第6話6:手作りクッキーを食べたい

 私達が首都へ向けて出発して、ちょうど1時間程が経った。

 見通しの良い高台に辿り着き、そこで少し休憩を取ることにした。

 コールから降りて、遠くの景色を見渡していると、広大な街並みが見えた。

 

「ねえねえ!あれって首都なの?」


「ああ・・・もう見えているな。このペースだともう1時間程走れば着くだろう」


 私が首都に遊びに行った事があるのは一度だけ。まだ6歳の時だった。

 村では見たことがない様な、高くて大きい建物や、お洒落な洋服屋さん、綺麗な宝石を身に付けた上品な夫人達、何もかもがキラキラと輝いて見えた。

 村から出ていく成人した女性達を見送りながら、私もいつか首都で暮らしたいと夢見た時もあった。


 今はもう、そんな事を考える事もなくなったけど・・・


「あれ?」


 私が振り返ると、いつの間にかルーカスとコールはその場から姿を消していた。


 見知らぬ土地で急にひとりぼっちにされた心細さから、木が生い茂る中へと足を踏み入れると、少し離れた所に居るのが見えた。

 どうやら湧き水があるらしく、コールに飲ませているようだ。


 私もそこへ歩いて行き、湧き水の前でしゃがみ、両手で水をすくって口に含んだ。

 ずっとルーカスに抱き抱えられていたからか、すっかり火照っていた私の体に、冷たく冷えた水が染み渡った。


 今日は日差しが強く、気温もいつもより高いようだが、この場所は生い茂った木のおかげで木の葉が日光を遮り、良い避暑地となっている。

 まさに休憩するのには絶好の場所だ。


「ここにはよく来るの?」


「・・・ああ、コールの水飲み場もあるし、時々休ませている」


 ルーカスの言葉に反応するかのように、コールがブルルッと唸る声が聞こえた。


「コールもお疲れ様。乗せてくれてありがとう」


 私はここに来るまでの1番の功労者であるコールの背中をそっと撫で、労いの言葉をかけた。

 せっかちな彼の事だから、てっきり休みも与えずに走らせているのかと思っていたけど・・・良かった・・・少し見直した。


 水を飲み終えたコールは、くるりと方向を変えると、今度はそこに生えている草を食べ始めた。


 ・・・そういえば、私は朝ごはんを食べてきたけど、ルーカスは食べてきたのかな?


「ねえ、ルーカス。朝ご飯は食べたの?」


 そう話しかけながら、私は腰に括り付けていた革袋を開け、その中から紙に包まれたある物を取り出した。


「ああ・・・少しだけな・・・」

 

 私は手に持っていた紙を広げると、中から少し不格好で所々焦げているクッキーが姿を現した。

 実は昨日の夜に作っていたのだけど、すっかり食べ忘れていたので、森の中で食べようと思って持って来ていた。


 その中身の不格好さから、一瞬躊躇ったが、首都まであと1時間もある・・・少しはお腹の足しになってくれれば良いのだけど・・・


 私は意を決してルーカスの前に、そのクッキーを差し出した。


「実は、昨日クッキーを作ってみたんだけど・・・親が留守だったから火加減が調整出来なくて、少し焦げちゃったんだ・・・味の保証は出来ないけど・・・食べる?」


 せめて、もう少し綺麗な状態だったらもっと自信を持ってお勧め出来たんだけど・・・改めて見るとやっぱり出すんじゃなかったと思うくらい酷い・・・

 しかもどうせ自分しか食べないからと、適当に紙で包んだせいで形もボロボロだ。


 そんな不出来な物にも関わらず、ルーカスは目を細め、包んでいた紙ごと両手で大事そうに受け取ってくれた。


「ああ、頂こう」


 彼はその中でも大きく形が残っていたクッキーを1つ手に取り、サクッと1口食べた。

 私は見守る様にその咀嚼する姿を見つめていた。


 その表情は、無表情のいつものルーカスだったが、味わうように噛み締めた後にゴクリと飲み込むと、柔らかい笑みを浮かべた。


「美味いな」


「ほ・・・本当!?」


 ルーカスの言葉に私は驚きが混じった歓喜の声を上げた。

 いや、たぶんきっとその言葉はお世辞も混じっているのだろうけど・・・それでも嬉しいものは嬉しい。


 ルーカスは早くも次のクッキーを手に取っている。


「ああ、食べてしまうのが勿体無いくらいだ」


 正直、私は料理が苦手で、作ったものを褒められる事はあまり無かった。

 私の左手が少しだけ不自由な事から、同居している私の両親は少し過保護な部分があり、私に家の事をあまりさせようとしない。

 今回のクッキー作りも、親がいない時を狙って挑戦したものだった。


 自分が作った物を食べて喜ぶ人がいるって・・・なんて嬉しいことなんだろう。

 私は幸せな気持ちで胸がいっぱいになりながら、ルーカスが私の作ったクッキーを食べる姿を見つめていた。

 そんな私の視線に気付いたのか、ルーカスは手を伸ばして私の頭を撫でると、グッと顔を近づけてきた。


「そんな熱い視線で見られたら、また襲ってしまうぞ」


 ・・・・・・!!

 耳元で放たれた不意打ちの言葉にみぞおちに謎の衝撃を受けた。

 意地悪っぽく笑みを浮かべるルーカスからプイッと視線を逸らし、ドキドキと高鳴る心臓を落ち着かせた。


「結婚したら、時々エリーゼの手料理を食べたいな」


 追撃やめてぇ・・・。

 落ち着き始めた心臓は再び速度を上げ始めた。


 もしも彼が惚れ薬を飲んでいない状態で、そんな言葉を聞けていたなら、どんなに幸せな気持ちになったんだろう・・・


 ・・・いや、もう惚れ薬を飲んでてもそんなこと言われたら嬉しいわ!!


 私は嬉しさと恥ずかしさから、何かを言わなければとルーカスに返す言葉を必死で探した。


「け・・・結婚したら・・・ね・・・」


 なんでよりによってそんな言葉が出てきたのか・・・

 私の口から出てきたその声はあまりにも小さかったので、ルーカスには聞こえていないと思うが、なんだかだんだん恥ずかしくなってきた・・・


 私は気持ちを切り替えるため、明るい笑顔を作り、無理やりテンションを上げてルーカスの方へ手を伸ばした。


「わ、私も1個食べようかなぁ!!」


 そう言ってルーカスの持っている紙の上に手を置いたが・・・さっきまでたくさんあったはずの、クッキーが跡形もなく綺麗に消えていた。

 細かく砕けすぎて、もはや粉になっていたはずのものまで見当たらない。


「ああ、すまない。もう無くなってしまった」


「はっや!!!」


 ・・・さっき食べるのが勿体無いと言っていた気がするが・・・幻聴だったのだろうか・・・?

 でもこんなに綺麗に食べてくれるなんて・・・次はもっと上手に作れるよう、頑張ろう・・・。


「代わりにこれをやろう」


 ルーカスは上着のポケットから何かを取り出し、私に差し出した。

 私が手を出すと、ルーカスは透明な包み紙に包まれた緑色の飴をのせてくれた。


 包み紙を取ったその飴は、今まで見た中でも透明度が高くてお菓子とは思えないほど綺麗だった。

 それを摘んで頭上に掲げ、木陰から差し込む日の光に照らしてみると、淡い緑色になり、ガラス玉の様にキラキラと光っていた。


「綺麗ね・・・なんだか宝石みたい・・・」


「ああ・・・俺もそう思ったんだ」


 へえ・・・ルーカスも宝石とかに興味があるのかな・・・?


 私がルーカスに目を向けると、彼の視線は私が持っている飴玉ではなく、その目は私に向けられていた。


「え・・・な、なに?」


 その視線に狼狽えている私に、ルーカスは至近距離まで顔を近付けてきた。


「本当に、綺麗だなと思って」


 その言葉、その視線に私は思わず息を飲んだ。

 彼が飴玉の事を言っている訳では無いのは明白だった。

 海のように青く澄んだ瞳は真っ直ぐに私を見つめていたから・・・。


 ・・・まだ、飴玉を口に入れてなくて良かった・・・

 そしたら多分、喉に飴玉詰まらせて死んでいたと思う。

 早くも墓石のお世話になるとこだった・・・。


 私は何も言えずに俯いて飴玉をそっと口に入れた。

 口腔内にメロンの甘い香りが広がった・・・が・・・。

 甘いはずの飴玉なのに・・・彼の言葉の方がよっぽど甘く思えてしまった・・・。


 私はルーカスから離れるように、近くの木の側へ行き、それに寄り掛かる様に座った。

 すると、ルーカスも私の隣で寄り添うように座った。

 ずっと落ち着かない心臓を、これ以上暴れさせてはいけないと、私はとにかく今だけは何もかも忘れて無心でいようと決めた。


 それからしばらく、言葉もなく静寂に包まれた時間が過ぎた。

 交わす言葉が無くても、居心地が悪いとは思わなかった。

 僅かに触れる彼の肩の先から伝わる体温が、心地良い温もりとして私を安心させてくれた。


 ・・・そういえば、休憩を始めてからどれくらい経ったんだろう・・・?

 あんなにせっかちなルーカスが全く先を急ごうとしていない。


「ねえ、急がなくていいの?」


「ああ・・・ゆっくり休憩していこう」


 その言葉に、私は小さく吹き出した。


「ふっふふ・・・あなたの口からゆっくりなんて言葉が出てくるなんてね・・・」


 せっかち男が使う「ゆっくり」が不似合いすぎて、なんだかおかしかった。


「誤解があるようだが・・・俺は別に何もかもせっかちな訳じゃない。ただ無駄な時間が嫌いなだけなんだ・・・あと・・・待つのが苦手なくらいで・・・」


 そう言うと、ルーカスは少し拗ねる様に口を尖らせていた。

 だが、ルーカスがせっかちなのは村の人達にとっても周知の事実である。

 時々ふらっと村に帰ってきても、用事を済ませたらさっさと帰ってしまうし、食事に誘っても自分だけさっさと食べたら、話もせずに帰ってしまうとか・・・


 私に依頼している刺繍の仕事に関しても、明確な期日は指定されていないものの、ほぼ毎日の様に催促に来る時もあったし・・・


「エリーゼと2人で過ごす時間が、無駄な時間なはずないだろ」


 不意に言われたその言葉に、私はなんとも言えない高揚感に包まれた。


 ・・・あ・・・

 そういえば、仕事の件でルーカスが私の家に来た時、私が入れたお茶をゆっくりと時間をかけて飲んでいた。

 そんな時は、私はだいたい必死で刺繍を進めていたから、そんなに気にしてはいなかったけど・・・


 あの時間はルーカスにとって、無駄な時間では無かったのだろうか・・・?


 そんな事を考えていると、だんだん瞼が重たくなってくるのを感じた。


 そういえば昨日の夜中は騒がしくて目が覚めたし、朝もいつもより早く起きたんだった・・・

 でもさすがに・・・ここで・・・寝る・・・訳に・・・は・・・


 私の意識が完全に途切れるまでに時間はかからなかった。

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