っ赤なリボンで一纏めにしている焦げ茶色の長い髪は、彼女が動く度に、まるでしっぽのように揺れている。

 その姿を見ていると、後ろから抱きしめたくなる衝動に駆られるが、ついさっき手を出したら絶交宣言をされたばかりなので、そこはグッと堪えた。


 俺はそんなよこしまな気持ちを払拭ふっしょくさせようと、コールを引き連れて、木の生い茂る林の中へと入っていった。

 首都と村を行き来する時によく通っていた道なので、湧き水の場所も把握済みだ。

 その場所の近くまで来ると、コールはすぐに顔を突っ込みそうな勢いで水を飲み始めた。


 しばらくすると、エリーゼがこちらへやってきた。

 湧き水の前でしゃがむと、両手で水をすくって飲み始めた。

 その口の端から零れた水がしたたり落ち、ふぅっと小さく息を吐く姿がなんとも艶めかしく思えて、しばらく目が釘付けになった。


「ここにはよく来るの?」


「・・・ああ、コールの水飲み場もあるし、時々休ませている」


 突然エリーゼに問いかけられ、ハッと我に返り、咄嗟に当たり障りのない返答をした。


 俺の言葉に抗議する様に、コールがブルルッと唸る声が聞こえた。

 俺には馬の言葉が分からないが、長年付き合いのある愛馬の言いたいことは何となくわかる。

 「おい嘘つくんじゃねえ。1度たりともここで水を飲ませてくれた事なんかねえだろが」と言いたげな視線で俺を刺してくる。

 それもそのはず。俺は首都から村へ行き来する道中、休憩をとったことなど1度もない。


「コールもお疲れ様。乗せてくれてありがとう」


 エリーゼはそう言うと、コールに歩み寄り、その背中をそっと撫でた。

 コールもまんざらではないようで、俺に向けていた冷たい視線を解き、生えている雑草を食べ始めた。


 エリーゼ・・・君は天使か・・・?


「ねえ、ルーカス。朝ご飯は食べたの?」


 見惚れる俺に、今度は朝ごはんの心配までしてくれるのか・・・。

 実は今日はまだ何も食べていないが、ここでいらぬ心配をさせる訳にはいかない。


「ああ・・・少しだけな・・・」

 

 中途半端な嘘をついたのは、その先に何らかの期待をしての事だった。

 エリーゼが皮袋から何かを取り出していたから・・・。


 それを手に、もじもじとなにやら悩んでいるようだが、やがて意を決した様に私の前にそれを差し出した。


「実は、昨日クッキーを作ってみたんだけど・・・親が留守だったから火加減が調整出来なくて、少し焦げちゃったんだ・・・味の保証は出来ないけど・・・食べる?」


 その包み紙の中に入っていたのは、お世辞にも美味しそうなものとは言えなかった・・・

 クッキーと言われなければ、それが何かも分からなかったかもしれない。

 しかし、彼女が作った物ならば、食べないという選択肢は無い。


 一生懸命このクッキーを作る姿はきっと可愛らしくて愛らしかっただろう・・・。

 俺はそんな彼女の姿を想像しながら、その手から包んでいた紙ごと受け取った。


「ああ、頂こう」


 俺はその中でも大きく形が残っているクッキーを1つ手に取り、サクッと1口食べた。

 エリーゼは見守る様に俺の食べる姿を見つめている。


 ・・・・・・ああ・・・・・・これは・・・・・・何かと塩を間違えているな・・・。

 もはやこれは・・・クッキーというよりも塩の結晶に近いかもしれない。

 そんな結論に達しながらも、もちろん俺は表情を崩さない。


 ここで本能のままに口から吐き出してしまったら、彼女が悲しむ姿は容易に想像が着く。

 彼女を悲しませる事などするものか。

 問題ない。俺は昨日、浴びるほどに水を飲まされている。

 これくらいの塩分、体内で中和させてみせよう。


 俺は口の中の塩・・・クッキーを飲み込み、何事も無かったかのように笑みを浮かべた。


「美味いな」


「ほ・・・本当!?」


 俺の言葉にエリーゼは驚きが混じった歓喜の声を上げた。

 その表情があまりにも嬉しそうだったので、もっと見たくて俺はとっさに2つ目のクッキーを手に取った。


 幸せそうな顔で見つめられ、俺は次々と塩・・・クッキーをたいらげていったが、さすがに塩分を摂りすぎた体が警告を出し始めていた。


「ああ、食べてしまうのが勿体無いくらいだ」


 ・・・だから持って帰っても良いだろうか・・・。


 これを今ここで全て食べたら、塩分過多で死んでしまうかもしれない。

 もちろん、エリーゼの手作りクッキーを処分するなんてありえない事だし、これを誰にも譲る気はない。

 一日に摂取可能な塩分量と相談しながら食べ切れば良いだけだ。

 もはや塩とあまり大差ないこのクッキーなら、1年くらい余裕でもつだろう。


 しかし・・・今ここで残してしまったら、エリーゼが食べてしまうかもしれない・・・それは避けなければ・・・だが・・・


 くっ・・・!不本意だが・・・これ以上食べるのは危険だ・・・!


 エリーゼとの結婚を前にして、あの墓石の世話になる訳にはいかない。

 墓石の元でエリーゼが来るのを待っていたら、待ちきれなくて生き返ってしまうかもしれない。

 いや、それよりも結婚せずに死んでしまったら、同じ墓石に入れないではないか・・・!


 塩分の過剰摂取のせいか、思考までおかしくなってきている様な気もするが、とにかく今すぐ現状を打破しなければ・・・


 ・・・エリーゼ・・・すまない・・・。


 俺はこちらを見つめるエリーゼの頭を撫で、彼女に顔を近づけてその耳元に囁いた。


「そんな熱い視線で見られたら、また襲ってしまうぞ」


 その言葉に顔を真っ赤にしたエリーゼは俺から視線を逸らし、恥ずかしそうにしている。

 その愛くるしい姿を一瞬で目と記憶に焼き付け、俺は常備している小さな紙袋を手早く取り出し、その中にクッキーを欠片も粉も全て流し込んだ。


「結婚したら、時々エリーゼの手料理を食べたいな」


 そう言いながら、俺は常備している水筒を勢いよく取り出し、その水を一気に飲み干した。

 その途中で何かをエリーゼが言ったような気がしたが、残念ながら聞き取ることが出来なかった。

 水筒を収めると、真っ赤な顔をしたエリーゼが笑顔で手を伸ばしてきた。


「わ、私も1個食べようかなぁ!!」


 そう言いながら、エリーゼは俺が手にしている包み紙の上に手を置いたが、すでにそこには何も残っていない。


「ああ、すまない。もう無くなってしまった」


「はっや!!!」


 彼女は驚きながらも、少し嬉しそうに空になった紙の上を見ている。


 あと少し俺の判断が遅ければ、彼女にこれはクッキーではなく塩の結晶だったとバレていただろう・・・。

 彼女の笑顔が守れて本当によかった・・・。


「代わりにこれをやろう」


 俺は上着のポケットからいつも持ち歩いている飴玉を取り出し、エリーゼの手にのせた。

 エリーゼは包み紙を取り外した飴玉を手に頭上へ掲げ、日の光に当て始めた。


「綺麗ね・・・なんだか宝石みたい・・・」


「ああ・・・俺もそう思ったんだ」


 果たして彼女は気付いただろうか・・・?

 この飴の色が彼女の瞳の色にそっくりだと・・・


 首都の商店で、偶然目に映った飴玉が彼女の瞳の色を連想させて、気付いたら買い占めていた。

 それからは定期的に購入して常に持ち歩いている。


 俺は飴玉を見つめるエリーゼの瞳をジッと見つめて観察した。


 ああ・・・やはり似ている・・・。

 彼女が飴玉を日の光に当てている、その光が彼女の瞳をも照らし、いつもより淡い緑色になり、宝石の様な輝きを放っている。


「え・・・な、なに?」


 その瞳が不意に俺に向けられた。俺は吸い込まれるようにエリーゼの顔に近づいた。


「本当に、綺麗だなと思って」


 俺の言葉に見開いたその瞳は、飴玉や宝石など足元に及ばない程に、本当に綺麗だと思った・・・。


 俯いたエリーゼは、控えめに口を開くと、飴玉を押し込み、近くの木の側に座った。

 その姿を追うように、俺もエリーゼの隣りに寄り添うように座った。


 長い沈黙の時が流れたが、彼女と2人なら気にならなかった。

 むしろ、今この瞬間、この世界に2人だけしか存在しないのではと感じさせ、それも悪くないと思った。


 もしもこの世界に俺とエリーゼしかいなければ、惚れ薬を使うことも無かっただろう・・・。

 どうしても、彼女を他の誰かに渡したくはなかった。


 少しだけ触れている肩の先から伝わる彼女の体温が心地良く、その存在を直に感じる事が出来てなんとも言えない幸福感に包まれた。


 俺の体温もエリーゼに伝わっているだろうか・・・彼女も同じ気持ちでいてくれたら嬉しいと思った。


「ねえ、急がなくていいの?」


 俺に気を利かせてか、彼女が声をかけてきた。


「ああ・・・ゆっくり休憩していこう」


 何よりも、エリーゼと二人だけで過ごすこの時間が居心地が良かった。

 そんな俺の言葉に、エリーゼは吹き出すように笑った。


「ふっふふ・・・あなたの口からゆっくりなんて言葉が出てくるなんてね・・・」


 確かに、俺は周りの人間からはよくせっかちだの、待てない人間だの好き勝手言われているが・・・


「誤解があるようだが・・・俺は別に何もかもせっかちな訳じゃない。ただ無駄な時間が嫌いなだけなんだ・・・あと・・・待つのが苦手なくらいで・・・」


 楽しみにしている事に対して・・・特にエリーゼに関しては、待てが出来ない。

 エリーゼに会う口実にするために提案した刺繍の仕事に関してもそうだ。


 まだ出来上がっていない事は分かっていても、つい顔が見たくて家に寄ってしまう。

 それがエリーゼにとっては催促されている様に感じさせてしまったのは、いつも申し訳なく思っているが、少しでも2人で過ごす時間を作りたかった。


「エリーゼと2人で過ごす時間が、無駄な時間なはずないだろ」


 俺の言葉に、エリーゼは少し驚いた様に目を見開いたかと思えば、何か考え込む様にその目を伏せた。


 同い年の俺達は、8歳の時にあの村で出会った。

 それから4年間を一緒に過ごしたが、12歳の時に俺は村を出て首都へ移り住んだ。

 いつか結婚して首都に住みたいというエリーゼの願いを叶えるために・・・。


 一日でも早く、彼女を迎えに行きたいがために、一刻も早く、少しの時間も無駄にしない様に、常に時間に追われるように動くその姿が、周囲にせっかちな男だと認識させたのだろう。


 それも、全てはエリーゼと共に過ごす時間のために。


 いつの間にかエリーゼは眠っていた。

 カクンッと頭が下がり、バランスを崩しかけた彼女の体を掴んで支え、俺の膝を枕にする様にそっと寝かせた。

 その時、彼女の左手が動き、俺の足に触れた。


 彼女はいつも手袋をしている。

 失ってしまった左手の小指を隠すために。


 そしてその原因は俺にあった。

 彼女は昔、俺に襲いかかってきた狼から俺を庇い、その小指を失った。

 今もその時の事を思い出すと、激しい後悔と罪悪感に襲われる。


 そのこともあり、俺がどんなにエリーゼに対して好意的な態度を示していても、失った小指に対する罪悪感からだと思われている。


 ・・・いや、それだけじゃないか・・・

 俺が決定的な言葉を彼女に伝える事が出来なかったからだ。

 君を前にすると、何故こんなにも自信が無いちっぽけな男に成り下がってしまうのだろうか・・・。


 そのあげく・・・こんな物に頼ってしまうなんて・・・


 俺は懐に隠し持っていた小瓶を手にした。

 中にはあの時の惚れ薬と同じものが入っている。


「もしもあの時、惚れ薬を使わずに君に告白していたら、君はどんな反応をしてくれただろうか。」


 眠っている彼女には聞こえないのは分かっていたが、その言葉は無意識に口から出ていた。


「エリーゼ・・・すまない・・・」


 俺は君の事になると、いつも選択を間違えてしまう。

 歪んでしまった俺達の関係を、更に歪ませる事になってしまった。

 

 だが、もう後戻りは出来ない。

 どんな卑怯な手を使ってでも・・・。

 君と一緒に生きていきたい。共に過ごしたい。

 

 たとえ、胸に僅かに残る虚しさと後悔を抱える事になっても・・・。

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